高野山古道を尋ねて
雪池山、阡場山、(戦場山)
2016/11/30
二人
  
1/25000とカシミール地図1/50000軌跡
コースタイム
市平橋07:50-市平08:00-桂の木08:08-林道出会い09:05-戦場山09:50-久保10:15-雪池山12:30〜13:00廃屋13:50-久保小学校14:45〜15:00-林道出会15:45-市平16:20〜16:38-市平橋16:45
総時間8時間55分
距離16.7km
世界遺産、紀伊山地の霊場と祈りの道が追加登録された
その追加された黒河道の枝道部分の古道跡を登り探索してみた。
廃村寸前の九度山町市平から雪池山までの古道探索だ
途中に、阡場山(戦場山、又は大将軍山)が有り三等三角点河根に登った
先ず九度山の丹生川(玉川峡)沿いの道を高野山に向かい、市平の車道入り口の凸地に路駐して、市平橋を渡り市平に登る
 
急なコンクリ道を登れば民家が現れる。そこが市平だ。廃村寸前ですが、柿の畑は美しい
ここに、会社の大先輩が住まわれているが、お会いできなかった。
さて、太閤坂と呼ばれる黒河道取り付きは先輩の家前を入って行くが、行政の案内はない

  
私設案内の道標を頼りに聳え立つ峰山を越えて行く。
集落の直ぐ上に古木の桂の木が有り、下に祠が祭られている
青いシートが敷き詰められているのは、雨水の浸入を防ぐためだろうか、手入れは少ないがいまだ祀られている
  
祠下の太閤坂(黒河道)をひたすら登れば林道に出くわす。
途中に地蔵や祠が有り、ここが生活道として、又高野参道としての証が今も存在している
  
気づくことも少ないだろうが、墓地の跡も有り、先祖の墓がそこに有った事を書く石柱なども有る
随分高い山の斜面に家があったのだろう。
自然林になり急に開けるとそこが林道でだ。あとでこの林道が開かれた事も書いてみよう
  
 太閤坂道                         林道出会い                      正面の美砂子谷に下る印

林道出会いから黒河道は分かれ2ルートと成るが、正面の美砂子谷(びしゃこたに)に下るルートは極最近整備されたようだ
私達は、林道ルートで久保小学校に向かった
林道終点から道標に沿って谷に入るが、谷は田の跡に植林された所で痛みは激しい道だ
  
ショウタン的に見れば、古道は谷に下らずそのまま尾根を越え、戦場山(阡場山)の峠越えに出ていたのだろう。
 戦場山取り付き
戦場山について、昔県主催で歩いた時は阡場山が正しいと聞いたが、今回の県の資料は、戦場山としている。又、大将軍山と呼ぶ研究グループもいる
戦場山は、何もないピークだが自然林は美しい三等三角点、河根が鎮座する

一汗流して着く戦場山だ
峠に下り、美しいトラバース道を下ってゆく、途中で登るであろう子継道(黒河道)の尾根が鉄塔から想像できる
  
少し急傾斜をくだりきった所に美砂子谷(ビシャコ谷)からのルートと出会う
平らな道に出れば正面に久保小学校が現れる
車道への出口に、観音菩薩と弘法大師が彫られた石の道標にも「往来安全」の文字が彫られ古道だったことがわかる
 地蔵も脇に置かれていた
小学校裏から黒河道に入り、茶屋道手前の分岐から滝の又と黒河村を繋いだ道の探索に向かった
前回、雪池山からバリエーションでこの道に下った経験から、黒河村跡に一軒現存する廃屋民家に行く計画だ
  

茶屋堂手前30m程度の分岐を入る。

滝の又の辰巳谷家の奥様はお留守だった。少し寂しい思いでトラバースで書かれた破線道に乗る
  
途中に土葬跡が有りここにも生活観が見られるが、今と成ってはそれを知る方も少ないだろう
地図で見るより道は一汗流す
前回下りきった所付近が天狗のくら、といわれる所か??、広い平地の先に、溶岩が噴出したような花崗岩の岩があった
  
そこから先は、動物の踏み跡程度のトラバース道だが、古い生活道の有った事は伺える
慎重なトラバースで一歩一歩と進んだ
 
進んでゆけば、もうその跡がハッキリしない垂直に近い斜面になり、落ち葉がすべりを誘発しそうな道となり、あと少しだが、道探索は諦めた
高巻きで黒河村跡の廃屋まで行けないか、地図を探るが、その傾斜は変わらないと判断して、大きく雪池山を高巻くことになった
予定外だ
 
