紀伊風土記の丘 大谷山と大日山、天王塚 2024/03/20 単独 ヤマレコの埋め込み 紀伊風土記の丘の駐車場に車を止め、南西の方角に見える大谷山の尾根に取付く 町中の道を歩き、猪除け金網などが無い事を祈りながら尾根先に行けば、取付きよい尾根先だった 尾根先から取付けば、尾根は畑跡で畑道らしいものが直登して、テープマークも有った 段々畑跡を登れば小さな膨らみは全て古墳の様だった 崩れ落ちたり、わずかな凹みを見せたり、この付近の古墳は未整備でした |
少し傾斜は有る尾根だが登りよい 気温は低く、強風で風の音が恐い 今日、紀伊風土記の丘を選んで登ったのは、枯れ木の整備が有り、風の倒木は無いと見たからです 大谷山は公園外で枯れ木は最大の注意を払った 小さな膨らみを見付ければ、古墳跡を感じる 山頂は古墳ですが整備は無い 大きさにすれば大きい古墳に入るだろう 大日山を目指す 踏み跡は濃く、鞍部から西の方に下る破線は濃い踏み跡だ 鞍部から、大日山古墳の下を左回りで回った 東作り出しの上には復元された埴輪が並び、後円部には三等三角点、岡崎が乗り、古墳を意識しなかったのだろうか、高圧鉄塔が立 大切な史跡なら高圧鉄塔の場所移動はしてくれないのだろうか |
公園内は広い車道風の道から、各古墳を廻る小道と選択ができ、発掘した古墳には番号が有り、又大きなものには名前が有る トイレも二ヶ所あり、簡易水洗トイレは日ごとの清掃が有るのだろう綺麗だ 最遠のコースで古墳群を楽しむ 二つ目のトイレ裏から中学生頃に登って来たであろう記憶の尾根を歩いてみた 古いテープは残るが、もう道は無い 子供の時は未整備で口を開けた円墳が陥没していた 落ちれば怖いと高い笹を掴みながら山を徘徊した そのころ、名草山の裾野の 阿備の七原(安原、広原、吉原、松原、内原、柏原、境原)と呼ばれる集落の田や畑で矢じりや土器片を取集する楽しみも有り 古墳の山にも何かは有るかもと登ったような記憶が有る 山は、遊び場だった 余りの生えこみに、道を探せば真下にコンクリ舗装の道が出た これは天王塚の整備道だろうと感じ道に降りた 子供のころ登ったであろう彦地峠が出た 少し覗き込めば、思い出の段々畑跡が残っていた 弁当がわりに、大根を引き抜き齧りながら登った記憶が有る。悪ガキだった |
作業中の方がいた 尋ねればまだ公開はしていないが行けると聞いた 古墳は木が切られ姿を現している 工事も始まっていた 祭日で工事人はいない 古墳に登った (;^_^A 強風で立つことができない事が有るほど風が強い 四等三角点、天皇塚が乗る 見晴も海が見え紀ノ川平野も見渡せる 名草山も見え、主要な位置は見晴らせる山頂に有る天王塚だ 引き返しは尾根中央を覗けば、昔の畑道が測量と共に残っていた 彦地峠まで道は常態良く残っていた |
彦地峠に出て、舗装路を引き返しトイレ前から最遠に成る遊歩道で下る 小さな膨らみは全て円墳らしい 工事人さんが教えてくれた 危険そうな古墳の石室には発泡スチロールを入れて修復しているとか、なるほど 幾つか中に入れる設備の物は入って見た 神戸の震災時は和歌山は震度5弱だったはずだが、どれも壊れていないのは凄い事だ 石室を剥きだした展示も有る |
大きく回り込んで下れば 舗装道は避けられる 工事中の場所も有るが、全ての古墳は測量されているのだろうか 豪族が住みついていたのだろう 紀の川が豊かな実りを作っていたのだろうか 山裾は公園です 古民家の重要文化財の家や土器類の展示室などが有る 又、地域の稀少な植物もさりげなく植えられている 地域の健康歩きや、登山愛好家のポッカ地とか人も多いが、今日の天気はメチャメチャで、晴れたと思えば雨が降り、風が吹けば霙が混じる チョット暇つぶしに歩いてみたが、楽しい紀伊風土記の丘だ |
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