愛宕山92mと高塚山172m
ショウタン
2007年02月21日
以前から気になっていた和歌山の山の中の一つに愛宕山92mと高塚山172mが有る。この山は紀泉高原縦走路の 平井峠に南海電鉄紀ノ川駅から向かう時に最初に左手に有る山が愛宕山、二つ目の山が高塚山です。登ってみると 尾根は歩きよいがどの尾根に出るにも木を持って登らなければいけない急登でした。 午後から時間が有ったのでチョット登ってみた。 |
取付きが分からない、多分登山道など無いと思っていた。山の麓で農園を耕していた年配の方に尋ねると、この方は なかなか近所の山に詳しい、昔、自分が登ったルートを教えてくれた。又その横の山金比羅山、ドジ山 三角点のある 三角錐山のルートも教えて下さった。教えていただいたとおりに取り付きに行く。後で解った事だがこの取り付きから行 くより、平原養樹薗の馬舎横から取付けばいい。私は朽ちた橋を渡って平原陽樹園の馬舎横に出た。この馬舎横に古 い宮のような物があった。これは少し前まで行者さんが住んでいたとの事、近くに滝があったが今は枯れて無くなったと のことでした |
この朽ちた橋を渡り、平原陽樹園の馬舎の横に出て、朽ちた行者さんの祠の横から取付いた。最初はゴミやブッシュで |
朽ちた橋から取付いた 馬舎の横から山にはいると
行者さんの廃屋 人の入った形跡
山頂には昔の祠跡がある。明治の始め近所のお宮に合祀されたとの事、愛宕神社と有った |
愛宕山14時16分
ここは登りよい 愛宕山山頂92m
尾根に沿って北側に進む、少し木立が有るがなんなく歩ける、この尾根のよこが廃園にになった密柑山でした コル状の尾根を過ぎると急な登りがあったが、どうやら相当昔道があったようだ、道状の所を登って行くと、おおきな 洞穴が出てきた。後で聞いた話しだが太平洋戦争中に兵隊さんがこの山にいて、防空壕を掘ったとの事です |
防空壕からは急登になり木を持たなければ登れない。やはり時々道の形跡があった。5分ほどで山頂に着いた 山頂は、建設省一級測量地点が有った。おそらく1週間以内にここを整備したと思われる。北と西に向かって尾根の道が 出来ていた。枝がプロの手によって刈り取られていた。 |
高塚山14時45分
高塚山 172m
北に行くと尾根伝いに平井峠に出るが一つとなりの山で大がかりな宅地造成が行なわれている。将来この 山は無くなるかも知れない。第2阪和国道もこの付近を通る。宅地造成で小さな山が3つも4ツも消えてしまった 北には尾根が無くなるおそれがある。西の尾根に向かって大池方面に下る。最後は急傾斜だろう 予想は当たった。オマケに竹藪だ倒れた竹ほど始末に負えない物はないが、不思議と倒れた竹はない 下りきると大池の淵に出た。淵を堤防まで歩き、堤防から町中に降りた。再び登れそうな所から、愛宕山に取付く |
整備された尾根と 竹藪
大池15時20分
大池に出た
この辺とめっこをつけて再び山頂に向かう。登り始めた横にイノシシの罠が仕掛けられていた
ここにも登山道らしい後があったが不明瞭でした。山頂には20分ほどで登った
再び山頂16時00
愛宕山 92mに出て
山頂から南に登山道がある。昔のお参り道だろう、なかなかの急登だ
途中確かに最近整備されていた。又以前に好き者が登った後があった
予想ではお寺の裏に出るはず、やはりお寺の裏に出たが、残念な事にここからの立ち入り禁止の新しい 看板があった。誰かが整備したのを嫌ったお寺のせいだろう。観音寺と有った |
好き者は少し横から取付いているようだ踏み跡があった。
町中を通り、スパーカブを止めた地点まで帰った。時間が未だある。
16時15分着
愛宕山全景 高塚山
帰ろうとカブの横で準備をしていると目の前の山の山容が素晴らしい。通りかかった方に山名を聞くとオッパン山77mという ウンあれ位ならマダ時間がある。登る事にした。近くまで行くと橋が架かっていた。ここから登ろう |
登山口?
取付くとすぐに急登、どうやら石切場の後らしい。這い登った。始めは石を持って登ったが、半分は木を持ってのぼった 四つん這いになっても滑り、木を持たなければ登れない急登、降りられるかな、不安が走る ナント登ってみると尾根に道があり、ここも最近人の手が入っていた。 取り付き付近 16時25分 |
山頂の見事な枯れ松の根が切られ尾根筋の木の枝が払われていた。又測量杭も打たれている。
山頂からの眺め
北に尾根が走り踏み跡がある。尾根筋から下山するには池尻まででなくてはいけない。途中で西に降りると昔の道があった |
尾根筋と測量杭
西側を巻くように下ると小屋が見えてくる。横の竹藪を通り抜けると取り付きに出る
30分ばかしのサバイバルでした。
16時55分着
オッパン山 私の測量では77mでした
国道26号バイパスが出来てオッパン山は削られなくなった
(2015秋)
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