2006/12/15
ネパール バンディープール
「バンデープールの町」
12月15日 バンディープールの町

今日からマナカマナとゴルカに行くが、泊まりはバンディープールとゴルカにする。
朝からポカラはガスが出て、飛行機は飛ばない。10時頃からガスが無くなり、ヒマールは綺麗だ。10時頃マンシンはYADに来た。レンタカーの点検に修理工場に行くが、これが面白い。すべては手作業。トウインが狂っているらしい、それを一本の細いロープで計って直す。グリルのネジが無くなっていた。ネジは隣の店でマンシンが買って渡して直す。隣では廃車を手作業で修復していた。

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12時にマンシン宅でお昼のダルバードをいただく。少ない目をお願いしたが、日本の三倍はある。マンシン宅の屋上でアンナプルナヒマールや町の景色を見ながら食べるダルバードは特に美味しい。

マンシン家の屋上から見たアンナプルナヒマール

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1時頃、バンディープールBandpurにマンシンの運転で出発。1時間ほど走ったと時、ブレゴグラの村で村人が道を封鎖していたため車は通れず。この道はポカラとカトマンズを結ぶ重要な幹線道路、警官は出ているが、ただ見ているだけ。封鎖原因は町に軍隊は要らないと言うデモらしい。ビスタリービスタリー、ここはネパールだ。ピーナツを買って食べて時間を潰した。30分ほどで封鎖が解かれ、デモ行進に移っていった。シュプレヒコールは見事な物があった。

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バンディープールに向かって走っていると、今度は前輪がパンク。路肩に止めタイヤ交換。田舎に向かうため、予備タイヤは修理しなくては又パンクするかも分らない。途中の修理屋さんでパンクを修理するが、これまたビスタリー。パンク修理に1時間ほどかかった。
修理している間に見事なマナスルヒマールが見えた。

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国道から離れ、クネクネと曲がった道を上り、バンディープールBandipurに着いた。一言感動の町だ、古い民家が軒を並べ、ネパールではない別の国に来たようだ。マンシンも初めてという、ネパール人達の観光の町。最近外国人達ににも知られる所となり、急速に観光地化している。この町は、車の無い頃インドに行く為の道で、宿場町。当時のホテルが沢山残っている。そのすべてが今日は満室という。マンシンは車のナンバーを見て、すべて県外の車だと言っていた。

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泊まるホテルを探して観光案内所に入る。外人はほとんど見かけない。マンシンは熱心に観光名所を聞いていた。一日トレッキングや、洞窟探検、などがあるそうだ。私たちは村はずれの昔のままのホテルが見つかった。感動的なホテルだ。本当に昔のまま。トイレだけが水洗に改造されていた。

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荷物を置き、町中の観光。本当にここはネパールか、と思う町並みだ。

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町中を散策、10分ほど歩いて町の展望広場に行った。素晴らしい眺め、今回のネパール観光で最高の景色だ。ガネシマルヒマール、マナスルヒマール、アンナプルナヒマール、ダウラギリヒマールまで一望出来る。ここに来るのがほんの少し遅かった。夕焼けのヒマール群が写せなかった。外人は私だけ、ネパール人達がバスで乗りつけて観光していた。

マンシン家族

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町の食堂でダルバードとロキシーで食べていると、オーストラリヤの若者2人が入ってきた。私は久しぶりに手で食事していると、男性のオーストラリア人は私もと手で食べ出した。お母さんがマレーシア人でマレーシアとのハーフで手で食べる事ができるという。顔は白人顔だ、彼女の方は手は駄目らしい。マンシンとキサンは英語が話せる。ショウタンは単語を並べて四苦八苦、楽しい食事が進んだ。又この2人のオーストラリア人と偶然にダンプスで出合い同じホテルに泊まった。

続く