紀泉高原、 和歌山市で一番高い山、雲山峰と行雲山峰 2023/02/04 ショウタン |
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入学シーズンに成れば墓の谷行者堂に母の願いで参詣者が増える 上水道が無かった和歌山市の奥座敷、畑地区に水道工事で入れない今(五月まで)、土日に集中する参詣者 私達夫婦も、子供の進学や、孫のお受験、また進学とジジババの願いの参詣をしたものだ 子供のころお婆に連れられ帰りに出店やうどん屋で食べたうどんの美味しさは今も忘れない 今は、出店も無いが母たちが受験の合格を願い参る姿は変わらないが、人は減った 又、紀泉高原に登るとなれば墓の谷行者堂から青少年の森に登り、縦走等を楽しんだものでした コースは六十谷道や直川道が修復され今は主な紀泉高原の取付きコースに成っている そんな中、行者堂からのコースが復元できないか気に成っていた所、ボランティアを楽しむCiclistグループが行者堂の裏の落ちかかっていた鉄橋横に 新しく橋をかけてくださった ひとまずは地蔵峠から行者堂には安心して参詣できるようになった。 感謝 工事中の写真 |
大関橋駐車場は満車の状態だ バイクの私も置き場所に迷う 水道工事はお休みで車道を奥に歩く 久々に大関橋から車道、林道と歩いて行者堂に行く 途中には、椎の木地蔵や小川地蔵、牛神の祠などが有る 今は民家は半分以下になってしまったが、いつもお花が添えられ綺麗な地蔵に 古い昔の道標や牛神さんと慕われる馬喰と牛の弔いから出来たと言う祠 険しかった道を馬喰が牛と転落して亡くった牛と馬喰を弔う祠だそうな 墓の谷には林道に成ったが私の知らないころは細い参詣道だったようですがもうその跡は無い 井関橋は井関峠越えの分岐で、道標は墓の谷を示す 起点はハッキリしないが50丁の参詣道で井関橋は18丁と言われていたようで、丁石が有ったが何時しか亡くなった 道標だけが橋の横に有る 誰が距離を計測したかは知らないが1.6kmの新しい道標もある 私は古い18丁の呼び名が好きだ |
緩やかに登る林道終点に、行者堂が有る 木造だったが火事で消失して今は木造風なコンクリート作りだ ご神体の、役行者とその母、白専女を祀っている 火事の時に割れてしまい、付近の巨石から新しく石仏師が彫り上げたものを祀っている その台座を作るための石を谷から運んだ記憶は新しい 日本遺産に指定されて行者堂も経塚三番とされた はっきりとは三番は分かりにくいのだろう このお堂を守ってきたのは前鬼後鬼では無く 役行者が妓楽、妓女のの二鬼をつ使わしお堂を祀らせたという伝説が有る ゆえに、母の谷とも言い、母の願いをかなえる事から、母のお参りが多い 一休みして、お堂裏から青少年の森に向かう |
ボランティアに架け替えられた橋を渡り谷に入るが、道は大荒れでゴロゴロだ 道標は地蔵峠にも登れるが、旧道の登山道を登る マア、荒れている事は逆に楽しいが、足元には神経を使う 時には通行者も有るようで上から登山者が下ってきた 直川道に突き上げれば縦走路は良く踏まれた道だ 直ぐにJR紀伊駅の分岐に出る ここには紀泉高原で一番古い道標が今も残るが、その役目は無い 現在の直川道を東尾根と読んでいたようで、井関峠から青少年の森、直川道、大関橋までの尾根をその様に読んでいたようだ 又、西尾根は井関峠から大福山、奥辺峠、有功中学までの尾根をそう呼んでいたと聞くが、今は六十谷道が主流だ 六角堂は人がいないが、青少年の森広場で良く出会う80歳越えの二人の女性に出会う いつも元気で山を楽しんでいる よく見れば、リュックに鋸が有る きけば、蔓植物に巻きつかれた桜は蔓が先まで達すれば枯れてしまうとか、蔓に巻かれた桜を見れば蔓を切り取るとか 雑木の中にも入るのだろう 山中渓から多くの団体が来た 青少年の森は急に賑やかに成った 見晴らしは最高だ 二人に分かれて雲山峰から行雲山峰に向かう 雲山峰までは道標が有る 雲山峰で時間測定で写真を写し、直ぐに行雲山峰に向かった 一人の女性が、行雲山峰(ぎょううんざんほう)を雲山峰に行くと読みややこしいからとクレームがついたとか、仮名を打っても理解せずらしい 面白い話だ 雲山峰から、尾根通しで落合まで道が有ったようで、反射板が有った頃はその道も残っていたが、今はマニアの道だ 明治の地図に上手くリンクできるか試してみよう この地図は1908~1912年版です 現在より精度は落ちるがよく測量されて標高はほぼ変わらない正確さだ 「今昔マップ on the web」より 昭和の40年頃に森が整備されていた名残もある行雲山峰 小さなピークは急傾斜で良く滑る 簡易ロープが張られている 緩んでいたのでロープを張りなおしてみた 雲山峰に向かうに役立たずな道標が有る 雲山峰で昼食だ 三人の女性が六甲から来たと言った 山名を言うのは面白い 山中渓に向かった。健脚そうだ 雲山峰も葛城経塚第三番と言う事です ここは、紀伊村や落合の雨乞の森だった事です 祭主は直川の丹生神社で、祠は丹生神社に合祀されていると聞いた? 一人飯は早い 引き返し地蔵山ピークを越えて井関峠に急ぐ 明治の地図から道は少し違うようだ 鉄塔管理道ができてコースが変わったのだろう 地蔵山とは山域を表すのであってピークは無いが、一番の高所に休憩舎が作られた事が有った 今は灰皿代りの土管がその名残を残す ヤマレコやヤマップに出る地蔵山位置は少しずれている 446m地点は図根点が有るが最高所ではない |
すぐ下が縦走路ですが痛みは激しい 明治の地図は地蔵山ピークからはせる尾根上に道が有ったようだ 井関峠に急ぐ 井関峠から鹿路坂を下り井関橋に出る この道もおおきな倒木がかぶさっていたが切断されていた 途中の山抜け点は滑りが収まっているようだが林道の復活はなさそうだ 大福の名水は今日も湧き出ている 私の聞いた話ではモウ100年は枯れた事が無いとか、水量も少なくミネラルも少ないようだが、紀泉高原で唯一呑める湧水だ |
その下の谷に橋がかけられていた 雨が降れば水が流れる 水くみに来る方達が大変だろうとこれもボランティアさん達が雑木の倒木で橋を架けていた 五時までに帰宅したかったがマタマタ遅刻だ 井関橋で少し休んで後は一気に大関橋に向かう 帰路には良く見える割谷の弁才天、最近花木が添えられている 又誰かがお祀りしているのだろうか、完全に道のを修復できていないが通行は可能にした 水の神様の弁才天は七福神唯一の女性神とか、この弁才天様も美しい 遠く道から手を合わせ大関橋に向かった 大関橋Pはがらんとしている 今日も最終登山者に成ったようだ |
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