ポカラに
29日
6時に起き、タクシーでポカラに移動。ダサインのため、タクシーも通常よりは高いという。5500Rsで契約。ドルバルスクエヤーの中を通り、プリティビハイウエイに出るまで大停滞。コレも60万人と言う大移動のせいという。例年ならここまでの移動はないが、マオイスト(ネパール共産党毛沢東派)と政府との話がまとまり、村から逃げ出しカトマンズにいた人達も村に帰るという。交通秩序の悪いネパール、もう戦争状態。クラクション、割り込み、すごい状態での移動となった

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大きな交差点を過ぎ、途中で料金所があり、やっと動き出したと思ったら、今度は峠の途中でトラックが故障、マタマタ大停滞。もうどうにでもなれ、あきらめて車から出た。

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マンシングも車から出た。すると、ショウタン、アレがマナスルだよ。ナント雲の切れ間にマナスルがハッキリと見えた。ヤレヤレ、コレで少しは救われる。

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やっと動き出したが、800ccの軽四サイズのタクシーは日本でおなじみのスズキの車だ。これからこのタクシーの運転手さんに数回乗る事になる。最後の日の空港に行くまでこのタクシーの運転手さんに乗る事になった。
途中で昼食を食べ(タクシー代に昼食代が含まれていた)、

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5時頃、ポカラの常宿となったホテル、YADについた。

YADのママ

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少し休み、ガイド・マンシング邸でアンナプルナドリーム社(解散した)の支配人バッタさんと共に、マンシングさんのお嬢さん、ソンジュ、グルンの手料理で、マンシング、奥さんアロティ、グルンの手作り粟焼酎で早速の宴会だ。こんな調子で、何回もマンシング邸で手作り焼酎ロキシーをいただく事になる。

ソンジュ、マンシン、バッタ、長男キサン、そしてチェドラおばあさん

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続く