這い上がるような急斜面を登れば前回下った尾根だがやはり50m程度は這い上がる急斜面だ
ふーと雪池山に登りきれば、動物調査会社の美形の青年がいた
  
熊や鹿の生態を調査しているという
背中のリュックはボロボロでタイツもすそはボロボロ、尋ねれば、ブッシュがそうさすという
街中の青年に見られない精気が漂い、背中のヘルメットがゆれる様はそのまま映画に成りそうだった
剣付き長靴で急斜面を下って行く、現代忍者だろう。憧れる職業だ
陽だまりを見つけ昼食を楽しんだ
雪池山を少し30m?下りこんだ境界コンクリ杭から尾根を下る
世界遺産追加登録のためか、この付近も古道跡の調査がなされその跡が新しい、とは言え尾根を間違うようにテープが多く巻かれている
地図はシッカリ見よう。
  

下った尾根の古道は二度ほど登った経験はあるが、落葉期は初めてだ。
途中に新しく斜面に測量道が出た。地図から道はこの斜面道に入り黒川峠に出るのだろうと想像した
又新しい道を見てしまったショウタンだ。

黒川峠とは、雪池山と女人道尾根の間の最暗部で、子継峠に出る道が有る
黒河村の 愛染寺跡からひうら坂(道)と呼ばれるルートがこの黒川峠を越える
その道も探りたいのだが、時間が許さずで未だ歩けていない
  
下った古道は、小さなピークを巻きながらその跡も濃いが、初心者には難しいかも知れない
  
田の跡が出ればその下に廃屋が出る。

黒河村の地に最後まで住まわれた民家で、住人は今黒河道の語り部をなされている。
この方の語り部でこの家を知った私だ。
家内工業的に何かの製品を作られていたのだろう。大きな釜や五右衛門風呂かそのような道具が家屋外に置かれていた
ガラス越しに家内を見れば、大きな桶やその道具が氾濫していた
  
家前は広い平地で、私的に、高野豆腐の生産をしていたように感じた
それは、豆腐を氷らせ乾燥する場所だろうとおもった
広場端には四等三角点黒河がある。
道を下るが未だ状態は良い。途中に家跡を感じる石積みなどが有り、今古道入り口に有る地蔵が元有った地点にも花が添えられている
語り部さんが祀られているのだろう
  
上に有った地蔵を道沿いに下ろした話を聞き及んでいた
コンクリの祠に平成元年の字が彫られている
仏谷村の後を感じながら林道を下る
車道出会いの石面に、子継地蔵の方向を書いた板が貼り付けられている
 
杵谷の方向が示されているが杵谷の位置は知らない。
車道を1.5kmで久保小学校に出る。途中の斜面に銅山鉱の洞窟があるらしいが、見つけられなかった
あかがね山(雪池山)の名が有るのはそのせいだろうか??
久保小学校でコーヒータイムだ。
  現在は休校中だ。もう子供の声が聞こえないが、百目箱や二宮さんの像、朝礼台にバスケやバレーボールの支柱、賑やかな声が聞こえるようだ
往路に入り少し先から、美砂子谷(ビシャコ谷)の黒河道に下ってゆく
  
簡易な地図がほほえましいが、道迷いが怖い
往路から分岐して美砂子谷に向かうが、コンクリ舗装が終われば、大豪邸だった民家が廃屋となっている
 生垣の白い山茶花
道成りに進めば小池が有り、クネクネの小道が続いてゆく
植林内などを通り急に開ければそこは美砂子谷だ。
  
カシミール地図には未だ美砂子谷への黒河道は反映されていないが、地理院地図には最新破線道が載っている
林道出会いに出て、後は往路を下った
  
大先輩の奥様に美砂子谷の話を聞けば、先輩の田がそこに有るとか、えっと驚きと共に聞いた話は、嫁に来たあくる日に、田から刈り取った稲を三束担ぎ下った。主人は一日6往復、モッコで稲束を担いで往来したとか?空身でもきつい太閤坂を六往復した話は驚いたが、時代と共に林道が出来、エンジンつきの荷車が出来、軽四輪トラックが走るようになったと話した
その美砂子谷の田は荒れ耕作者はいない。
谷の真ん中の小岩に、白迫さんと呼ばれる祠が祭られていた

 
縮尺不明です
予定を大きく上回ったが収穫する物も多く、今日も楽しく山を楽しめた
  
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