章魚頭姿山(高津子山)縦走と雑賀崎、和歌浦の浜 2015/05/19 ショウタン |
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総時間 14時15分から18時25分 4時間10分、休息なし |
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章魚頭姿山(たこずしやま)と和歌山市内で尋ねても、知る方は少ないが、高津子山と聞けば、和歌浦に有る山との答えが返るだろう 戦前、戦後しばらくは、関西の新婚旅行のメッカだった新和歌ノ浦、今は寂れその姿は薄いが、景色は昔と変わらず美しい 海岸は雑賀崎の緑泥片岩に始まり泥質片岩や石英片岩、苦鉄質片岩等が海に断崖を作り、見事な地形だ 今は遊歩道や漁港等開発が進み、直接波に洗われる事は無いが、それは見事な地形だ そんな新和歌浦の山、章魚頭姿山を縦走して海岸を歩き景色を楽しんだ 参考資料 和歌浦の学術調査報告書 |
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『若の浦に潮満ちくれば潟を無み 芦辺を指して田鶴鳴き渡る』 現在の片男波と名草山 遠くに高野の峰々 |
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先ずは取り付きは東の端、和歌浦小学校北50m程度の遊歩道から入る 付近の駐車場は東照宮の有料駐車場が一番近いが、ショウタンは貧乏だ、愛用のスクーター、スズキアドレスで取り付きに走った。 小さなピークだが、権現山、天神山、章魚頭姿山(高津子山)と三つのピークがある 遊歩道に入り直ぐに左手の階段を上がればそのピークが権現山だ。 この山は通称青石と呼ぶ青い石が多く、その石を切り出して積まれた石垣や階段は美しい 遊歩道を歩けばいいが、尾根中央を歩いた。 どうやら古い遊歩道は尾根中央に有ったようだ |
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権現山から遊歩道に下り、とにかく尾根中央に道が出ればその道に入る 二つ目のピーク、天神山は和歌山の県木、ウバメガシの森だ。 ここでウバメガシを原料にする紀州備長炭が焼かれた時代があったのか、炭焼きの跡が感じられた |
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見知った山だと、地図もコンパスも持たずに歩いたものだから、方向を失いここは何処なんて少し慌てたところも有ったが、太陽の位置から進む方向を探った。 この山は、遊歩道はあるが、勝手看板や道標は少ない。少し読図が楽しめるだろう山域だった。 尾根中央を越える形で西に西にと歩いた。 遊歩道は潮騒の小道という名があるようだ とにかく尾根、尾根と歩いた。 意味不明の石碑が出て、その広場向こうの山頂に展望台が見えた この付近から和歌浦湾や和歌山市内、加太海岸等が見え出した |
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山からは見えないが、子供の頃遊覧船で見た、青い岸壁の景色を思い出した 今も遊覧船は有るのだろうか??、和歌漁港にその看板を見たがさて?? 展望台に登れば、見える景色は国立公園の景色、それは最高で、和歌山で育った私でも、わー綺麗と叫びたくなる マリーナシティ 和歌山市内と紀泉山脈 旧紀州徳川家別荘の養すい園 昔の海岸沿いは青い松並木がそうだ。↑ ここに水軒の浜が有ったが埋め立てられた 太平洋と四国方面、剣山が見えることもしばしば 南側、有田方面 雑賀崎の集落方面と淡路島 山頂の三角点と夕日百選の碑 二等三角点、出島
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道標はほとんど無い。 ここだろうと、田ノ浦にある切り通しを見たく下るが、どうやら降りた方向はそこには行かないと判断した 良く見ると小さな踏み跡が有った。そこに入った 山肌を巻く小道を歩くと階段が出た 下りきった付近右手↑ ウン?? 登り返してその分岐を確かめた。下るときに出た東屋が階段に続いていたが、正式なルートではないようだ フェンス沿いを下り、下りきると切り通し横に出た。↑ その横に海軍水兵中谷何々?の碑が出た 切り通しは今も生活道として使われている |
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南側、田ノ浦の車道に出て直ぐ右の坂道から次の尾根にと入る その上に、分校が有ったと言う広場に家が建つが、その名残がある 坂道から田野漁港が美しい |
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西の端に古道跡が残る。時々は整備があり人も通るのか踏み跡は新しい 山菜などが有るがそれを摘む人は無いようだ 北側が見晴らせる民家傍に出て、陸橋を渡り、雑賀崎の町に下る所に、小学校跡が出るが、そこは小学校跡と知ることは出来ないだろう 上と下に校舎がわかれ、最下部にグランドがあったという住人、雑賀崎の町は文化財にでも残したい奇跡の街中だ 後で書こう 生活道と校舎跡の巨大な蘇鉄 校舎跡 |
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少し下り車道に上がる これらはれっきとした生活道です この付近は未だ広い道だ 民家前の階段道↑ |
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車道に出ると営業をやめた旅館が目立つ。 鷹ノ巣灯台(雑賀崎の灯台)に向かった。 灯台に登った その景色は、章魚頭姿山とは又違った美しさだが、付近は観光も寂れている 国立公園の看板が悲しい状態だが、この灯台下は緑泥片岩の垂直の崖で鷹ノ巣と呼ばれている 信長に敗れた本願寺の教如が隠れた上人窟が有るが、今は行くことは出来ない 海沿いからチャレンジしてみたいショウタンだ 国立公園の看板と歌碑 江戸期はここに番所と砲台が有ったとか |
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引き返し、写真の位置から雑賀崎の集落に下るが、これが生活道かと思う細い道だ 雑賀孫一がこの道を歩いたのかなとロマンが走るが、岩肌の斜面に段々に建つ家は、文化財に値するように感じるが今は空き家も目立つ 下り口↑ 通路が網の目状に走る 水道が無いころは井戸水だが、岩から染み出す水は塩分は無かったのだろう 多くの家に掘られていたとか、豊かな漁村だったのだろう 氏神様の衣美須神社に登ってみたが、お寺のような作りで見事だった |
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浜に出る途中で話しかけられた。 ジョークに、酔っ払うと家を間違うね、の話に本当にそう思う入り組んだ細い道だ 浜に出た 豊かな漁村の船は静かに係留されていた。 雑賀崎集落を見る |
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海岸沿いを新和歌浦方面に歩く、遊歩道が整備されている 新しい道はトンネルが掘られ思い出の小道の跡は無い 田ノ浦からは古い状態で残っていた 小学校や中学校の遠足や、彼女と浜でデイトした地だが、彼女はカアチャンだ 照れるね 今も若者達が 思い出の蓬莱岩 和歌浦漁港 |
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道が広がり、昔の姿は薄いが、今も美しい通りが残る 紀州天満宮や和歌浦の練り物屋、鍋物にはうってつけの竹輪や練り物のてんぷら等が美味しい 多くの写真で紹介したが、関西でも本当に景色の良いところだ 章魚頭姿山ハイキングや雑賀崎から和歌浦までの海辺、きっと満足できるハイキングが出来るだろう 賑わっていたころの新和歌の浦小唄の動画を貼り付けておこう |
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1.背伸びしたとて高津子山で 5.片男波さえせかれりゃつのる |
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