奈良県吉野郡下北山村主催、大峰、奥駈自然の旅に参加して
コース
持経宿小屋から行仙宿小屋補給路登山口
今回、下北山村主催、大峰、奥駈自然の旅に参加しました。
コースは持経宿小屋から行仙宿小屋補給路登山口下山コースです
朝、7時30分、下北山村きなりの湯、事務所前に集合、森林管理所の許可を得て、白谷林道を持経宿小屋までバス移動、白谷林道は一般車は乗り入れできません
国道425号から持経宿小屋までは約11.5kmです
ショウタンはこのイベントに副隊長として参加しましたが、皆さん私より強靱な方達ばかり、最後尾をユックリ歩きました
コースタイム
持経宿小屋、9:40-千年杉9:55-平治宿小屋、10:50-転法輪岳、11:20〜12:10-倶利迦羅岳、12:45-怒田の宿跡、14:00〜14:20-行仙岳、14:40〜15:00
行仙宿小屋15:25〜15:50-登山口、16:15
前日から行仙宿小屋に泊まり込み、小屋を六時に下山、下北山村運動公園きなりの湯に向かう
丁度夜明け、東の空が美しい。
思ったより時間がかかり事務所に着いたのは7時頃、先ずトイレと向かうが混雑、焦る焦る
事務所前に行くと新宮山彦ぐるーぷの集合、今日は協力グループとして5名が行動を共にする
又、歩かない方達は行仙宿小屋で善哉やお茶接待にと別れる
小屋に集合して参加者名簿をいただくとこれはビックリ、ブログでおなじみさんがいるではないか
4人は事前に知ってはいたが後二人はまさかのま、全然知らなかった
軽く挨拶、今日は楽しい一日になりそうだ
村職員、参加者、山彦ぐるーぷを含め55人は国道425から白谷林道持経宿小屋に向かう。
国道425はクネクネ道だが、紅葉が始まり、切り立った崖は美しい。
白谷トンネルを抜け、林道白谷線に入るが、おそらくマイクロバスがここを通るのは初めてだろう
森林管理所が少し整備をして下さっていたが、ダートな道は悪路そのものだ
持経宿小屋に着いた。
今日の目的は、山岳修験の体験も含まれている。
持経宿小屋
持経宿小屋について
故 前田勇一氏の奥駈葉衣会が荒廃していた南奥駈道の再興の拠点として昭和54年8月に建てられた物である
管理は、新宮山彦ぐるーぷが行っている
小屋横の不動堂で般若心経から始まる
今日の山伏、先達は二人、ホラ貝が鳴り響く
最高齢は78歳、最年少参加者は、小学4年と1年生の兄妹、二人は法螺貝の音に合わせて手を合わす
純心の二人は必死で手を合わせていた。
9時40分奥駈縦走が始まった。総勢55名、最後尾のショウタン少しは緊張をした
直ぐに千年杉につき、横の不動堂で又般若心経を唱える。
ホラが鳴り響く、ここが元、持経宿跡らしい
千年檜は、樹齢800年、林野庁が全国の国有林の中から100本を選んで「森の巨人達百選」の一つとして指定されている
平治宿に向かう。
平治宿では今日のリーダー、川島さんから、小屋の歴史や、今西錦司先生の話なを聞く
持経宿小屋について
新宮山彦ぐるーぷが平成3年に再建した山小屋であるが、
平安時代から連綿と続いた由緒有る宿址である。
全国各地を廻った西行法師は元は朝廷に使えた北面の武士であった。西行は大峰に三度修行して、数々の歌を残している。
有名な歌に、
「梢洩る月も哀れを思うべし、光りに具して露のこぼるる」とあり
持経宿小屋を再建を祝してこの歌碑を建てている。
又有名な登山家でもある。世界的生態学者の今西錦司博士の御来山を記念したヨシノサクラも」植樹している
転法輪岳に向かう。
転法輪岳1281.2m
二等三角点のある山です
データは以下の通り
点名 |
池峰 |
等級 |
二等三角点 |
緯度 |
34°01′28.7215 |
経度 |
135°54′35.2079 |
標高 |
1281.17 m |
山名 |
転法輪岳 |
所在地 |
奈良県吉野郡下北山村大字池峰字部中767番地 |
選点 |
M34年7月18日 |
埋設 |
M34年9月14日 |
