紀泉アルプスマイナーコース 墓の谷行者堂と西谷の池、師範学校訓練校舎跡 2013/11/13 ショウタン |
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とetrexVISTAHCXの性能の違いを試したく紀泉高原の衛星電波の拾いにくいコースを歩いてみた 結論から言うと、紀泉高原のような低い山の谷は性能には左右される事はなかった ついでにスマホの地図アプリも試してみたが、このようなコースならGPSと現在地にズレはなかった アプリは地図ロイドで軌跡は山旅ロガーです スマホはUrubano,progresso,京セラ製品です |
六十谷のスーパーでインスタントラーメンとおむすびを買い、千手川沿、左岸道を大関橋駐車場に向かう 平日のためか車やバイクは無く登山者は少ないようだ。久々の紀泉アルプス、コースは墓の谷行者堂の参道を奥畑、牛神、井関橋と谷道を選んだ。今回気付いた事だが、ボランティアが新しい道標を多く作っている 古い私の道標が消えつつある。モウ役目はおわったようだ 千手川沿い 出世不動尊先の登山口道標 青空に皇帝ダリアが美しい 八王子社跡に有ったという灯籠が未だ健在だ 小川地蔵と大福山道標が新しい 大福山八王子登山口分岐道標 |
正面にバベ尾の鉄塔が見える 橋を渡ると直ぐに牛神神社がある お参りの丁石があったが、一部は忘れ去られ笹ノ中でひっそりとある。20丁石 西河翁がこの小屋で道案内をしていたのが懐かしい 18丁と呼ばれる井関橋付近、18丁丁石があり井関峠との分岐点だ。此処にある灯籠は某氏がどこかから持ってきた者だ この某氏、地蔵を動かしたり、名石を動かしたりと歴史を変えて行く、困ったものだ ここから、2代目に買ったEtrx LEGENDはほとんど電波を拾えなかったが、今はスマホも電波はひらった |
墓の谷林道もボランティアで整備して下さった大久保氏が高齢で整備が出来ずやや道が荒れ出したが、少しずつどなたかが整備なさっているようだ。 墓の谷、行者堂は少し色付き始めたが今日は静かだ。 途中に山が抜け通行禁止の看板があるためだろうか、歩くには問題のない状態だが 行者堂でもスマホは電波をひろうことができた ここから、マイナーな道、お堂左手谷に入る、大阪、泉南方面の方がお参りした道という谷に入って行くが、モウソノ跡はほとんど無い テープを頼りに歩くしかない 少しとまどう部分が有ったが東尾根道に突き上げた 荒れた道 わずかに残る石積み 此処も電波をひらった |
丁度、楠木の所に出た 東尾根道を井関峠に向い、井関峠から西尾根道へとはいる。大福山方面だ 籤法ヶ岳(くじほうけだけ)は地元民の呼び名で、現在は字も変わり、くじ法ヶ岳の名が消えつつある その手前から、道標に従って西谷の池に下る 此処に道標がなかった頃私が道標を揚げたが、行政や新しい物が出来た。 今回取り外して、役立つだろう地点に移し替えた コノ尾根は急傾斜だが踏み跡はシッカリとある 踏み跡を探しながら下ろう。テープ等はない 東に道が曲がる先で、師範学校訓練校舎跡が出る 植林の中の石積みがその跡を残す 付近には、炊事場跡や小さなダム跡、国旗掲揚台、伊太祁曽神社の分社祠があるがそこを探す事は難しいだろう 下山は、荒れた沢沿いを下るが、沢沿いはズルズルと滑る 沢内を歩く方が安全かもわずか100mだ 直ぐに堰堤が出る。その右端下に道が有り西谷の池上に出る この付近は少しややこしい。 西側上の竹藪の中に道が有る。テープを探そう 堰堤に出て、堰堤右上に道が有り梯子で堰堤下に下る そのしたが岩場だ、注意して下ろう 杉植林の中に道が有るが分かりにくい その先に、湯川家の栗畑の小屋があるが、モウ栗などはない荒れ地だ 池は底が抜け水を溜める能力が無くなったようだ。 樋と呼ばれる水抜き装置が壊れたようだ |
問題なのは、八王子口まで後少しの所で橋が腐り通行が難しくなっている事だ 以前、シマヤンと、生石山から丸木を持ち運び架けた物だが痛みが激しい 少しブッシュだが、右手から谷川に下り登り返せば安全だ。 只、ブッシュはスゴイが5mも無い、頑張ろう 八王子登山口から林道を小川地蔵まで歩く 途中のおねしょ地蔵、は参る方もなくなったのか何か寂しい 車道に出て、大関橋まで帰った。 5時間程度の周回だが初心者には難しいだろう 単独では行かないで欲しい 尚スマホ全て電波を拾う事が出来た。 古いEtrx LEGENDよりは受信感度が良さそうだ 又、実験してみよう |
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