小富士山と雨山
2015/05/24
2人

○印は展望が良い地点

コースタイム
水呑地蔵から小富士山周回、1時間50分
雨山登山口から雨山、1時間10分
雨山からの下山タイム2時間
総時間6時間45分。(山頂休憩1時間45分、景色楽しみも多い)
炉端山友会のオフ会が流れ、天気を気にしながらKAZUさんと小富士山バリエーションと雨山バリエーションを少し組み込んで二山を周回した
どちらの山も里山の低山だが、大阪平野や大阪湾の見晴らしが最高で、紀泉山脈を背に最高の景色を楽しんだ

小富士山から関西空港方面を見る
朝から雨予報が外れるだろうと高気圧の位置を気にしていたショウタン、KAZUさんに朝決定するよと電話、山好きなKAZUさんは即答でOKだ
和歌山から池田隧道を抜け犬鳴山前を通って直ぐだ。水呑地蔵参詣駐車場に車を置かせてもらい、おまけにトイレまで借りてごめんなさい

小富士山は、水呑地蔵の裏山で小富士山の斜面に祭られた、四国霊場の参詣道を山頂に登る
これが急登でふー
  
石仏も多いが、神様も祭られ途中で商売の神様 巳さんやだんじり吉兵衛さんが祀られていた。
  
だんじり吉兵衛さん祠↑                巳さん、紋が三角だ                    最後の地蔵

この付近から参詣道が切れ、テープが巻かれた踏み跡道に入る
途中で振り返れば、雨ノ山の土山城跡が険しいが、美しい姿を見せる
  
踏み跡道入り口↑
急な斜面を登り、ピークに出るがここが小富士山山頂ではない。
見晴らしは、小富士山山頂より良いピークだ
 
少し下りこみ小富士山山頂に登る。
山頂には、三等三角点、小富士が有るが四隅が欠け痛いたしい
見晴らしは西側が開けるが大パノラマではない。雑木が見晴らしを隠す
 下り方向をみる

国土地理院新マップから開発小屋に向かって下るが、ここはテープや踏み跡は薄い。
道跡を探りながら開発小屋に向かって下る
新マップにも開発小屋は載っているが、この時点で小屋名はわからず、何の小屋かなと話し合う
細い尾根の崖っ縁に立つ小屋だ
地図に道は載るがその跡は薄い。おまけに低木は尾根の位置を隠し、ルート取りが難しいが、よく見るとその道跡がある
小屋にコンパスを取り現在地を探る。
  
少しシザに行く手をさえぎられるが、コース取りが悪いはずだと付近を見るとやはり道が出る。(ショウタンがわかる程度)
  
現在地が読める位置のコルに出てコンパスを取った。
ピンポーン、地図道とぴったりだ。
小屋手前の小さなピークから、小富士山や泉佐野の町が綺麗だった
 
サア、どのコースで下ろうか、実線よりも破線道が面白いと、破線道を下る事にした。
入り口でコンパスは取ったが、後は道なりさと安心しきるショウタンだ
途中で、おかしい、尾根の東側を通っている。西側でなければおかしいと頭をひねるショウタンに、KAZUさんは、ショウタンこの尾根ではと正解をだす。ショウタンは小富士山と土山城跡からコンパスで現在地を探った。
KAZUさんの正解だ。いつも手を抜くショウタンは失敗が多い
  
地図に載らない道だ。このままでは阪和道に下る。
どこかで右手に下ろうと話すが、適当なルートが無い、道が終わった
その先で小さな尾根風の斜面を下り、目的道に下った。
  
高速下を潜り、雨山登山口に向かう
  

高速橋げたの下に登山口がある
  
橋脚の向こうに登山口がある             高速下登山口                      鉄塔道ここからも登れるようだ

登山口から少し入ると、左手に鉄塔道道標が出る。ここからも登れるが、正式な道ではないようだ
さらに奥に歩くと地図に載る道が出る
  
登山口↑                           道標                         登山道↑

マア、急な登りだ。途中で整備階段が出る ふー 汗がポトポト
一つ目の鉄塔が出る。ここからの見晴らしも良い
  

急傾斜だが道は良い、
KAZUさんが始めて読図講習を受けた山だと言う。
現在地を当てるには簡単な山だ。鉄塔や小富士山から現在地が読みよい
  
小富士山↑                        登り尾根の北尾根、ハイカーが見えた       土丸城跡287m地点(城ノ山)
土丸城跡の城ノ山がでる。鳥居があり、小さな祠、前の広場先から見晴らしが有り、いかにも山城らしい跡だ

朽ちた看板には、土丸城由来と書かれ
土丸城は正平元年、当市、日根野町にいた豪族日根野氏により築かれたと考えられている。
同(1348)三年、高師泰は吉野の行宮(あんぐう)をおかすにあたって、日根野時盛にこの城の警護を命じた
同八年、楠木氏一族、橋本正督が時盛をおってこの城に入り尾根続きの雨山になわばりを広げた。
いわゆる雨山城である
と書かれていた
土丸城跡から下りこんでゆく。
その先の暗部から向かい尾根に出るルートがあった。
 暗部と道
途中眺めのよい地点が出たり岩場が見えると、あれは練習用に良い岩だ、なんて言いながら眺めた
途中に井戸が出た。中を見るとそのままでも飲めそうだったが、さて??
  
