釈迦ヶ岳、釈迦立像修復供養に参加して

2007/08/26
奈良県吉野郡下北山村
ショウタン、新宮山彦ぐるーぷ2名

標高=1799.55m
埋標=明治20年11月23日
所在地=吉野郡下北山村前鬼字釈迦嶽250〜2
北緯34度06分39秒541 東経135度54分21秒460
標石=18.5cm×18.5cm 高さ18cm正面北、一等右書。
参考資料
大和の三角点を尋ねて 


縁有って知り合った新宮山彦ぐるーぷ代表の玉岡氏から釈迦修復供養の案内が届いた
ほんの少しだけ修復のお手伝いが出来たショウタンは、最後のこの日は是非参加したいと思っていた
いた

7時過ぎに旭、峠の登山口に付いた。既に同行の山上、川島両氏が到着していた
峠の登山口は車が満杯でした。
釈迦ヶ岳の尾根から西半分を所有する会社の岩さんも同行する事になった
岩さんから釈迦の昔や境界や登山コースについて聞く事が出来た
関係団体、大峰修験関係各寺、修験者、又修復に関係した各登山家など100名近く
が山頂に集合、途中で青岸渡寺住職の高木氏を待ち同行する

岩さんから境界や山の状態を聞きながら登った
登山ルートだけでもザッと7カ所がある
今主流は峠の登山口ですが
不動尾根や滝川谷は好き者コース、前鬼は厳しく、弥山方面からは縦走装備がいる
七面山や地獄谷のカラハッソウからも面白いが一泊の装備がいる
最近廃れ気味な下の登山口、全く忘れられたエスケープルート(下と峠の間にある)

釈迦ヶ岳の話ではないが鹿の被害が深刻らしい
山林所有会社は、植林だけではない。山に自生するブナや檜、杉が大切な財産特に数百年物自生の檜や杉は文化遺産や神社仏閣の補修には欠かせないが
大峰山系では無くなった。イヤ日本ではなくなった。最後は天理教の建物が最後だなどと言っていた
自然に種が落ち自生するが、実生の木は鹿に食べられ育たないらしい
ブナなどは特に深刻らしい
釈迦ヶ岳は裏白モミが鹿に表皮をかじられ立ち枯れがひどい
年々倒木が増えている
その鹿に餌付けをする馬鹿がいるらしい
餌の取る事を知らなくなった子鹿は冬を越せないと言う
現実に鹿は人を見ても逃げ出さないでむしろ近づく鹿もいる
千丈平で一休みして行者の隠し水の水場で水を補給
鹿がいたが逃げ無かった
山頂では行者や登山者、お寺関係者の手で準備がなされていた
山上では修験者達のホラ貝が鳴り響く
今行われている世界陸上のスタート合図のホラ貝とは音色が違う
高く低く何人もの修験者が吹く
  ←動画です 
                         
最後に法要が終わり、協力した各種団体や各会社が金峯山寺から感謝状が贈られた。世界各地から送られた寄付金の報告があり、残金は前鬼、小仲房修復事業にと受け継がれた。




写真は新宮山彦ぐるーぷを代表して感謝状を受け取る山上氏
最後に聖護院門跡から感謝の言葉があったとき、門跡の袈裟に黄アゲハが又釈迦像の指にトンボが留まり何か不思議を感じた。
昼食を食べおのおの下山に付いた。
登山口では山林所有会社の社長である井上氏ご夫妻からスイカや飲み物の接待を受けた
又釈迦立像修復法要に参加して新しい出会いと歴史を知る事が出来た
又春夏秋冬と季節を問わず釈迦ヶ岳登山を楽しみたい物だ

追伸
今世界遺産に登録された釈迦ヶ岳登山林道、旭林道は国家予算がおりすごい勢いで整備されている。幅5mに修復されると言うが、又大台ヶ原の様に環境による被害が出ないか心配だ。多くの登山者やハイカーは心して登りたい物です
修復されたといえ危険な林道である事は間違いない。車での通行は落石やカーブとう注意がいる。事故の無いようにしたい物です
強力伝説

釈迦像の台座に「岡田雅之獨力ニテ運搬セシ者ナリ」とある
大正13年(1924)37歳の夏、前鬼口より「
送り持ち」で釈迦像と大日岳の大日如来像、掾の鼻の蔵王権現
の三体を持ち上げた強力伝説は釈迦の有名な話です
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