大塔道の駅から空海高野発見の道、大日山、乗鞍岳、簾、天誅組本陣周回
2011/07/11
単独
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コースタイム
大塔道の駅09:30−尾根先09:53−空海道10:52−大日山11:22−富貴辻11:45−登山口12:19−乗鞍岳12:45〜13:20-
-林間学校?14:05-国王神社14:30-お不動様15:10-天辻15:38-道の駅16:45
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弥山をバリエーションで登ろうと計画していたが、天候が良く無さそうだ。
ではと、急遽R168の大塔道の駅を基点に、空海高野発見の道を入れ、大日山897.1m、乗鞍岳993.4mと現在二軒の住民のみと成ってしまった廃村の村、大塔町簾地区を取り入れ、、以前から気になっていた簾から、天辻(坂本)地区に登る急傾斜の道を登り返して天誅組本陣跡を見て、大塔道の駅に帰るルートを組んだ、
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道の駅に車を止め、地図を眺める
出屋敷峠から空海高野発見の道が通る、奈良、和歌山の県境尾根に入るのが、空海道の完全走破だろうが、そこまで拘ることはないと、道の駅北側の尾根を登り、空海道に出よう、高圧電線が通る。鉄塔管理道が有るはずと地図を眺める
←道の駅と星の国
R168を下り尾根先に出るのも良いが、道の駅裏を下ろう。
今は植林だが、キット畑跡があるはず、道もあると、道の駅を出て左手直ぐの、ガードレール横から下っていく
読みが当たり、畑跡や家跡が見られ、小道が谷に下って行く
←斜面に道有り
ガード端から下る↑
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下に見える丸山谷は思ったより険しい
真っ直ぐ尾根に登り返すのは、シンドイだろうし単独の装備としては、今日はロープが短い
一旦R168に出て尾根先から登ろうと、R168の損保橋を渡り右手に、直ぐ橋があり尾根先に出る
橋を渡ると、止め山で有り秋は入れないと書かれていた
真っ直ぐ尾根に這い上がろうか、尾根を眺める、マッタケの山、小道があるさ、で谷沿いに小道が伸びていた
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シッカリと現在地を読図すると、弘法大師空海道にはやはりコノ谷か、又は右上尾根で行くのが良いだろうと考えた、
時々出る、尾根に登るだろう踏み跡が有るが、沢沿いは涼しいと、沢沿いのトラバース道をルンルン
読図は、最後に谷は尾根に突き上がるはず、予想は当たり尾根が西に向きを変える付近に出た
所が、尾根道は谷道より整備がよい、よくよく地図を眺めると、鉄塔が建っている。読図が甘い、早く尾根に出れば良かった
一つ目の鉄塔
鉄塔管理道は、良い道だ、
一つ目の鉄塔が出て、二つ目の鉄塔が県境尾根で、空海の道だ
この付近から唐笠山が美しい
唐笠山にはあの尾根で登ろうと、コースを眺めた
二つ目の鉄塔から境界尾根に入る
空海道は分かりよい
管理道より整備は悪いが、小道がルンルン、少し読図を間違い、アラ三角点が、とあっという間の大日山だ
風があり涼しい
ワークマンで購入したクールタッチ服、風が吹けば寒く感じる程だ
等級種別三等三角点
三角点名 大日岳
標高 897.28
北緯34°13′38″.2929 東経135°43′43″.8862
設置 明治36年6月3日
所在地 奈良県五條市大塔町阪本956番2
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下に小屋が見える
おそらく、お堂だろうと下ると、お堂だった 大日様がお祭りされているのだろう
下の小屋横から小道が西に、古道だろうと少し踏み込んでみた
天辻峠の案内板に地図が出ている。この小道は富貴に続いていたようだ
小屋前から電波塔に出て、天辻峠に飛び出す
ここは三重構造で一番下が新天辻トンネル、上が、旧天辻トンネル、その上が古道で富貴辻だ
現在は、天辻峠と言う方が知られているだろう
古道であり、要害の地だ、だから天誅組がこの地を本陣に選んだとある
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林道川股、天辻線を乗鞍岳にテクテク、登山口近くで自衛隊が通信訓練中だ
