名草山 2024/03/19 単独 竈山神社に参詣して、はさみ池の登山口から登った コースは書き表しにくい 地図を見ながら行く 竈山神社は五瀬命(神武天皇の兄)の御廟が有る神社、 はさみ池グールルでリンクします
そこで五瀬命は「我々は日の神の御子なので、日に向かい、東に向かって戦うのはよくない。日を背にして、西から戦いをしよう」と言い、浪速津から紀国へ、南の方へと船を動かした。しかし五瀬命の矢傷は酷くなり、紀国に上陸すると、とうとう亡くなってしまったのである。最期の時を迎える際、五瀬命は「卑しい者の放った矢の傷で死ぬのか」と雄叫びを上げたという。そのため、この上陸地を男水門(おのみなと)と名付けたのである。そして亡骸は竃山に葬られたのである。 |
路地の向こうに名草山と道標が見えた 登山口を掴めば後はどのようにしても山頂に達する 私は道成に歩き右手にテープを見て尾根にクネクネと登る 登り始めて直ぐに深い穴が出た。防空壕にしては奥が深すぎるし細い。何だろう と思いながら尾根に出る 畑跡の尾根は風化した石の土?で歩き良い 道成に歩けば良い 生木を切り、所々に見晴らしが作られている。見晴らしは良いがチョット過剰整備は気に成る所だ 堀切など有り名草山を東西に繋ぐ道跡だろう 名草山は歴史的にも古そうです 名草戸畔(ナグサトベ) 名草姫について検索を掛ければ面白い話が見えます 神武天皇の東征軍と戦い敗れはする その昔は島で、神武天皇東征の頃陸続きになっていた その周囲には阿備の七原(安原、広原、吉原、松原、内原、柏原、境原)と言う地名が残る 私の遊び場は境原でよく遊んだものです 話が飛んでしまった 道成に登る 見晴らしは、国立公園の新和歌の裏や高津子山(章魚姿山)や海南市、淡路島などは凄く綺麗だ 途中に一本松広場が有る そこからはやや急坂です |
山頂に出れば桜が植林されているが、開花には少し先そうだった 山頂で立休憩をして南に下る マリーナ台をおり返そうと思い立つ 記憶で下るが、名草山と侮り地形図は持たない 見事に尾根を外す。 まあ行けたのかもしれないが記憶と合わなかった 広い道に出て下れば、自分が作り上げた小岩の休憩所、見晴台に出た 見晴らし台下の穴は今も崩れずに口を開けていた 単純に内原神社に行けた記憶だがチョットウロウロ 記憶の場所に出て下れば、マリーナ台が見えた 一人が休憩中だ 名草山にしては、登山装備はシッカリとしており靴も登山靴だった 話せば和歌山労山お方でした 痛みが出たマリーナ台の休憩机を利用できるのは今日が最後かもと感じた 痛みが出る 妻の手弁当を食べ休憩する 内原神社に下れば旧道歩きは長いし車が多いとアドバイスを頂き、ひとまず山頂に引き返す 少し面白くと直登で登ればアラ、最後は笹の本ブッシュだ 😢 整備道にズズズズzと3mばかし降りて歩く 下った記憶が有るようでないような小さな踏み跡に写真の乃木大将の石碑が出た 何処かに出るだろう 道は整備が有りどんどんと下る 途中から未整備になったが、踏み跡は濃い 少し耕作地跡の小屋で???方向を探した 下る 民家裏に出た 旧街道に出る所に、合気道の先輩道場に飛び出した ここで、一度下ったことが有るような気がしてきた 旧街道には地蔵様や歴史を感じる民家が出る 歩くに楽しい 若宮八幡神社が有り、柏手を打ちに行き歴史を感じる |
紀三井寺の参道を横切り正行寺を目指す 正行寺から登り返して竈山神社に帰るつもりだ 露路道を入る 道は記憶にない 有り難いGPSは道を教えてくれる 途中で紀三井寺の吉祥水の案内が出た 登り、吉祥水をペットボトルに汲み取った 飲用は煮沸する事が書かれていたが、山にあれだけ人が入れば気に成る所だ 家でコーヒーを入れたが、いつもより味が濃いように感じた 吉祥水の事が書かれていた 残り水を流す溝横に山ワサビが花を咲かす 案外湧水は冷たいのだろう |
正行寺は記憶のままだ 一本松に登り返すのだが、墓地横の階段がフー すっかり忘れていたが、高皇神社横を登ると山道に成る 道は踏み込まれているが綺麗だ 一本松広場に出た はさみ池に向う 来た道を素直に帰らない 田尻坂田の道標から、はさみ池に行けることは知っていた コースは記憶にないが、下から登られる方に挨拶すれば、はさみ池に行くにはと道を案内してくれた 途中に生木を切り、見晴を作っている 見晴らしは良いものだが、前出の労山の方が言われた 切りすぎて土砂崩壊も怖いと言う 道成に下ればはさみ池に出た 例年なら早咲きの紀三井寺の桜だが、地元の人が言うには後10日ほど先かなと言う 私も固い蕾が多かったが、二本の桜が満開だった 春がそこまで来たが、今この記事を各3月20日、外はみぞれが降り、駐車場に白いものが見える |
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