行仙宿2022年の迎春準備に参加して
2021/12/19
新宮山彦ぐるーぷにて

新宮山彦ぐるーぷ管理の行仙宿小屋(無人小屋有料)の迎春準備作業に参加しました
2000回を越える各種作業の中で、年末の閉めともいえる行仙宿小屋の迎春準備
1000m位置にある小屋は、気温も冬は氷点下、年末の気温は常に氷点下、久々に雪が舞う中の作業と成った

小屋の掃除、トイレ汲みだし、ソーラー発電の点検、水場や行者堂、管理小屋等の注連縄張替
多くの先輩たちが小屋を建て守ってきた。モウ小屋にも来れない高齢と成った方
天寿を全うした大先輩も多く、歴史の中で小屋を見守る
今回の参加者の中で、小学生から小屋作業に参加している女性がいる
今回も母親と二人で参加されている。小屋建築時の写真に家族で写る
最後の終礼で頂いた小屋の歴史ともいえる作業報告書抜粋
玉岡憲明代表の報告や第二回の報告は女性が書かれている
お会いしたことも無い山下照代氏、御存命なら100歳に近いという
その報告書の中にも当時小学生だった女性の名が載っている
現代表の沖崎吉信氏は、2000回の作業の中で歴史を知りそれを心に残してほしいとの言葉
大峰の山にかける思いが伝わった閉めの挨拶だった


遠くは名古屋、和歌山、奈良市、大阪堺、三重熊野方面、新宮方面から参加の21人

   国道425号のかなうなぎトンネルを越えると、路面に雪が
登れば積雪と成り、二輪駆動の我が車はやや不安が有るが
スタットレス効果か無事に登山口に着いた

準備間もなく、行仙宿荷揚げ道の赤い階段に21人が集合して
雪の階段を登る

遅足の私は最後尾を登り、一年中水は枯れない取水場の注連縄張替作業を見守った。



 水場から一曲がりすれば、不慮の事故で旅立った二代目、
新宮山彦ぐるーぷの代表を忍碑が有る
いつ来ても好きだったビールや花、
作業にいそしんだ作業道具などが置かれていることが多い
その日に、川島さんの最後を知る私は、自然と手を合わせ
今日の作業の無事を祈りながら登る。





道の積雪は徐々に増え、アイゼンが有れば歩きよい
私も軽アイゼンを付けた
 
 小屋周りはマイナス3度程度だが、強風で体感気温は相当低く
少し侮って、里山程度の冬服装で反省

今年11月中旬に行仙岳、白倉トンネル側の登山口から、行仙岳、
笠捨山と向かった登山者が、行仙岳南側で滑落、自力で登山道に登り返せず凍死なさったとか
コース的にもごく一般的な所だという

紀伊半島南部の山は暖かいと言えども1000ⅿを越えれば冬の気温は半端ではない

2021年も大峰山系の死亡事故例は4件と悲しい(私の知る範囲)
ハイキング気分ではなく、経験豊かな方との登山が望ましい大峰山脈の各山々だ
 掃除用の発電機をスタートさせようとするが中々エンジンがかからない
一番若いだろう会員が、ロープを引けば一発始動、老いたかなー (;^_^A


小屋では清掃やかたづけ、不用品の持ちおろし準備




水場に下り


清掃と注連縄の張替え
足を悪くしてから長らく水場に下っていない私だが
冬は氷ることも多く、夏は日照りが続けば枯れることもある
水の確保は大峰縦走のネックだ

行仙で水が枯れれば少し遠いが荷揚げ道登山口の上の水は枯れない
イヨイヨ非常の場合は置き水の使用も可能だが、冬場は凍り付き溶かすのが大変だ。
 昼食はワイワイ、飲んべーはくそ寒いのにビールをごっくん
運転を任せたと、又ごっくん
これを楽しみに又来る会員
何年も続いている

昨夜からの前泊会員もいる



新ストーブは暖かいが何せ部屋は大きい
最大30人は泊まれるワンルーム
お正月用のお供えと宿泊者用のお神酒
自由にお飲みくださいと添え書きが有る
 
下山準備が始まる
いつもの山の安全と会員の健康、世界の平和と不動堂で山伏の会員が
勤行を導師する

山で父を亡くした会員もいる
勤行の響きは吹きすさぶ風よりも大きいい
大峰を愛し、山を愛し守る心はいつも一つだ



 荷揚げ道は厳しい
今はモノレールが登山道の半分ほどついているが、いつも何十キロと持ち上げたものだ。







雪の笠捨て山↓









 迎春準備も終わり、本格的冬の大峰が始まる
避難小屋的要素の新宮山彦ぐるーぷの管理小屋は
釈迦が岳深仙宿避難小屋
持経宿小屋
平治宿小屋
行仙宿小屋
どれも無人小屋だ
宿泊料は2000円を基本に小屋補修の管理費として頂いている
又山好きな大峰大好きな方達の参加をお待ちしています
会費も規則も無い、山への情熱とその常識を持ち合わせ
心を一つに出来れば参加は誰でもできます

新宮山彦ぐるーぷホームページ
を閲覧くだされば作業募集の要領が載っています

冬季保守は浦向からや前鬼と徒歩で登ります




 

無事に下山しての終礼で三代目の新宮山彦ぐるーぷ代表は

作業は2000回を超えた。行仙宿小屋建築から、大峰奥駈道南半分の
南奥駈道が廃道と成っていたのを、当時の会員達が道を開き小屋を建て、それを保守して世界遺産に成るまでの一連の作業は、会員への報告として記録が残っている。第一回目を知る会員はもう少ない
その記録の代表的な記録を下さった

読んでいただきそれを心に刻んでほしいとの閉めの挨拶は心に響いた
今年も高齢化した会員はお亡くなりに成りました
それほど長い歴史の中で、小学生から小屋設立準備や作業に参加した女性が母子で参加している。
お母様はもう80歳を超えているだろう
それでも私が参加すれば必ず参加されている

又私のホームページを通じ歴史の一端を載せてみたい


 

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