2006/12/02
ポカラマンシング邸
「マンシング宅で」 
12月2日 マンシング宅で

7時間ほどぐっすりと眠った。

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今日は曇り。マチャプチュレやアンナプルナヒマールは見えない。少し調子が悪いがもう大丈夫、ミルクティとトーストで朝食。

マンシンの次女のソンジュに、前回のトレッキングの服を洗濯してもらったお礼をしていない。ネパールの女性の100%はショーウルを羽織る。YADの娘に相談した。

ママはタカリ族、タカリ族のお葬式に行くという。地元商店街のバザールの側の会場らしい。ショウタンも乗って行けとYADの車で葬式会場に行く。ショウタンもお葬式に出ろと言い参加した。参加したと言っても座ってお菓子を食べただけ。昔お葬式は13日間続いたらしいが、今は7日間で終わるらしい、基本的にはグルンのお葬式と大差はないが、グルンの方が賑やかだったように思う。仏様に手を合わす形は韓国の方とよく似ていた。YADではママが毎朝ヒンズーの神様にお参りするから、ママはヒンズーとばかり思っていたが仏教徒だった。日本人が、お宮や地蔵さんにお参りするようなもので、知れば知るほど日本に近い。お香典のしきたりも一緒だった。帰りにショールを買おうとバザールに行くが、今日は土曜日、商店街は休みだった。ネパールの休日は土曜日です。仕方がない、ダムサイトの店で買い、女性の好きな甘いドイツパンと共にソンジュにプレゼントした。

お昼は宿でショウタンの注文料理ラーメンライス、お箸が有れば最高だがお箸がない。

夜はマンシング邸で御馳走になる。マンシング宅に行くと、マンシングの家にバッファローが山から来ていた。子供が生まれ、毎日山に乳を搾りにゆけないかららしい。日本の団地で牛を飼うようなもの、玄関横に急遽小屋をこしらえていた。これぞネパール。

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マンシング宅には、奥さんの姉妹が2人来ていた。一人はポカラに住んでいるが、長女はポカラに3日間かけて来るマナスルの麓の山奥らしい。後日奥さん達とマナスルの近くゴルカに行く事になる。マンシングの会社のマネジャーバッタさんも加わり、最高の一時が過ごせた。長女は昔のままのグルンの姿、私のカメラに収まってくれた。

グルンの衣装の長女

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家族と共に

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マンシング家の女性達

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ショウタンとバッタさん

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続く