転法輪とは仏の説かれた法(教え)の輪が一切の衆生の間を回転して迷いを破砕することを言う意味
少し早いがここで休息、昼食とする。
ここには釈迦の説法岩が有る。故事にならいここで説法を受ける
なもう たっさ ばがわとう あらはとう
さんまあ さんぶつだつさ
ぶつだん さらなん がつちゃあみ
だんまん さらなん がっちゃあみ
さんがん さらなん がっちゃあみ
帰依文
かの世尊聖者成る正等覚者に帰命す
私は目覚めた人を依り所とする
私は心理の教えを依り所とする
私は理想の共同体を拠とする
いえヽだんまあ へえつっぱばわあ
ていさん へえつん たたあがとう ああは
ていさん ちや よう にどうろう
いえばん わあでいん まはあさまのう
法身偈(法身舎利偈)
諸法は因縁によって生起す 如来はこの因を説く
彼のほうは縁によって減尽する これは大沙門(師)の説
仏教の根本義である四諦中の苦集減の三諦を説いたもの
塔を建立したときこの偈を書いて納めた・・・・法身舎利塔
仏教では凡字を以て法身塔とする
あにつちゃめ ばた さんかあらあ
うつぱあだ ばや だんみのう
うっぱじとわあ にるっじやんてん
ていさん ぶつぱさもう すこう
諸行無常の偈
もろもろのつくられたもなは無常である
生じては滅びる性質の物であり生じては滅びる
それからの静まることが安楽である
大峰山正大先達律師
井川元道
等と難しい事をみんなで唱える。これも大峰修行、釈迦の説法だ
短い食事休息、
倶利迦羅岳1252mに向かう。
崖っぷちをトラバースして
狭い山頂で、釈迦ヶ岳、仏生ヶ岳当の景色を岩の上から楽しむ
少し休憩、行仙岳下の怒田の宿跡に向かう。ここからのルートはシャクナゲはが多いが尾根通しは岩盤のため右側を迂回する
R425からこの付近を見上げると厳しい岩稜帯で有る事がよく分かる
怒田の宿址
修験道の開祖 役の行者に次ぐ2代目の行者として名高い実利(ジツカガ)は
下北山の信者の協力を得て明治15年6月この宿址に山小屋を建て修験道廃止令後
寂れた奥駈道を再興した。5分ほど西に下った所に水場がある
実利(ジツカガ)行者
岐阜県坂下村の出身 本名 林 喜代八
明治元年25歳で離婚、出家して上北山村笙の窟千日行、ついで深仙宿に籠り七年間を過ごし千日行を二度実践した
明治16年10月から那智の滝で冬籠もりを行い翌17年4月21日那智の滝を座禅を組んだまま捨て身入廷した
怒田の宿址にて
ここから行仙岳への登りは膝が突く急登、みなあえぎながら登るが、小学生二人は難なくあがっているようだ
快晴の天気山頂からは大峰の山々が美しい、通ってきた尾根が見える。
転法輪岳 倶利迦羅岳、釈迦ヶ岳、仏生ヶ岳、感嘆の声を上げる
行仙岳山頂にて
1227m 三等三角点がある
標高 |
1226.87m |
点名 |
大峰山 |
造標 |
明治37年7月10日 |
所在地 |
旧住所、奈良県吉野郡十津川村上葛川字里の奥2と同郡下北山村浦向字大峰山1230、俗称サダワイ
新住所、奈良県吉野郡下北山村大字浦向字大峯山1320番地 |
北緯 |
34°00′15.8472 |
東経 |
135°54′17.8063 |
標石 |
15×15 高さ30(荒石部分12)cm正面西三等右筆。北及び南西角欠損 |
しばらく景色を楽しみ、集合写真を撮り、行仙小屋に下る25分で小屋に着く
小屋では新宮山彦グループの接待を受ける。疲れた体に甘い善哉やお茶コーヒー
小屋にあがり代表の玉岡憲明氏に小屋の体験談を聞く
休息後下山
佐田の辻浦向道から補給路へと下る
全員元気に歩く事ができた。今回は奥駈行の体験もあり、今以て行者、山伏達がこの奥駈けの道を歩き、精神的な修行をしている
法螺貝が鳴り、真言を唱え行の一端が見えたようだ
登山口からバスできなりの湯に向かい、ここで解散、下北山村からきなりの湯入浴券をいただき入浴帰路についた
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