干支の山
和歌山城、天妃山と虎伏山 
2022/11/15
単独

記事はヤマレコにリンクします
 徳川の時代に成り和歌山にも城主が出来た
この頃までは、まだ紀ノ國の名が主で和歌山の名前は無かったが、秀吉が和歌山城と名付けた所から和歌山が始まった
歴史的には城主が存在したのは、浅野家時代からだが徳川の頼宣公が城主となり江戸の西側を固めたのが和歌山だ
55万石と平城の威風堂々とした城は、海や川、大阪や京都に近く守りは堅固だったのだろうが
昭和の大戦で消失して、現在の城は市民が県民が其の再建を望み作られたのが現在の城です

和歌山城
 

紅葉もたけなわと体力の復元に和歌山城を歩いた
虎伏山に建つ和歌山城は寅年の干支の山として登る方も多いが春から秋にかけて桜や紅葉の人気スポットでもある
 
戻る