2006/12/17
ゴルカの町
「ゴルカ」 
12月17日 ゴルカ

ゴルカGorkhaはネパール統一の王様ラム・サハ王の町、現王族の先祖の町、そして世界一強い雇兵集団ゴルカ兵の町だ。今も沢山の人が、イギリス、インド、そしてシンガポールにと、外人部隊としてのゴルカ兵は有名だ。又ゴルカはマンシンの先祖グルン族の町でもある(現在はネパール雇兵の事をゴルカと呼ぶ)。ゴルカも他の町とは変らない、朝早くから賑やかだ。朝5時半にネパール音楽がなりだした。

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7時半頃ホテルで茶をしてゴルカの王宮に行く。朝のゴルカからバンデープール方面は雲海が見事だった。

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王宮はゴルカの丘の上にあり、長い階段を登る。ひっそりとした森の中にあり、そんなに大きな建物ではない。途中雲海の上に浮かぶヒマール群は見事だが、王宮内は撮影禁止。カメラはマンシンの奥さんのバッグにしまう事を要求された。

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マナスルヒマール

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王宮手前のラムサハ王の銅像、ショウタンと奥さん

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王宮の門前で靴を脱ぎサインをして中にはいるが、王宮は軍隊が守っている。

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門前の階段が何かネトネトしている。聞くと、山羊の血との事。王宮にはヒンズー最大の神ゴラッカリーが祀られ、ゴラッカリーは血が好きでゴラッカリーに血を捧げた時の跡らしい。裸足で歩くが日本人の私には少しグロテスク、これも経験と王宮内の神々にお参りする。マンシンの奥さんについて回るが、とても口では言えない気持ち。足下は血で汚れた跡、生臭い臭いが残る。別の場所では鳥の血を捧げる場所、その一角にサズーが住みつき、神様にお祈りするとティカを下さる。マンシンの奥さんは仏教徒だが、ヒンズーの神々を熱心に信じる。各神々に熱心にお参りして私にも線香を下さり一緒にお参りするが、ウーンだ。日本人の私にはただグロテスクに感じるのみだった。だが王宮から見たガネシマルヒマール、マナスルヒマール、アンナプルナヒマール、遠くにはダウラギリヒマールと見晴らしは良い。ここで写真は撮れない、監視の目がキツイ。玄関下で靴下をはこうと足の裏を払うが、黒くこびりついたゴミはナカナカ取れなかった。

エーイはいちゃえ(?_?)

町に下り、先ず茶をしてマンシンの奥さんの叔父さんの家を訪ねる。叔父さんはインド雇兵を退職、年金ぐらしの身だという。屋上に通され屋上で色々と話しをしていたが、私は日本人である事を言うと、本当かと何度も尋ねていた。家族全員で記念写真を撮った。
屋上では沢山の鶏が飼われていたが、これは本当に不衛生な話しですがこれが現実だろう。
屋上で一般に食べられているダルバードを頂く。質素な物でしたが、私のために御馳走をして下さっている事は気持ちで分る。帰りにいくばくかのお礼をしたが、写真を送って欲しいと頼まれた。マンシン家に写真は送ったが着いたというメールは届かない。

頂いたダルバード(ネパールの食事はこれ一本です。いろんなスープカレーと思えばよい、又朝食は食べない、一日2食が基本です。今日も朝食は食べなかった。観光客は別)。

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お礼を言って別れたが、マンシンの奥さんと叔父さんは又何時会えるか分らないと行っていた。日本のように、そう簡単に旅行は出来ないらしい。帰りにマンシン達はもう一軒の親戚に挨拶に行く間、ゴルカの町を散策したが観光客は私一人でした。
町中でおしゃべりしている女性達の話に入り、ショウタンは楽しく待っていた。

ゴルカの町中

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ゴルカの笑顔

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車で待っているとマンシン達が帰ってきた。女性達はジャパングッバイと見送ってくれた。ネパールの女性達は本当に明るい方が多い。

ゴルカを振り返りながらポカラに帰った。マンシン達も又何時来れるか分らないと言う。今回でマンシンは15年ぶり、奥さんは結婚後初めて。実家の有るマナスルの麓には帰っていないと言う。今度行ったときはマンシン家族と行ってみたい物だ

ゴルカ町の景色

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続く