新宮山彦ぐるーぷと私の出合い 2011/01/28 |
私は現在和歌山市に在住するが、生まれた村は海草郡の山村だった。現在この村も和歌山市となっているが村その物は道が広くなった以外生まれた頃の姿を残している。そんな片田舎で育った私は、気付けば山で遊ぶ悪ガキだったが、今日に至るまで里山が好きで未だ里山に魅力を感じる。どんな低山でも、有名山でもその里で暮せば我が町の、村の山と成り山好き達はその山を愛するだろう 一時期に海釣りに凝った時に海も素晴らしいと感じたが何故か又山に帰った 山に登る事が好きだったが、登山と言う認識はなく手弁当でウロウロと里山を歩き、時には有名山に登った、道無き道を駆け入満足して下山する山遊びを繰り返ていた。現住所の裏山は、役の小角が若い頃修行した。和歌山の友が島から二上山まで続く行者道のある紀泉山脈、葛城二十八宿の内の一つ、大福山下に住む、そんな関係でコノ大福山を中心にマタマタ里山を歩いていた 所が趣味の内の一つ、合気道の先輩で山好きな原田広輔氏が私を山に誘い大峰に登った頃から、登山という認識が生まれた もう35年も前の話だが、ころは若い、妻もボーイスカウト関係で活動を開始、そんな中に山好き達がいた 自ずと目指す山も変わり始めた。それでも里山は私の原点と小さな山を見つけては駈け登り山を楽しんでいた 大峰奥駈道が世界遺産に登録されたのが2004年7月1日だったと記憶している そんな事もあり吉野、金峯山寺の蔵王権現のお参りに妻と吉野山に出向いたのはこのころだった その日は世界遺産登録を記念して、青岸渡寺から山伏達が世界遺産、大峰奥駈道を順峯で歩き金峯山寺に到着するという 聞けば、護摩法要や山伏問答が有るという 興味の湧かないショウタンではない。1時間以上待っただろうか 山伏問答が始まった。 山伏に成って日が浅いのだろうか、質問者はスラスラと言えるが返答者はしどろもどろ、これが私の興味を増さした あのおなじみの山伏姿の装束の意味を聞いて、これに答えて行く問答、 まるで登山道具を身に付けているようだ、昔のロープ、カラビナ ツエルト、と言ったような物だろう 腰のロープは最低何尺、何に使うとか、お尻にぶら下げる動物の毛皮は動物愛護の精神に違反するのではとか マア面白い (詳しい名前は知らないからショウタン流に書いた) その時私の横に一人の老山伏が腰掛けた とその時聞こえたのが、老山伏の一言 今日は天気で良かったな だった 頃は梅雨明間近な頃だったが、雨が降っても 風が吹いても 山は楽しい の我が山精神、雨や風は自然の恵み、晴れて良し降って良し自然の恵みが自然を育て、その自然の姿を見て体感して山は楽しむ物だろう 厳しさもあり、美しさもある、おのおの体力や好みにあった自然を楽しむのが登山だろう その中から、非日常の生活を体験して自分を作り上げて行くのが登山愛好家だろう 山に登るだけなら豚でも登る。 少し気の短いショウタンだ 山伏さん 貴方は山伏でしょう 晴だけを喜ぶとは何事かと老山伏に一言 山伏はニッコリ笑って ナルホドと 意にカケズ笑って済ました そのころパソコンを購入してヤフー検索でいろんな事を勉強していた と ヤフー掲示板に、大峰奥駈道の行仙宿小屋の整備の話が書かれていた 時々は裏山整備も手がける私は、これだと閃き、参加を申し込んだ 初めての行仙宿荷揚道の整備、多くの方が集まり作業が始まる前、老人の挨拶が アララ、あの時の山伏だ これが、新宮山彦ぐるーぷの代表者、玉岡憲明氏だった 聞けば79才、大きな丸太を担ぎ、先頭を切って険しい山肌を登って行く 今では、人使いの荒い、玉岡と自称するが、これは先頭者が怠けていては人はついてこない 持てる力を出し切り見本とし、人を引っ張る方法らしい 作業する人たちは自分の力限りに奉仕する これが山で学んだ登山者達の姿だろう 聞けば、大峰奥駈道の南半分を何百回とかけて復元して、行者道を復元したという 登山とは異質な物だろうが、山好き達がこの歴史有る道の必要性をおなじく感じ取ったのだろう 道が完成して、小屋の必要性に気付き、寄付や私財で行仙宿小屋を完成させたという このグループこそ私の目指した山で教えられた事を実戦する活動家達の集まりだろうと、次回も参加する意志を示した 山で学びこれを実戦する場として素晴らしいグループだ 有名登山家達も究極の登山の中から見つけた自分を実戦して登山家と尊敬されて行くのだろう 機会があって山を同行した重廣恒夫氏 エベレストから世界高峰を数多く登り、日本百名山最短時間登頂等とすごい事をこなした登山家だが、私に一言、山は荒れている、有名山に集中する事が山を荒らす原因だろう 今 日本の4000山を目指し登り、登山人口を分散すれば山は守られるだろうと言った 山から得た悟りの一言だろうと私は信じる 多くは参加できないが、私の山への恩返しの場として新宮山彦ぐるーぷの活動を利用さして頂いている 100点満点の玉岡憲明氏では無いだろうが、私にとって学ぶべき所が多い 現在86才になったという玉岡憲明氏、今も先頭に立って山に登り、山を楽しむ その楽しみを分かち合い、後ろ姿に我が身を合わし 近い将来私も来るであろう86才の年を迎えたい 玉岡憲明氏から新宮山彦ぐるーぷの活動が手紙で届けられる 今回の手紙の中に、私の単なる作業が紹介されていた 行間に見る氏の心遣いと山への愛情が見える今回の報告、表題の新宮山彦ぐるーぷと私の出合いに合わないかも知れないが 今回頂いた報告の手紙から今日の1ページを小さなサーバーの一角に書こうと思った |
玉岡憲明氏が写した、茶臼山 笠捨山の尾根 今回の手紙に同封されていた |
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