大峰の白倉山と三塚、蛇嵓 2021/07/01 ショウタン単独 |
ヤマレコ地図にリンク 私のコースタイムヤマレコデーターにリンク 母公堂07:45- 法力峠09:18- 白倉山10:39- 廃トイレ11:46- 三塚13:41- 蛇嵓14:50- 洞川16:42- 母公堂17:14 |
膝置き換え手術後4ケ月、静養も大切だが動かなければ筋肉量は低下する リハビリと考え少しずつ無理を加えて山歩きを再開している |
階段の有るルートは避けたい 比較的傾斜が無いルートはと考え、歩き10㎞時間は6時間、なんて読図したつもりがアララ時間も傾斜も思ったより厳しかった 母公堂横の登山口から取付くが、睡眠不足か足が重たい 転ばないように一歩一歩 稲村ヶ岳登山道に出れば、山アジサイが綺麗だが、アレ、コアジサイは無いのかな あの甘い香りが匂うだす。 日がさす所では満開で、これから咲くコアジサイが群生する。花好きなら立ち止まり香と花を楽しむだろうな ユックリと法力峠だ 山アジサイとコアジサイ 足が思うように動かないし、Wストックの両腕もだるく力が入らない 朝食抜きのだからか、エネルギーのミルクコーヒーをごっくん 頭の奥では、白倉山はパスしようかと思い出したが、待て待て初心貫徹と一喝されそうで思いなおして白倉山に向かう 取付きは、桜井市の中学校が昭和に登った記念碑から取りついた この尾根の厳しさは、数回登り数回下った記憶から知ってはいたが、くねくね登ろうと安易に考えた 所が、厳しい、Wストックを登り用に短くして手の力で足を守ったが、ふー腕迄力が入らない 汗 小さな岩は何の問題もない登りだが、リュックをデポしろと悪魔が囁くが、それじゃピストンになる ピストン嫌いなショウタンだ 一歩一歩 |
ドアミまで登ればフラットだと頑張ったが、僅かの傾斜もふー 睡眠不足か? 力不足か? ドアミに付けたドアミ標識が無くなっている 後一頑張りで山頂だ フラットなピークだが、尾根が三方に張り出す所、ここがピークのはずだが、ヤマレコなんかはピークを外す 流石、読図の好きな宝来の鈴は山頂を外さない 一休みで行動食を取った 下りは距離の短い尾根を下る 取付き尾根よりは傾斜は少ないが、尾根が細く小さな岩稜もある ギンリョウソウが咲き始めた 注意しながら廃トイレ前に下る。 五代松新道は名も忘れられがちだが、森沢義信氏の大峰奥駈道、75靡きに書かれた稲村ヶ岳と五代松新道の歴史を貼り付けておこう 少し長く成りますが興味があればお読みください 稲村ヶ岳1726mは山上ヶ岳の南に位置し奥駈道から外れているが古くから修行が行われていた霊場であった 大日山の鋭い岩鋒は どこからでもよく見え、その山容に魅せられた修行者も多かったに違いない。 金峯山修験本宗採用している東南院文書の七十五靡一覧には山上ヶ岳蔵王堂と湧出嶽に続いて第22番の靡きとして稲村ヶ岳が取り上げられ (苦行所)(参篭)との注がついているので、山上ヶ岳同様に参篭所(宿坊)が有ったのかもしれない。 この山は女人禁制では無かったが、聖地大峰山(山上ヶ岳)とは指呼の距離に有るため、女人の登山ははばかられているようである。 昭和35年に洞川の龍泉寺が自ら境内の女人禁制を解除した時に、稲村ヶ岳の暗黙の禁制も正式に説いている。 龍泉寺はその後、稲村ヶ岳を「女人大峰」として、行者講などを通じてこの山で修業した女性に回数に応じて小先達、大先達になどに補し、「稲村ヶ岳 女人道場修行」の免許状を渡している大日山頂上には大日如来が祀られているが、稲村ヶ岳の本峰は狭い頂上いっぱいに鉄骨製の展望台が作られている。 |
稲村ヶ岳登山道 洞川の町はずれに有る稲村ヶ岳登山口から五代松鍾乳洞、法力峠を経由して白倉山の西南肩をたどる五代松新道は、道幅が広く勾配がなだらかであるため多くの登山客に利用されていると同時に、多くの女性登山者が稲村ヶ岳を訪れる理由とも成っている この道は昭和の初めに7年をかけ、執念で五代松鍾乳洞を発見した洞川の赤井五代松が、鍾乳洞探索の傍ら一人で切り開いたものである ノミとツルハシを持って毎日取付かれたように山に入る五代松は「青の洞門」を切り開いた僧禅海と重ね合され、鍾乳洞を発見された時には新聞に 「今様禅海、霧氷の神秘鏡に挑む」大見出しが付いたという それまでの道は虎丸と呼ばれた現在の毛又橋の辺から尾根に取りつき白倉山を経由して現在の山上辻に登っていたようであるが、難路で合ったらしい 別参考文献 稲村ヶ岳についての一番古い登山の本 昭和九年の古書、『大峯山脈と其渓谷』からのコピー 炉端山友会が古道を探索した記事 其の1 森沢義信氏著大峯奥駈道七五靡からヒントを得たルート 其の2 稲村ヶ岳旧登山道探索 |
