三浦峠からニカケ森と笹ノ平(不動のタワ トドロ木山)
2013/05/13
ショウタン

世界遺産、小辺路の三大難所の一つ三浦峠から三角点のある三つのピーク、三浦峠、見掛森(ニカケ森)、十津川(笹ノ平,不動のタワ)を周回してみた。昭和60年代の昭文社地図、エアリアマップの奥高野地図を参考にコースを組んだ。
当時とは大きく変わり林道が延び随分と歩きよいが距離が長く一汗流すコースとなった
地図に書かれた石地力と柳のタワの特定は難しかったが何とかそこだろう地点が読めた。
山林作業の方に、ニカケ森と笹ノ平、石地力、柳のタワを尋ねてみたが、皆さん解らないと言い、山は分かるが名は知らないとの返答だった。崖又山は有名らしく、崖又山まで歩くのかと聞き返された。
R168の津越野隧道を抜け直ぐ世界遺産小辺路、三浦登山口の看板に従い三浦登山口に向かう
小辺路は、伯母子岳以南はまるで知らないショウタンだ。昔、エヤリアマップが奥高野版として売られていたが廃版と成った
そんな地図から周回コースを組んでみたが、世界遺産道以外は、古道は荒れその姿は見えない
三浦に着き、路駐点を探し、吊り橋の舟渡橋から三浦峠に取付いた
   
三浦で11年の水害復旧工事のため道は河原に降り舟渡橋の下を通る。三浦バス停に出る横に路駐した
道標に従い吊り橋を渡るが下が丸見えの吊り橋は高所恐怖症のショウタンはめまいを起こす (^_^;)
橋を渡ると直ぐに地蔵が出て道標通り峠に向かう
上から、キャタビラ荷車に老人が乗せられ上から下山してきた。直ぐ上に民家があり田が耕作されていた
   
廃屋が出る。その付近に石畳が残り、田の跡があり昭和の農耕機が小屋に置かれ最近まで耕作されていた事が伺える
少し登ると、吉村家跡が残り、昭和23年頃まで旅館を営んでいたとか、小辺路は交通の要所だったのだろう
ソノ生け垣の防風林の杉が見事だ。まるで天狗が住みついているような枝振りは一見の価値ちがある。
樹齢500年だと書かれている。天然物指定されてもおかしくないだろう
   
道の整備がよい、クネクネと登るが登りよい小道で階段はほとんど無く足にやさしい
途中で30丁の水場があり山肌から湧き出す。
所がその先で古道が抜けたのか迂回路にさそう。迂回路も古道とおなじく道はよい
山肌の巻き道は特定が難しいが、地形が分かりよいコースだ。現在地を読みながら登った
途中で丸太橋が出るが、この丸太橋ソロソロ修理が居るだろう。橋桁の部分の底が抜けかかっていた
小さく整備された巻き道が出ると見晴しが抜群になり、三浦や五百瀬(いもせ)が見え、山向こうに伯母子岳が美しい

三浦峠手前で古道と出会う。
峠には四阿や地図があり簡易トイレがあった。
その先から、伐採された斜面を三角点、三浦峠に登るがこの斜面からの見晴しも最高だ


  

伐採地の奥のピークに三角点が鎮座するが、大峰の有名看板、山想遊行の通氏の看板があった
彼れも大峰を行き尽くしたのか何て笑んだ

  

三角点から尾根で林道に下ったが、古道や尾根に拘らなければ引き返し林道歩きをお奨めする
尾根の先で二重囲いのネットがでて歩きにくい
コースは尾根で林道まで降りれるが読図を間違い少し手前に降りた
  

三等三角点、三浦峠 北緯 34°00′54″.1401 東経135°42′40″.2146 標高1145.31
埋標 明治36年5月28日 
所在地 吉野郡十津川村大谷字タカウシバチ143、俗称 三浦峠

林道は歩きよい、ほぼ水平な林道だ、新緑とツツジの赤に心が和む
  
ニカケ森のピーク先で林道が分岐するが、地図には繁栄されていない
読図から左林道に入り刈又山から続く炭波線路を登ろうと荒れた林道を歩く
地図では尾根先から炭波線は尾根中央を通るがソノ跡はない
尾根左のソマ道を100mばかしトラバースではいると動物道のような小道が斜面をはしるが、その分岐は見えにくい
   
左に入り                    尾根先左のソマ道に入る   途中を右手に登る

ニカケ森は美しい、ちらし寿司を急いで食べ、尾根中央を北東に向かうと枯れたスズタケが出て右手に林道が見える所を下ったが、尾根先の石地力まで通っても良いだろう。
   2mばかしズルッと降りた
                   尾根から林道が見えたので底を下った

私は石地力を通り過ぎてしまい林道分岐でそれに気づき柳のタワの尾根まで引き返した
  
三等三角点 見掛森 北緯34°00′06″.0549 東経135°41′06″.8237 標高1082.31
埋標 明治36年8月6日 
所在地 吉野郡十津川村大谷字見掛森271 俗称 見掛森

