高野山 摩尼山、古宮岳、護摩ノ壇、黒河道、揚柳山 2013/11/22 ショウタン |
カシミール1/50000地図 コースタイム 中の橋8寺53分-摩尼山09:55-尾根分岐10:14-古宮岳10:35-倉ノ尾峠11:20-護摩ノ壇11:55=食事と探索時間12:55〜13:27 護摩ノ壇13:27-倉ノ尾13:53-黒河道14:30-桜峠15:30-黒子峠15:50-揚柳山16:05-奥の院16:50-お参り-中の橋P17:14 小休止含む |
今年の11月23日に豆街道から杖ヶ藪に行、護摩ノ壇に行くコース計画が失敗した 宿りから護摩ノ壇経由で高野山内に向かう道はどうしても読めないショウタンだ。 とりあえず、護摩ノ壇付近を歩いてみようと思い立ち朝から地図を切り出す |
中の橋駐車場から奥の院に向かって歩く 途中に親鸞上人の墓なんて小さな案内を見て少しウロウロ、墓は分からなかったが、天然記念物かと思う巨大杉があった 奥の院手前から右手車道に出て↓写真の分岐から摩尼峠に向かう 分岐目印がある |
途中で伐採作業の方に護摩ノ壇について訪ねるが、護摩壇山の間違いではと言われた。 町内でも知る方が少ないようだ 摩尼峠に出るが、途中の道は少し荒れていた。 摩尼峠から高野女人道の案内がある。 女人道を歩かず、尾根を直登した。意味のない自己満足の登りだ。 一度周回道に出て又尾根に入り直登で摩尼山に突き上げる 尾根直登↓ 摩尼山 山ではモウ春の準備が始まっていた。 今年落ちたドングリが芽吹きだしていた。来年春に一気に育つのだろう |
摩尼山から古宮岳への分岐に急ぐ、分岐には折れた道標が木にくくられている 写真@ 尾根に入る↑ |
踏み跡は有るが歩く人がほとんどいない尾根だが踏み跡がある 少しスズタケがはえ込んでいるが歩くには何の問題もない 古宮岳を知ったのは、古い昭文社地図からだ 1002mピークの何の変哲もない山頂だが、西ヶ峰集落方面から見ればそそり立つピークだ |
古宮岳から境界尾根を進が、尾根分岐を間違い四等点東山に出た。 この付近の尾根確定が少しややこしい。四等点東山に出てしまえば少し戻り測量テープを探そう 測量道が有りその先で尾根が分岐する。境界尾根を登った経験から右手尾根を下ってみた 下で波線道が繋がっている。これを確認する意味もある くだると道が出るが笹ノ中だ。その先に電波塔が出た 三角点手前の目印、ヤヤ左手に尾根がある 尾根、急傾斜だ 電波塔 |
写真1の地点に出る。 此処に朽ちた倉ノ尾 黒河峠の道標が出る 写真1 道がトラバースで有り、桜峠と繋がっているが歩いた事がない。次回の目標だ ここからはルンルン道、以前北又からバリエーションで歩いた事がある 道成りに歩けば倉ノ尾峠に出る。玉川峡を守る会が峠名を記した札がぶら下げられその下にこれ又古い道標が有る 蛇の窪 黒河峠と書かれている |
この付近まで地図を拡大してみた |
状態の良い道成りに歩こう。 道は巻道も多い。信じて進めば読図がたやすい地点に出でるだろう。 少し見晴しが出る。地図を眺め護摩ノ壇を特定した 広い垰状の所に出る。地図でも分かりよい地点だ 目印は下の写真だ↓ ↑写真から古い整備道がピークに向かう。 道成りに進めば護摩ノ壇山頂に出る。触れば落ちそうな大阪独峰会の看板が一枚が有った 山頂には三角点長尾が鎮座する 注 途中にも尾根にも橋本市 木下と書かれたものが有った。 三角点の記 等級種別 三等三角点 点名 長尾 標高894.30 北緯 34°14′49″.3798 東経 135°37′52″.4112 所在地 和歌山県伊都郡九度山町北又594番7 選点明治36年5月6日 埋標明治36年6月19日 山頂は矢筈岳と名付けても良いと感じる三方に尾根が綺麗に別れる。 此処で護摩を焚く程広くはないが高野山周辺の村々が見晴らせたであろう事が容易に想像がつく 今まも冬枯れの木の間から紀ノ川市、北又、宿がウッスラとみはらせ 植林向こうに杖が藪が見晴らせる事が想像できる 途中の尾根から、野迫川の山々が見えた。 ラーメンおむすび定食で腹を満たし 橋本市 木下境界まで下る(写真2の位置) その左手に護摩ノ壇を巻く道が測量されてその入り口にも朽ちた道標があった 写真2 |