本題に記事に戻ろう 法力峠でマタマタ帰ろうかなんて考えてしまうが、初心貫徹と言われそうで頑張ろうと決心 久々に法力峠から三塚に向かう なーに直ぐさなんて地図も見ない 始めは良かったが、登れど確かあった岩稜帯が出ない 時間もないGPSをカンニングした。アララ50mも登っていない 大日や稲村が見えるが、写真パチリで登った 繁殖力の強いジギタリス、花は綺麗だがこの山では嫌われ者だ もうじっくり見ていられない、時間が迫る 三塚に着いたが写真を撮って、行くぞー アララ観音峰に下りかけて直ぐに気づくが、戻らないショウタン、倒木を乗り越えながら目標尾根に修正する 途中から何度か登ったこの尾根は少しは記憶がある 尾根芯に有った特徴のあるミズナラを見つけ、記憶のゴロ石ピークを超える |
更に下り二つ目のゴロ石ピークは巻き、尾根芯を外さないように慎重にコンパスと地図のにらめっこ 時間はかかるが、日は長い、ゴロ石注意で更に歩きは遅い ジックリと歩けばマークはけっこうに有る 木に巻いているもの、落ちたテープ、薄い踏み跡、慎重に下る 目標の蛇嵓は遠く感じた 出た出た、白い尾根は美しいがもっと長かったはずだが、数年でその様子が変わっていた |
適当に座り込んで、今日二回目の行動食、この蛇嵓の名は残したいと名板を書いてきた 私が気づいたのは、2001年ゼンリン発行のエアリアマップからだ 適当な木に名板をぶら下げた 何か忘れるショウタンだ。リュックから細引きを探し出したが左右色違いだ |
尾根芯を外さないように石灰岩のゴロ石隙間を選んだが歩きにくい 小ピークは巻き、慎重に下る 途中から黄色のテープが出だし、もうコンパスは放棄して黄色のテープに頼った 時間が無くなってきたからだ 植林が大きく成ったり雑木が大きく成って石に苔がむし白い尾根は消えている 尾根に白い石が並ぶさまは、白い蛇がいるように見えたのだろうか この尾根裾に、蛇之倉七尾山と言う新興宗教の寺がある。 母公堂南直ぐの谷は蛇谷と言うし、蛇の付く所が多いようだ 慎重に下るが、カルスト地形の岩ゴロゴロは多い、足に注意で下りはより遅く下った 私の下山目標は、尾根先の墓地付近だったが、墓地は金網で囲われることも多いと思いだし、下調べ記事の赤いペンキマークのルートに従った 忠実にマークを追う マーク分岐の尾根を掴むには、山肌の形状は磐のゴロゴロ、難しい ペンキマークが無ければ、多分だが墓地付近に下ってしまうだろう ペンキマークはメチャ多いが、これほど打てば踏み跡が濃くなる 私の足では、油断できないやや危険な、ゴロ岩をクネクネと下る 尾根がハッキリしだすと通常植林の尾根に成った 参考記事の書かれているように別荘が見え、階段を下った 通常は洞川温泉から観音峰登山口方面に行かれる方が殆どだったが、へそ曲がりは墓地から洞川温泉街に出て母公堂に向かう私だが ふと道下を見ると薄い踏み跡、その先にガレージが見え下に道に出れそうだ 下ろう 直に下れば測量杭が道を印、畑道が出て村中に出た 村人と話し込めば、ヨウマア下られたと笑顔で話された 来れば購入する陀羅尼助丸、国内旅行や海外旅行も出かければ陀羅尼助を毎日服用する お陰で、水あたりも無く助かる常備薬だ。飲みすぎにもいいのですがね あと1,8㎞ 購入旅館にリュックをデポさせていただき、美しい花を写していると、母公堂の管理人さんが私を見つけ、母公堂迄乗せてくださった ありがたや 800円の駐車場代はタクシー代も含んでいたのかな ( ´艸`) 管理人さん有難う。 管理人さんンに色々と情報を仕入れて、帰路についた |
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