石地力、何の変哲もない所だが昔杉精や五百瀬から急坂の道を登り、この付近で最後の地力がい要った所からその名が付いたのか(*^_^*)、果無の峰にもその名がつく山がある。
  
石地力から尾根に下る                           柳のタワ

柳のタワは細い痩せ尾根のコルでは無かろうか。
タワは通常は広いコル上の平地を指すが、鞍部という言葉もなかった頃、柳の細い枝のような場所的意味合いでそう呼んだのか、ショウタンは空想が好きだ (^_^;)
1024mで読図誤りから林道に出てしまい再び尾根に登り返したが、この付近で林道が崩れ無くなっていると早合点だ
  
林道に下り                   林道が抜けていると早合点して再び尾根に登った
再び林道に出た所が黒線林道と二線林道が分岐する所だ
尾根先にマークがあったが、黒線林道の終点から1064mのピークに登ろうと歩きにくいゴロゴロの林道を歩いたが、景色の見晴しが良い所が出る
  
   
右の黒線林道に入るが細い尾根先にマークがあった

林道終点の小屋はモノレール小屋で、その横のネット沿いを登ったが本日最大のブッシュ
棘がないから助かったが、ピーク手前で金属金網が出て乗越えるのに一苦労だ
   
1064mピーク西側を波線道は通る。少し確認にいったがどうせ無いだろうとピーク越えに切り替える
尾根は立ち木がジャマをする。右手下は伐採された急斜面だ
と突然小道が表れ後はルンルンだ。石楠花が美しく出迎えてくれる。
次のピーク(トロド木山)から東に、笹の平に向かうが北斜面が伐採され見晴し抜群で、麓から伯母子岳の峰まで美しい
  
笹ノ平に下り込だ、ソマ道の整備跡をクネクネ下り笹ノ平に下る
エアリアマップには笹ノ平とあるが、国土地理院所在地には不動のタワが俗称とある
笹ノ平は窪地のような所だ、ソマ道は笹ノ平の中まで整備されていたようだ
此処でコンパスを合わせた。見たところ松の木の方向を指した。少し地形からおかしいと感じたが松の木の下に行ってみたが無い
 
よくよく地図を見ると南の細い尾根の上だろう事が読める。
細い尾根に登り少しネット沿いを西に進と雑木の下に三角点、十津川が出る
点名の不思議な所だ、此処が十津川とは、十津川中心部からあまりにも遠い
  
三等三角点十津川 北緯34°01′26″.7361東経135°40′33″.8506 標高1006.46
所在地 吉野郡十津川村杉清字トドロ木山360。俗称不動タワ

所在地から、手前ピーク 1060m地点をトドロ木山と言い、窪地のタワを不動のタワというのだろう
村人に笹ノ平と聞いても知らないと言う意味が此処で分かる



三角点南の見晴しは最高だ。
此処に、宝来の鈴さんの点名版が上がっていた。
マダマダ三角点について知識が少ない登山者もいる。彼女の点名版はそれを知らしめている
私は場所的におかしいが此処に笹ノ平の銘板を上げた。
←笹ノ平(不動のタワ)
北側が伐採され見晴しは最高だ
  ←笹ノ平
下り尾根を見る↑              下り尾根↑

伐採された尾根を下る。
最初は見晴しの良い尾根で、小さく植林内を抜けるとそこからはいけない
伐採後日が経つのか?野いちごの棘が足にいたい。スパッツを付けないショウタンはチクチクと棘の針が足を刺す
  
下るとモノレールが出た。
モノレールに沿ってフェンス横を下るとブッシュだが棘がない
三つの三角点に同じ色のテープが巻かれていた。三角点を尋ねるグループだろう
この下りにもそのテープがあった。切り株に石が乗せられていた。目印だろうと慎重に下った

  
右手に神納川や五百瀬が見える頃棘は少なくなり、地図の波線道通り下った。
  
斜面に曲がる所に一巻きのテープが、斜面の道をクネクネ下り田の跡が出る所に一巻きのテープが、
次を探すが無い、アララ、と取り水パイプがでて、それに沿って下ると目的の吊り橋が望めた

吊り橋はよく揺れる。這って行きたい気分の高所恐怖症、ユックリと吊り橋も楽しめず渡りきり、奥千丈林道に出て、三浦にトボトボト歩いた。村バスが来た。若い運転手が話しかけてきた。
どのコースを歩かれたかと聞く、話すと下り尾根とは違う所を登り、三浦峠を下った事がある。
積雪30cm程度有り10時間を要したという。
山好きな人だろう。バスを納車したのだろう。マイカーで私を追い抜くとき、ニコッと笑ってクラクションを鳴らしてはしった
  
  


伯母子岳からの下山口を見て橋を渡り三浦に歩くと、1000年の古道は史跡も多い
平の維盛の伝説や、大塔の宮護良親王の伝説、腰抜田何て話しが出る
途中の小さな店でジュースを買って立ち話、小学校は廃校になった。180人の生徒がいたが、空き家が目立つ集落になったと嘆く
どの時代のどの政治家が悪いと目を丸くして話すが、真剣に村を思っているようだ
約10時間の山行は暑さもさることながら久々に大汗を流すルートだった
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