巻道は細くなっているが歩きよい 写真3の位置まで歩いてみた 尾根先に関電道標が出た。その横に字が消えて見えない道標があった 写真3 古道は尾根を通っているのだろう。探索は次回として、鉄塔管理道道標に沿ってトラバース道にはいるがヤヤ荒れた所が出た 次の尾根には小径が走り少し歩いてみると小さなマークが打たれていた。 歩く方がいるのだろうが、この付近は秋の山だ この先の地図がない。引き返し楽な道と書かれたマークに引き込まれたがこれは下山の事らしい 無駄歩きだ 途中で境界尾根に登り返すと此処にもマークがあった 紫線軌跡は意味がないが散策した。 |
倉ノ尾峠まで引き返し、以前小道を見つけていた経験から下ってみた。黒河村と杖が藪や西峰集落付近と繋がった道だろう 状態良く残っているが、尾根先付近でソマ道に入ってしまったかも知れないが、道は全て状態が良かった 只、谷に出て北又川に出る付近は道が流されて無い。沢中を少し歩いた 北又川を越えるには動物道をうまく利用した 谷横を歩くが荒れていた 渡渉点↑ 北又川に出て少し上流に向かうと動物が黒河道に出ている所があった。 此処を登る |
黒河道左右は伐採が進み明るくなっていた 伐採の機械がそのままだった。 林道終点から左に入り、丸太橋を渡って小さな沢沿いを登り、又小さな丸太橋を渡る ここからは踏み跡程度の道だ。注意して歩きたいものだ。マークは少ない 黒河村の跡 桜峠付近から降ろされたという地蔵台座の道案内が逆だ 此処を入る↑道標があるが分かりにくい 橋を渡り谷添いを登るが荒れている |
荒れた道の谷添いを登る 谷を渡るとこの付近から道は不明瞭だ 平村の跡だろうか、山肌にいくつもの石積がある。田が作られていたのだろう。土質がネバく谷の水が豊富だ 踏み跡沿いに登ると、平村、浅右衛門が作った地蔵が出た。 この付近から道が広くなるが相変わらず急登だ 浅右衛門地蔵 |
あえぎながら登ると桜峠分岐が出る。 古いマップに桜峠の名が出る。桜でもあったのだろうか。ここからトラバース道が有り古宮岳東下の集落と結ばれたであろう道が有る 次回の探索が楽しみだ |
桜峠から黒河峠まで道の状態はよい 黒河峠から時間的にヘッデンはないだろうと、揚柳山に向かったが急ぎ足で意味がない 黒河峠 |
揚柳山から子継峠に出ればヘッデンだろうと、三本松パス道を下るが、細い登山道で急坂だが整備は良い 揚柳山と 三等三角点 揚柳山 ここから三本松に下る |
下りきると林道だが木材伐採で道がぬかるみマイッタネ 三本松前に、昭和天皇、皇后両陛下のお立ち跡の記念石がある。 その上に小さな祠が見られた 三本杉 暗くなりかけた。 奥の院に急ぐ 誰もいなくなった奥の院に参詣した。 町の娘がショウトパンツのぷりぷりお尻でジョッキング方々お参りしている お大師さんが困った顔をしているだろうな ここから奥は写真が撮れない 灯籠に火が入った墓中を歩いてみた。 大きな墓や小さな墓、この世の縮図がそこにある。 誰も歩かない墓中を歩いた 何故か爽やかで気持ちが良かった |
思いつくまま高野山付近をウロウロと歩いてみたが 16kmと8時間24分、食事以外はほぼ休憩無しで歩いた 護摩ノ壇は訪ねる人が少ない、シッカリした道がついたこのピーク、マタマタコースを変えて歩いてみたい |
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「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図200000(地図画 像)、数値地図50000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)、数値地図250mメッシュ(標高)、 数値地図50mメッシュ(標高)及び数値地図10mメッシュ(火山標高)を使用した。 (承認番号 平24情使、 第898号)」 |