和歌山市六十谷の裏山が紀泉高原である、その中腹に岩神山が有る
登山としては、余り知られていなかったが、六年前岩神山の中腹に、岩神十一面観音が祀られている
ことを知り,地元の方に尋ねたりしながら岩神十一面観音堂に行った。(以後岩神観音と書きます)
道は、荒れ放題、観音堂は大石が落下、屋根が抜け落ち、大変な事になっていた
ただ、時々人が来るらしく、道はかろうじて有り、ロープ等が張られていた
本寺は、六十谷の大同寺と判り、又、寺の総代が、時々お参りしていることを聞き、
道の補修や、草刈り等許可をもらい整備にかかった
約一年で、昔の状態に道は出来上がり、道標を取り付けると、登山者や、昔を知る、里人が岩神山や、
岩神観音に登られるようになった
又、総代さんと共にお堂の修覆に一年ほどをついやした
岩神観音が約六百五十年前の物とは知ってはいたが今回、総代さんや、大同寺住職の計らいにより、
岩神観音の縁起を知ることが出来た。
寺の非公開の宝物帳の中から、一行のコピーを頂き、公開の許可を得ました。
ただあくまで宝物帳であります。無断のコピーや、転載はいっさいお断り致します。
又、無断でのリンク等もお断り致します。
宝物帳のコピー、およびこのページの著作権は、大同寺と私にあります。
紀泉高原(紀泉アルプス)は古来山全体を葛城山と呼ばれていたことが伺える。
明治時代
明治四年の排仏棄釈令により岩神観音は地元の氏神である射矢止神社に合祀された。
現在も、射矢止神社裏には、岩神観音の社があります。(建物のみ)
昭和二十六年、大同寺の先代小川住職により岩神山に戻されるが
このとき、明治中頃から昭和にかけて採石が行なわれ洞穴は無くなっていた。
地元の高齢者にこの洞穴の存在を知る人がいたが、今は故人です
この洞穴に、土器や、貝殻が有ったとの証言がありました
現在も、お堂東側下に、それらしき物が見受けられる
昭和三十七年に
祠裏が崩壊、観音様が土中に埋るが、これを地元民 廣崎隆光他数名により、無事発見される。奇跡的な事です。
仮安置後
昭和四十二年
現在のお堂が建てられた
このお堂は、地元婦人三十数名が、ブロックや建築材料を運び上げた
もちろん、数名の男性もいた。
この方達も、高齢で、生存している方達は少ないが、一度、八十五才のご婦人が、お参りしているのと出くわした。
やはりこの方は、ブロックを運んだ方の一人でした
現在、寺総代の廣崎某氏もその内の一人で77才の今も元気に急斜面を登りお参りしている。
その後
阪神淡路大震災の時
裏の、大岩が落下、屋根を直撃、大破するが奇跡的に、観音様の、数センチ前に落ち
難を免れた。
今も、大岩はそのままです
本当に奇跡としか言いようが有りません。
現在、地元民と大同寺により、再度お堂の再修覆の話がある。
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↓岩神山