吉野郡東吉野村史跡を訪ねて
鳥見霊畤と天誅組史跡
2017/05/02
単独
ショウタンは神武天皇や天誅組に詳しいわけでは無い。
酉年の今年、鳥の字のつく山を登ろうと、桜井市の鳥見山榛原の鳥見山と登り、干支とは関係ないが東吉野村の足の郷の道を歩いたときに、
東吉野村が天誅組終焉の地であることと、神武天皇の霊畤がある事を知り、今回単独で霊畤の場所と天誅組進軍の道をあるいた
天誅組の道をさきがけの道と銘打ってハイキング?道として道標が設置されている
東吉野村は日本狼最後の地としても有名で、高見川沿いに日本狼の像がある。
先ず、日本狼の像から書いて見ます
何度も前を通るが、じっくり見るのは初めてで、駐車場もあり整備も有った
  
 
看板には、以下のことが書かれている

日本狼像について

日本狼は、明治の初めまで、本州、四国などにかなりの数が生息していたようですが、その後急減し、明治38年(1950年)東吉野村で捕らえられた
若雄の日本狼が日本で最後の捕獲の記録と成りました
当時この鷲家口の宿屋、芳楼郎で地元の猟師から英国から派遣された東亜動物学探検隊員米人マルコム、アンダーソンに8円50銭で買い取られ
大英博物館の標本と成っています
この標本には採集地ニホンホンド、ワシカクチと記録され、動物学上貴重な資料と成っている
かつて台高の山野を咆哮した日本狼の勇姿を奈良教育大学教授、久保田忠和氏の手により等身大のブロンズ像として再現しました
緑と水のふるさと、東吉野村の自然愛護を願うシンボルとして行きたい物です

とある
役場前を通り、次は吉村寅太郎終焉の地、墓地に向かう
道標と地図、立派な墓所だ
足の郷を越えてきた吉村寅太郎、藤本鉄石、松本奎堂は三隊に別れ、藤堂藩や紀州藩の陣屋を急襲してその最後を飾ったようだが、歴史は詳しくない。
藤本鉄石、松本奎堂の山越えの道は今は近畿自然歩道と成っているが、歩かれる方が少ないようだ
本来は、木津川から山越えで歩くのが順路だろうが、時間の問題で鷲家からとした
何せ、朝から所用があり、東吉野に着いたのが10時半と遅い
今日のコースは、吉村寅太郎墓所の地図を参考にした


血路を求め、
足の郷道より銃口の待つ
鷲家口めがけて切り込み
散っていった義士たち
万斛の思いを胸に
燃ゆる紅葉を血に染めながら
彼等の脳裏によぎったのは
新しい世の中への確信か
そぼ降る時雨の心細さか

こんな詩が大好きな私です

桜が咲き巨大杉に囲まれた巨岩下の墓地は、往時を思う絶好の場所だ
吉村寅太郎が銃弾に倒れた位置には行けなかったが、又行く機会も有ろう
    
  
鷲家は紀州街道が通り、当時は紀州藩に属していた
三叉路には、江戸を示す石票があり、江戸を示す最西端の石標がある
  
この石標灯篭右隣が、藤堂藩陣屋跡だそうです
 
鷲家の小さな一角に、紀州藩、藤堂藩、紀州藩家老の陣屋が有ったようで、各所に切り込み最期を遂げたようだ
 
  
下山は藤本鉄石(津之助)奇襲の道を下った。
やっと近畿自然歩道に入る
 
今回の取り付きは鷲家の路地にあり、石標から見て、往時は生活道であり往来も多かったのだろう
路地を入り、道標に従えば、萩原まで間違うことは先ず無いだろう
途中に、豊姫大明神があり、そこまでは踏み跡も濃い六尺道だ
 
豊姫大明神からは、道は良いが通られる方は少ないようで、所処で落ち葉や小枝が邪魔をする道に成る
道標も出るが??と分岐する所もあるが、間違っても近畿自然歩道に出るだろう
私は、チョットでも近道と斜面を登った所も有る
目標の三角点、鷲家村二等点に登る処に、付近散策の案内が出るが、二等点、鷲家村に案内は無い??
丸い小さな山頂だ。取り付き下にスズキの懐かしい軽四輪ハッチが朽ちていた
アルトと同じバンタイプだったが懐かしい
  
30mばかし登れば三角点が出る
時には登られる方もいるようで、ここを鳥見霊畤と山名をあげるグループもいた
  
立派な石柱が有るが、地元民はここを鳥見霊畤としていないようだ
この意味は分からない
ここは二等三角点、鷲家村としておこう
データーは宝来の鈴さんの点の記版を乗せておきます
山名は無いようです 

