孝安天皇陵玉手の丘と玉手山、日本武尊白鳥陵(ヤマトタケルノミコトシラトリノミササギ) 2021/08/08 単独 |
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車を御所市市民運動場の駐車場に置き、秋津鴻池病院前の車道を北東に歩き山裾を左手、北西に入る 気温はぐんぐん上がる 三差路に秋津洲の道の道標が有り、孝安天皇玉手丘上陵方向に入る 読図から山裾に直接入るのも近いが、覗けばブッシュを感じ、夏向きではない 途中の破線など道はないか見るが無い 広い墓地が出て道が三差路ふうになれば、左手の電柱に道標が出る 金剛山や葛城山は身近に見え、古の風景を思えば金剛山の偉大さが見える 道標に少し迷うが、階段だろうと入れば鳥居が右手に出て、鳥居からも階段が登る 鳥居側を登るのが御廟だろうと階段を登る 無風だ、汗が滴る 鳥居下に7体の地蔵、階段脇に一体の地蔵、幾つか地蔵が有るのかなと思うが地蔵はこれで終わりだ |
リハビリのつもりで階段を登るが、未だ階段は杖や手摺が必要な足だ ユックリと登った 登り切れば神社が出て、これが考安天皇玉手の陵(みささぎ)で有ることに気が付くのに時間がかかった 片隅の道標は理解しがたかった 玉手山、山城古城跡に登るには再度短い階段を登り金毘羅宮の参道を登る 金毘羅宮も立派だがお参りする方は少なそうだ 金毘羅宮裏手から山に入る 踏み跡も無いが地形図には破線道が書かれている 簡単な道だとコンパスを一度で目標の山頂にとって雑木の中を歩いた 花などないが、名の知ったコクランが花跡を残し有ったが、不人気な花だ、綺麗さは無いという 気温が35度近くになると虫も出てこない。 蜘蛛の巣を払いながら登る 気が付くと何処かで尾根を外していた。アララ、少しアルバイトだ 登ってゆくと道らしいへこみが出て道跡とした 最初は畑の跡かなと思う平地の階段状の地形、よくよく考えれば曲輪跡だろう 最後の本丸にはブッシュで直登出来ず少し回り込んだ 平らな山頂は山城跡で玉手山山頂と言う事か ここは越智氏の城跡だという 下山は降り良い所を選んで下ると、初めて一巻きのテープが出た 時には登山者も有るようだ 蜘蛛の巣祓いと倒木またぎで方向を外しそうだ。下山はGPSで方向を確認した。 |
金毘羅山の参道を下り階段下の御廟を覗いてみた 立派な武者姿の額が多くかかっていた 長い階段下まで下り、階段に座り込んでおにぎりをホウバッタ、暑くって食欲は出ない |
駐車場下まで帰り車道で日本武尊白鳥陵まで歩く やはり要所要所に道標が有る 車道は地獄だ、風はない 道標の正面に白鳥の陵が見える道標が出た こんもりとした森がそうだろう 案内に従った 田の中は幾分か涼しいはずだがそれを感じない 地図から国見山を確認したが、今日の気温では水が足りないし危険と感じ、国見山は諦めた 携帯で気温を確かめると36度、体感気温は38度と出た ふーー |
案内は小さな丘を越えてゆく 途中の日陰に家庭菜園らしい畑の椅子が置かれていた。少し座ったが涼しさはない 丘を越えると整備階段が出た 表参道はこちら側だろうと思った 登ると椅子や案内御廟囲いが出た 日本武尊は父、景行天皇の命で熊襲、出雲を倒し西国を平定し直ぐに蝦夷の平定に向かう 蝦夷平定の帰路、伊吹山の神との戦いに破れ傷を負った 能褒野(三重県亀山市)で故郷をしのんで 大和は国のまほろばたたなづく青柿山隠れる大和し美し と歌った 能褒野で崩れられたので御廟を作リ葬ると白鳥に成って大和に飛び去った やがて、白鳥は琴弾の原にとどまったのでそこにも御廟を作った そこがここ、御所市富田だ しばらく留まり再度飛び立ち河内の国の旧市邑(羽曳野市)に舞い降り、そこにも御廟を作った その後白鳥は天高く飛び去ったと言う 俗に言う、白鳥の三御廟の伝説が書かれている 御廟を廻る形で駐車場に向かうが、途中少しでも近く涼しい所と、田の畔を横切った 風が無い36度は歩けるものじゃない 車に帰れば2Lの飲み物は底をつき、販売機でカルピスウォーターを買って一気飲みだ グランドでは少年野球が戦っていた 今回のハイキングで伊吹山に日本武尊の像がある意味が分かった 敗れたとはいえ日本平定の立役者だものね |
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