2006/11/15
お釈迦様の育った城
ティラウラコットのカピラバストゥ城跡
「ピラバストゥ城跡」
11月15日 午後

お昼を食べ、シッダールタ・ゴータマが29才までいた、ティラウラコットのカピラバストゥ城跡に行く。テラウラコットはカピラバストゥ県のタウリハワTaulihawaに有り、ルンビニから西に27kmの地点にある。タライ平原の中を、軽四ワゴンタクシーは真っ直ぐな道を快調に飛ばし、40分ほどで着いた。タウリハワTaulihawaは県庁所在地だが、本当の田舎町。ビル一つ無い。タウリハワをぬけ、直ぐにテラウラコットに着くが何もない。ここがお釈迦様の育った城跡かと思うほどだ。わずかに史跡が有る事の看板のみがそれを思わす。ガイドが言った事を思いだしながら書こう。

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現在の遺跡のほとんどは修復された物で、カピラバストゥ城の遺跡は木造だったためほとんど無い。その後アショーカ王が復元した物や、更にその後復元した物などが何十にも重なり、発掘は難しいらしい。
カピラバストゥ城は、東西400m南北550mとされる。西の門跡から入った。門は跳ね上げ橋で、外周は掘りで囲われ、その掘りにワニや、危険な魚などを入れ城を守っていたらしい。今は跡形もない。

西門の遺跡

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東の門跡に移動する。公園内でピクニックを楽しむ若者達の音楽の音が異常に大きい。城跡には観光客は誰もいない。大きなマンゴーの木が植えられている。東の門で、お釈迦様がサズーになって出て行くまでの話しを聞いた。

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釈迦が産まれ14日たった頃、父のグル(父の先生で予言者)が シッダールタはサズーになって世界を回れば平和になると予言。父は心配して四つの城を建て、早く結婚させる。城は、暑いときの城、寒いときの城、食事のための城、女性と酒の有る城。シッダールタはほとんど城から出なかった。
16才で、ヤショーダラと結婚。一子ラーフラをもうける。ところが、友人サンダと四門から出て、最初にお爺さんを見た。アレは何かと訪ね、人は皆老いる事を知る。次に、病気の人を見る。病気を知り、次に死人を見る。死を知る。最後にサズーを見る。サズーとは、食物以外は何も要らない人。物、金、性は要らなく、顔が明るく世界平和のみを願う行者。シッダールタはサズーになる決心をする。シッダールタはヤショーダラにサズーになりたいと告白、サズーになり世界の平和を祈りたいという。子供が父の名前を呼ぶ前に城を出る事を告げる、子供に愛情が出来てしまうと決意が鈍る。ラーフラが3ヶ月の時だ。ヤショーダラは私の知らない間に出て行って欲しいと告げる。
満月の夜友人サンダと東門から出て、500km離れた川の畔で自分の持ち物をサンダに渡し、身一つで旅立つ。29歳の時だ。後はブッダガヤで勉強、5年でブッダになる。ブッダとは、世界の事が分かった人の意味で、何の質問にも答えられる人のことで、過去4人いた。シッダールタは5人目だそうだが、シッダールタ、ゴータマ、ブッダが仏教の教えを世界に広めた。それまでのブッダは布教出来なかった。

東門遺跡

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続く