霊畤とは神武天皇が大和を平定され、第一代の天皇と即位された後、報恩感謝のため霊畤(まつりのにわ)レイジを建てられ天神を祭って先祖に大孝を述られたと所である。

奈良には、同じ意味の鳥見霊畤は三箇所有り、榛原の鳥見山、桜井の鳥見山、そして東吉野の鳥見霊畤です
その東吉野の伝承もここを含め三箇所有り、ここが鳥見霊畤と言い切る資料は無いようだ
公園化された下小野榛原、私が探せなかった上小野榛原だ。
三角点、鷲家村の地はその道標も無いが、石標は一番立派だ

山頂で食事を済ませ、下小野榛原(しもつおののはりはら)に車道を歩く
  
コンクリ舗装の道だ。
歩けば左手の小高い所に立派な展望所があるが、立ち木で景色は見えなくなっている
立派な双眼鏡と見える山名の板が有ったが、何も見えない

展望台下から階段を下れば、整備が行き届いた下小野榛原が出た
ここは美しい森で山口誓子の歌碑がある。
三角点、鷲家村の山頂にある鳥見霊畤よりやや小ぶりの似た形の石表がある
トイレもあるが、掃除は無い、緊急時なら何とか成りそうだが、虫が・・・・
  
神武天皇や鳥見霊畤について書かれた看板があるが余りにも長い
神武天皇の戦い
来た道を引き返し、上小野榛原に向かう
 
この道標の位置に来たときに写真の軽トラの主が鳥見霊畤について詳しく教えて下さる
下小野榛原に有った説明そのものだ。
三角点、鷲家村山頂にあった、鳥見霊畤、について聞こうとしたが多くは語らなかった
マア、鳥見霊畤の場所はアヤフヤなのかも??
子安地蔵の前に上小野榛原と天誅組の道標が出て、道標どおり上小野榛原に近畿自然歩道を下るが、その位置が分からなかった
村人に聞くと、榛原の町を教えて下さった。これには参った

子安地蔵から萩原の集落に出る途中に八王子社があり、その入り口に巨木の山桜がある
名は、神武桜とか、周囲6m巨大だ
  
 
上小野榛原が出ない。
仕方が無いから引き返し、天誅組さきがけの道を尾根伝いで行こうかと悩んでいると、地図に墓マークが有る
村人に尋ねれば、天誅組の墓所だとか、伊豆尾から登れば周回が可能だ
伊豆尾に向かう
入り口には看板が有り道は舗装で車でも登ることができる
萩原からは、台高の尾根や、薊岳、玉井山、が望め、特に高見山は見たことの無い美しさで見える
  
急なコンクリ舗装を登る。
距離道標があるが、100mは長く感じた
  
伊豆尾から見た高見山は最高に美しい
植林がなければ、墓地からは最高の見晴らしだろう
  
伊豆尾の墓地は松本奎堂とその下士上村万吉の墓だった
前出の地蔵堂付近から尾根伝いに進み、この地で銃弾に倒れたようだ
 
看板から尾根伝いで下山できると見て尾根を進むと、順路は地蔵堂かららしい
道標が出て道がだんだん良くなる
  
二つ目の道標に藤本鉄石のさきがけの道道標が出た。
コースは読めないが、藤本鉄石は鷲家の紀州藩を襲撃している。
鷲家に下れる。道標に従った
  
次の道標が出るが、その後は無い
古い生活道だろう。道跡が残りクネクネと下るが、落ち葉や小枝が足下を悪くする
下るほどに道は良くなった
  
通りなれた高見山への道R166に出た
下山口を見上げる。古い水道設備がある
R166を下る
車では通るが歩くのは初めてだ
  
天誅組志士菩提寺と書かれた龍泉寺に立ち寄ったが、寺の方にそれを尋ねたが、勝手に挙げたといわんばかりの返答だ
深くは聞かず、鷲家に向かう

近畿自然歩道入り口で、鷲家の老婆と出合った
老婆は、この道は賑やかだった。今は誰も通らないから、草木が生い茂っているだろう。と仰った
私が通った旨を話すと、それは良かったと喜んでいた

 
三叉路先の新河合橋の凸地に路駐していた。
休息もろくにせず頑張ったが、ウロウロ時間は7時間15分だった
車で帰路についたが、一の谷前に新しい天誅組の道標と旗、見てみると、兄弟のウン不運の分かれ道、道標が出ていた
時間が無い、
又機会を見て尋ねてみようと写真を写した
東吉野村、歩けば面白い。
雪や樹氷が綺麗な明神平もいいが、東吉野探索も山男には感慨深い物が有った。
又機会を見て、上小野榛原を尋ねてみたい

とりとめの無い記事ですが、私の軌跡です。
 
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