野迫川村中津川の陣の峰 2010/12/11 単独 |
コースタイム 中津川小学校09:00-陣の峰(ジノムネ)11:35-オッパングエ12:20-矢放峠13:45-仮称矢ハズ山13:50〜14:20-中津川神社15:15 総時間6時間15分 |
一等三角点の陣ヶ峰が同じ奥高野に有るがこれは高野町に属する 今回登った二等三角点の山頂、陣の峰1177.4mは陣ヶ峰より71.2m高い、山容も面白く多くのコースが考えられる山で初心者から上級者まで登山に面白いコースが組める山だ。今回ルートハンティングを楽しむべく古道を多く歩くコースを考え歩いた 山頂に我が師匠の字で、ジノムネの山名版が鎮座する。地元言葉はジノムネだ、飛養曽地区から伸びる尾根は不動峯と呼ぶ事が点の記から読みとる事が出来る 今回下見しておいた野迫川村中津川の廃村から波線道を歩き、村界尾根を登る計画でルートハンティング楽しむべく歩いたが、山抜けで尾根を変更した。変更尾根は王子製紙所有林で立ち入りには許可のいる尾根だったが、帰り立ち入った事を報告して事後承諾を得た。王子製紙京都事務所TEL075-461-7845、 |
取付いた中津川地区はその昔は相当不便な所だったのだろう。村の鎮守の神様が祀られた村入口まで林道がついたのはごく最近のようだ。林道に記念碑がある。電気や電話線は新しく有るが数個の民家は無住に成っていた 村入口の中津川小学校はもう倒れる寸前だが、この小学校の卒業生達が時々訪れて黒板にその足跡を残している 小さな村の小学校、夢一杯の中津川地区は今もその名残がイッパイだ |
小学校のグランドに車を止め車道になった道を東に歩いて行く、行き止まりにお寺風の建物がありその手前の尾根先から波線道で書かれた道を大井谷に向かって捲いて行く、古道跡はハッキリと有り歩くには問題はない 時々小さな谷越えは道抜けもあるがまるで問題はない 倒木は有るがこれ又問題ない 広尾根先のナダラカな部分は棚田跡が多くあり途中二ヶ所左手尾根に道が分かれていた(地図参照) 高野山に二万の僧兵がいたと聞く、この棚田から僧兵の食料が作られていた事は容易に想像が付く |
軌跡から途中で古道を外している。現地では問題なく道が有ったが、地図左手に山抜けマークが有るがこれが無い事に気づかなかった。尾根先を回り込んだナダラカな部分で古道を外したようだ。大井谷に下る少し手前で道がほぼ無くなっていたが私的には問題はなかった 広尾根先の道 清水峰が見える 二次林か少し雑木をくぐる。この辺で道外したか |
大井谷に下るが山が大きく抜け古道が消えている。 尾根先に向かおうと河原を歩くがこれ又倒木で行けない、境界尾根に直登も良いが大井谷が分岐する尾根先から直接三角点に登ろうと計画を変更した。地図を良く読むとアラ、どうも古道位置が違う。?? とにかく尾根先にと大井谷を少し遡上した |
大井谷が分かれる所に小さな滝がありそこから尾根に取付く、途中に王子製紙の立ち入り許可看板があった 綺麗な尾根だが傾斜はソコソコ、踏み跡らしい道が見えるがハッキリしない とにかく直登だ |
山頂に飛び出せばそこが陣ヶ峰(ジノムネ)山頂に新宮山彦ぐるーぷの山名板が有りそこにはジノムネと書かれている 物知りな玉岡憲明リーダーはおかしな名前の山が好きで何処で調べるのか大峰に関係のある山域の山名は本当に詳しい 三角点の記は山頂にいつも見る宝来の鈴さんの点の記板が有り点の記は鈴さんのをお借りしたい |
山頂で立ち休憩、旧大塔村飛養曽地区に向かって尾根から古道にと歩き、途中にある山抜けマークのオッパングエと呼ばれる地点を確認に行った。オッパングエ?? 山抜け形がオッパン(仏壇に盛る飯の事を私の村ではそう呼んだ)似ているからか?? グエは崩れるの意味だ オッパングエ |
オッパングエから尾根に登り返し、尾根から引き返し途中から矢放峠に向かう古道を歩いてみたがほぼ道跡はなくコースは外したようだ。それらしい所を歩いたが甘かった 途中で尾根道に出て一登りで矢放峠に出た。尾根には道はハッキリとある 矢放峠の北上山頂1151mで遅い休息と昼食、地図を片手にオムスビをほおばると、見えるは見えるはここからの各ルート 尾根伝いに猿谷ダムに、2ルート、紫園と呼ばれる廃村地区に、マタマタ遠くは野迫川村の今井地区に、この山域は面白い 一つだけ有った測量跡 古道か?? 抜け落ちた所、ヤヤ○危 尾根 矢放峠 ピーク1151m(矢放山か??) |
風が冷たい、下山は車を停めたグランドの上にある神社を目指した 冬枯れの落ち葉の上は足に優しく綺麗だ、途中の広尾根はコース取りに注意が要るがコンパスを取り自由に歩ける やがて小道が表れ、テレビアンテナから大きく曲がり下り、途中から道を外れて神社上に出た |
時間も少しある。小学校内を見学さして頂いたが、もう床が抜け危険な状態だ 中には古い資料が埋もれている。研究者には宝の山のようだ 何とか保存して頂きたい気がして成らなかった 小2の本 昭和12年の本 |
帰りに飛養曽の登山口と、猿谷ダムの堰堤に下山できるか確認に向かった 猿谷ダムは堰堤上に遊歩道がありそこに下山できるとの事、飛養曽地区は村の最上奥に登山口道標があり車が駐車できるがどうやら地区の車のUターン場らしい、それなりの配慮が要りそうだった 」 飛養曽の登山口の様子 |
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「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図200000(地図 画像)、数値地図50000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)、数値地図50mメッシュ (標高)、数値地図10mメッシュ(火山標高)及び数値地図5mメッシュ(標高)を使用した。 (承認番号 平21業使、第652号) |