あれ、東向きに西ハイキングコースの道標が出た。??二人はおかしいと頭をひねるが、わからない
とにかく山頂に出ようと山頂に出る。
東屋と祠があり、ここが雨山城の本丸跡らしい。
大きな城だったようだし、見晴らしも良かったのだろう。今は東屋下に見晴らしが有るがそこに行かず。東屋で昼食だ
 
城については看板写真を載せておきます

「雨山は、標高312m、本町南部成合地区に位置し、中世には和泉地方における南朝方の拠点、雨山城として山城が気づかれました。
 雨山城については諸説ありますが、貞和2年(1346)に橋本正高により城として整備されたようです。城域は、出の丸として隣接する泉佐野市の城ノ山にまでにおよび、紀州と泉州を結ぶ粉河街道を押える山城として戦略上重要な城であったと考えられます。
 今でも、千畳敷・馬場・月見の亭などの名が残り、本町朝代地区には、橋本正高の業績を刻んだ崇忠の石碑が残っています。
 頂上に残る石祠は、闇龗神を祭神とした雨山神社跡で、明治41年(1908)に大森神社に合祀合併されました。 平成6年3月 熊取町教育委員会」

雨山山頂は熊取町だ
泉佐野市の城ノ山とは土丸城跡のピーク287mピークの事だ
山頂から景色も見ず、冷たい泡茶で乾杯、食事はそこそこに、ロープワークの勉強だ。
炉端山友会の講習での復習だが、それを発展させてゆく。ワイワイ
12時半から2時15分まで1時間45分はあっと言う間の時間だ。
次回のミーティングで講師に確かめようと、疑問点は残した
そこで、KAZUさんの古いエアリアマップから、西ハイキングコースの意味が解けた
この道標じゃ何処に向かうか??わからない二人だ
道は、地図参照、
とにかく道標に沿って歩いた。
  

道は荒々しいが、見晴らしは最高で、犬鳴山方面の山や三峰山が美しい
直ぐに月見亭がでた。見晴らしがいい
鉄塔から現在地を探りながら歩いたが地形から現在地が読み良い
  
雰囲気の良い小道だ
  
小富士山                         土丸城跡雨ノ山、 雨山山頂                   土丸城跡雨ノ山を振り返る
泡茶が利いているのか汗が噴出しふー
西ハイキングコースまで下り帰るには距離がある。
ショウタンはマタマタ、バリコースを言い出した。
国土地理院新マップに途中で切れた道が載る。
この道は鉄塔管理道と見て、これを下ろうと言い出すショウタンだが、KAZUさんは、
岩陵マークが怖いと言うが、駄目なら引き返せばいいさと下って行く。
  
P306したの管理道入り口↑

なーに管理道は、上からだけではないさ、きっと下からもある。
この尾根にコンパスを取っておこうと地図で小さな尾根先にP306からコンパスを取った。滅多に無い大きな距離でコンパスを取っておいた。
目標鉄塔が出た。サアその先は、見事にコンパスが指す尾根に乗り、そこには管理道があった
ただウバメガシの落ち葉は半端無く滑る。用心用心
  
プラスチックの階段が続く。
尾根先に出たが、アララ、動物囲いが行く手を阻んだ。
最後まで階段が有り鉄塔マークもある。どこか外れるだろうと探すと、一箇所そんな所があった
ここで方向を探るが、どちらが正しいか、
水路に沿った。
耕した田が出た。方向は不明だがどこかに道があるさ、適当に探すと道が有ったが、又囲い
外せるがあまり出入りは無いようだ。どこかにトラクター道が有るだろうがそれがわからず、田の畦跡を歩き道に出た
  
どこかにトラクター道が有るはずだが??わからなかった
途中で日根荘園の遺跡がある
豊かな水が流れる水路が多かった
古い時代から使われているのだろう。
ワイワイと案内を呼んで、地図を見ないで水呑地蔵に向かいかけると、KAZUさんに、ショウタンこっちが近いと、アララ、ごめんなさい
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