十津川村、行仙岳ぎょうぜんだけ)1091.6m
2012/11/02
ショウタン
コースタイム
登り2時間
下り1時間40分
総時間4時間10分
行仙岳と書いて、ギョウゼンダケと読む山が十津川村役場の西上にある。
玉置山から本宮熊野大社まで奥駈道を歩く山友のサポートで、玉置山に送り届けた
そのまま、熊の大社で待っているのもショウタンらしくないと、安全策の4時間コースで、ギョウゼンダケに登ってみた
通常は、ギョウゼンダケ、南の小原峰とセットで登るのが良いだろうが、4時間の制約で行仙岳1091.6mの一山のみに登った

コース取り付きは、十津川村役場、西上に有る小森の集落から取付いた
今から考えられない話だが、昔、十津川村役場がこの小森の尾根下に有ったとか
そんな関係で、小森に道が集中していると、役場の観光課の方は言う
尾根越えの道や小森を通る古道は、高野街道(西高野街道)だったという
現在地図から見てもこの道は、三浦峠に繋がっている
 
十津川村役場の横から橋を渡り、小森出合バス停横から、細い道をくねくねと登り、道終点まで登る
今日は軽四バンの四駆だ、ナンダサカ、コンナサカと登って行くと集落が表れるが、住民は少ないようだ
道終点に車を置き、地図を眺めるが、少し地形図と合わない感じだ
モノレール横に、石の階段があり上の民家に登って行く、三軒の民家が有ったが、二軒は倒壊寸前だが一軒は昨日まで生活していた感じだ。
  
そんな民家の下の細い道を伝い、尾根に取付こうと東側に歩くと、古い整備跡が出て上に登ると古道が表れた
古道に出ると、横に二体の地蔵、古道だと感じる
 
西に古道を歩くと民家跡が出る。古い電柱の碍子が所々で見かける。
想像するに、相当数の民家があったのだろう。電柱を引っ張った鋼鉄線の根本が時々残っていた
  
道成りに歩く、と道が分岐して@の地点に行仙と書かれた案内が出る。
小さなテープが上に導く、上だろうと疑いもなく、信じて上道に取付いた
  
 @の位置↑                     トラバース道             抜け落ちた谷↑

ダンダンと道が荒れ出し、ヨヨの感じが出だしたが、これが波線道だと信じていた
とうとう道抜けが出て、トラバースは不可能だ。ほぼ垂直に山が抜け落ちている
右手尾根に乗れば登れるだろうが、どの地点も傾斜がある
エーイ、崩れ落ちた谷上を登ってやれと、急斜面を這い登るが、○危なコース、登り切れるか?慎重にコースを取った
小さな岩はモロそうだ、なるべく雑木のコースを登った
  
取付いた小谷の様子、沢を登ると最後に出る登りのようで、チョット慎重になった
登りきると、尾根には小径が、ルンルンだ
  
所がそう上手く行かない物で、登れば登る程傾斜が出て、道も荒れ出す
通るには問題はないが、それにしても急坂だ
現在地読みは難しく、だいたいここだろう程度の読みしかできなかった
広い垰に出るとそこで小道は消える
 
ジックリと地形を眺めると、道らしい物が見えてきた。
マア後50m程度、登れば三角点があるだろうと、小道跡らしいところを登ると、やはりテープが打たれていた
少し道の位置がおかしいが、マアイイカと山頂に登ると、そこに三角点があった

 山頂に二基の鉄塔があったようだ
点の記
等級種別 三等三角点 三角点名 行前嶽
北緯 33°59′53″.7278 東経135°46′01″.2431 標高1091.63
真北方向角 0°07′49″.00
           
見晴しは良く、大峰奥駈道の行仙岳(ギョウセンダケ)が真東に望めた

本当に真東だ、山名の謂れが有るのだろうか

見晴しはよい、大峰の行仙岳、笠捨山 鑓ヶ岳、地蔵山と山座が同定でき、奥八人山や大森山が間近に見えた
  
下山は尾根道から尾根越えの道が載る所まで下ろうと、急傾斜の道を慎重に下ったが、途中で地図を見ながら歩き、あわや滑落、帰らぬ人になりかけた。道は良いが左右は○危な傾斜地や崖だ
下って行くと、尾根越え道がハッキリと有りここは五差路に成っている
一体の地蔵が、高野街道で有る事を示していた
  
正面には、弘化二年と掘られていた。古いが綺麗な地蔵様だった
ここは新しい道を入れて五差路だ。左手か、真下に下るか
真下道は少し先で広く平らだ」 下っちゃえ。上手くすれば松本集落に出るだろうと下った
イイカゲン下ると、広いソマ道風の道が出て、ここにBの道標が出た
ここが、取付きに続く水平道だろうとここで北に小道を取った
←B ←C
途中でCの道標が出る。頭はパニックだ。?? 読図に自信が無くなるが、マッどこかに出るだろうと進

道はルンルンで、途中に取り水設備が出て、その少し先で、アラ、@の道標地点だ
ウーン、ドウモ道が理解できない
メガネをかけて、読図した
と、小さく@の地点で行き止まり道が書かれている。
登りにコノ行き止まり道の波線道に入った事が理解できた。
コノ@の地点付近に民家跡が見られ、碍子の残骸が多く見られた。
屋内配線の物も見受けられた。
分岐の手前に、井戸跡が有る。こんな所に井戸と屋敷跡、ここが役場跡だった事が容易に想像が付く
屋内に配線された家が明治か大正時代にはそう無いだろう
昭和の初めでも、こんな山奥では電気は珍しい物だったはずだ
屋敷跡 井戸跡

行仙岳に登られた、山歩様から情報を頂きました
以下、掲示板からのコピーです

十津川村役場跡
楽しく拝見しております。今日、十津川村役場跡のことに触れられた文章を拝見しました。ので、つい昔のことを思い出しました。ここへ足を運ばれる方はほとんどおられないので、ちょっと吃驚し、思い出した昔話を書かせていただきました。

最初は、2002/05に行仙岳へ登った時、二度目は、2005/12に山崎大橋バス停から、旧西熊野街道を歩いて小森へ出たときですが、十津川警察署跡の標柱も見かけました。そのご調べたところ、十津川警察署は昭和23年まで、十津川村役場は昭和24年まで、ここ小森の稜線にあったそうです。私がバスを降りた山崎にバスが来たのが昭和12年、小原まで来たのが昭和22年だといいますから、私が歩いた道は、この時まで使われていたことになりますので、谷道にも感慨がありました。

 
廃屋民家跡に出て、林道終点まで下り、4時には下山するであろう奥駈縦走者のサポートに向かった
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