山中に隊員が入って、ブッシュでも漕いでいるのだろうか、マア緊張感がないからタダの無線ごっこか
登山口の道標に沿って小道に入る
直ぐにソマ道と分岐するが、尾根に拘った。ソマ道も利用可能だ
少し笹などが生えているが道はバッチリ、あっという間に山頂に出た
鈴さんが登っていないかな、アレ無いぞ、昼食して、茶を楽しんでいると、小枝に鈴さんの点の記がかかっていた
ここも点名イコール山名だ
等級種別 二等三角点
点名 乗鞍岳
標高 993.51
北緯 34°14′00″.5774 東経 135°45′00″.3822
所在地 奈良県五條市西吉野町本谷346番2 ここで鈴さんの標高と4cmの高さが違うが、最測量の結果だろう
たぶん鈴さんは大和の三角点を尋ねて 著者 上田倖弘氏 から抜粋した物だろう
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昼食休憩をして、下山に係るが、少し戻りピークから尾根を下るが、このピークからも踏み跡程度の道が有る
林道に下るが、掘り割られた尾根に階段が作られている
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林道から尾根に登り返さず、地図にある波線道を下る
尾根西側にルンルン小道があり、もう道成りに下って行く
少し読図が甘かったが問題なく、簾の廃村最奥部に出た
途中に林間学校でも有ったのか、名前の付けられた小屋があり、その中から鹿が飛びだしてきた
林道からの入り口↑ 林間学校跡か↑
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林間学校跡付近で、下り道と、登り道が有る。読図で想像すると、下り道はたぶん古道、登り道はソマ道だろう
どちらも、ややブッシュだ
そのまま広い道を下って行くと、左手に屋根が見える。
道は自然とソノ廃屋前に出るが、ここで少し地図道を探した
読図から地形を読み下る
国王神社が出た。小さな社だが、村人達が守っているようだ
ここから読図が難しい
慎重に地図を読み、天辻に登り返す急道に向かう
ここも、小道が残っている
小道に入れば、後はルンルンだが、地図の道通りなのか、それは分からなかった
国王神社 鳥居下右に地図道が有るこれは無視した
下って行くと、右手に廃屋が出る
少し下ると左カーブして、その下にお寺の屋根が見える。そこの右手に地図古道、波線道が入っていた
一つ目の廃屋は下を通り、二つ目の廃屋は家前を通ると、古道に入って行く
いくつか廃屋が表れるが、道成りに進と、山が抜けた地点下に林道が見える
小さな谷に突き当たり、下ると右手にお不動様が祀られていた
小さな谷に、取り水跡がある。飲める水だ、水を補給した
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地図を見ると、お不動様が有る尾根に、波線道が走るが、手前の谷を下ってきたようだ 少し地図とは違う道を下ったのだろう
お不動様先の橋から、天辻にクネクネと古道が登る
しばらくだれも通っていないようだが、古道は綺麗に残る
ここも、地図の波線道と少し違うようだが、波線道は本当の古道で、その後、牛車程度が通れるように手直ししたのだろう
そのような跡が見受けられた
今日で一番大汗を流したのが、コノ登りだ。
顔から汗がしたたる 後少し
廃屋前に飛びだした。道向こうに延命地蔵堂が、その前に、天誅組本陣跡が公園になっていた
少し前は、天辻小学校が有ったようだ
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村人が庭木を剪定している
話しかけると、大阪から嫁に来た、詳しいことは知らないが、と 簾地区にはもう2軒しか住んでいない
ここ、天辻もほとんど廃屋でと教えてくださる
歴史有る集落も、時の流れに消え去って行くのか、古民家に私の生家の感じを思い出した
村中の生活道を下り、道の駅に帰った
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ショウタンの山歩録地図について
「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図200000(地図 画像)、数値地図50000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)、数値地図50mメッシュ (標高)、数値地図10mメッシュ(火山標高)及び数値地図5mメッシュ(標高)を使用した。 (承認番号 平23業使、第2号)」 |