世界遺産紀伊山地の霊場と参詣道
小辺路を歩く
高野山から大滝集落

歩行時間2時間30分
11月7日は紀州山の日です
少し早いが紀州山の日のイベントに参加しました
今回は、世界遺産、紀伊山地の霊場と参詣道の一つ、小辺路を高野山から大滝集落まで歩きました
小辺路は、他の参詣道より{世界遺産の道(大辺路 中辺路 伊勢路)(修験道の道、大峰奥駈道)}距離は72kmと短いが大峰奥駈道を除くと一番厳しい熊野参詣道です。1000m越えの峠が5ツ有り{薄峠、水ヶ峰、伯母子峠、三浦峠、果無峠、}そのうち薄峠(ススキ)を越えて大滝集落までハイキングを楽しんだ
(ススキ峠は当時、この付近が薄原だったことからその名が付いたのではと高野町観光課の話)
語り部は大滝地区の区長さんでこれは詳しい
この記事はその区長さんに聞いた聞き覚えです。
高野町役場を9時30分に出発、スタッフ合わせて60人超、長い列が高野の町を歩く
 

金剛三昧院の道標を見て金剛三眛院に向かう道路は狭いが、古い町の香りが漂う通りだ
一つ小さな十字路を越えて行くと三叉路に、小辺路の道標が有った
  
金剛三眛院を取り巻くように小辺路は林道風だ
直ぐに植林の山道になるが、ヤヤ登りの道は古道の雰囲気はない
大門から来る、高野女人道と出合う。
そこが大滝口と言われる昔の女人結界だ
そこから、高野三山の摩尼山が見晴らせる
高野山の最高峰、摩尼山は何度か登ったが、その勇士はあまり見た事がない
  
道標は完璧で、道は広く歩きよい、途中から和歌山の山々の山襞が美しいが、山座は同定できず地図を持ってこなかった事を悔やむがもう遅い
薄峠(ススキ峠)で小休止、ここからは古道の状態が守られている。
細い下り道は初心者にはつらい物があるだろう
ここで 区長が、薄峠の事をススキ峠と言う。
無学な私は、薄の字が、ススキと読む事を知らなかった
この峠の上の、三等三角点、鈴木峠が訛った物かなと思ったがそうではなかった
(高野町役場も鈴木峠の事はわからないと言っていた)
 
やはり古道跡、途中でビクと言われる場所があり、語り部小倉徳太郎氏がここに尼寺が有ったのだろうと言う
ウン 女人禁制 ??? 
途中で食用のネズミタケを見つけた
 
何と、列が停まり、わいわいガヤガヤ、ナナ何とマッタケが、籠や袋にイッパイだ
有る所に有る物だ
大滝集落の住民が、朝から山には行ったという
結果、これを入れたマッタケ豚汁がお昼に出た
香りがたまらない

  
急な坂を下りきると、田の跡に出る
ここで語り部さん、もう集落は限界集落を越えている。コメは作れない変わりに高野槇を植えているという
これも手入れが大変だが、生命力があり、墓の花などに使うと他の花より10倍長持ちするとか
高野山の花木の特産だ
又、幹は柔らかいが水に強いという
290年も木の橋の橋脚にして持ちこたえた話を聞いた
御殿川を越えて車道に出るが、二輪駆動なら滑ってしまいそうな道、何も整理しないで背負っているリュックは10kgを越えている。いらない物は車にでも置いてくれば良かったと反省猿だ
所が車道が付いたのは昭和39年だという
この坂を炭を背負って高野の町に売りに行ったという話だが、15kgの炭がだよ、11個を背負って高野に行ったのがもっともの力持ちだという。計算して 15×11=ハイナンボ
少なくても八袋が普通だったとか 凄いですね
 

 

少ない村人が、おもてなしをして下さる、家が7軒、人口13名、高齢化率76.92%その集落の、奥様方6名が60人分のマッタケ豚汁と、オムスビ三個ずつ、おまけに、あんこモチをふるまって下さる
公民館で語り部の区長の話は目から鱗だ

800年以上の歴史を持つこの集落、平家の落人が先祖か、熊野参りの方が住着いたのかそれは分からないが、昭和15年の天狗木峠の道が出来るまでは、質屋さんまで有った集落という
電気が来たのが昭和32だそうだ
廃校舎を改築した山の学校でおもてなしを受けた後、今度は大滝を見学に行く
ここが村名の発祥の滝だ、綺麗な滝は紅葉時は1日数十人のカメラマンが来るという
隣に護摩の滝があり、信長の高野攻めのころ僧兵は30、000を数えたとか、それを越える人口を支える水が乏しくこの滝で護摩を焚き雨乞いをしたとか、
地元の方に気になる尾根を、頂いた絵図から尾根名を聞いた
マタマタ、ショウタンの大滝通いが何度か続くだろうな
大滝地区の皆様有り難うございました。又遊ばして下さい

大滝                                      護摩の滝がある岩稜 千川にある
 

千川とは千の谷があると言う事だそうで、陣ヶ峰に源が有るそうだ
余談の一つとして、古道はほとんどは山を直登している
これは、避けずに通る、修験道の考えだそうです
道を巻けば緩やかになっても道は直登だった、それは生活自身にも修験道が入っていて直登したとか
時代と共に道は緩やかに尾根を捲いていったとか、小辺路は生活道でもあり、修験道や参詣道だったとか、
72kmを三日で歩いたそうだ
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