秋葉山から高津子山(章魚頭姿山)と玉津島(妹背山、鏡山 奠供山) 2021/07/11 単独 |
コース図です ヤマレコ地理院地図にリンク |
和歌山市内の名勝地、和歌浦の低山を廻ってみました 秋葉山、章魚姿頭山(高津子山)、鏡山、奠供山、妹背山、です 鏡山、奠供山、妹背山、今回下調べなしで不安が有ったので登らなかった雲蓋山、妙見山、船頭山、六山で玉津島と呼ばれるそうです 2006年2月22日に船頭山を残して廻っていることをすっかり忘れていました 先ずは、秋葉山の東、遊歩道登山口から登りました 私はバイクで行きましたが、バスでも行けます。 和歌山駅から医大病院前行き塩屋バス停下車?です。詳しくは和歌山バス073-445-9133(代表)でお問い合わせください 塩屋自動車学校前のコンビニ看板下にバイクを止め、秋葉山隧道に向かいます 正面突き当りに階段があり、登れば秋葉山梅園に出ます 梅園は数百本の数が有ったことが有るそうですが、今は60本ほどらしい 綺麗に整備されていました 少しウロウロと山頂を探しました。道標は無いですからここはGPSを頼りました 山頂は、山城跡で和歌山の雑賀孫一の城が有り織田信長軍と戦ったそうです 秋葉山は御坊山、弥勒寺山等と歴史の移り変わりで山名が変わっていったそうです |
山頂には蓮如上人の碑や古戦場の様子が書かれた看板が設置されています 山頂下は公園でトイレや展望台遊具が有り綺麗に整備されていますが、ボランティア活動の様です トイレ前からの高津子山や和歌浦湾の見晴らしは綺麗でした パソコンで切り出したマピオン地図から国道42号線側に下山して行きます 子供たちの声が聞こえだす秋葉山プール近くで写真の碑が出て 秋葉山歴史的な看板が出ます その碑の設置意味や秋葉山の山名が変わって行った事が書かれた看板が有ります |
子供たちのプール遊びの声が聞こえ、子供と遊んだ頃を思い出しながら、下りに弱い足をかばうために障害者用エレベーターを利用して国道に下ります 歩いて直ぐの五百羅漢禅寺に向かいます。 途中の山下に立派な石碑が有りますが、意味は解りません 五百羅漢禅寺の墓地前に立派な看板が有り、読めば五百羅漢禅寺の歴史や秋葉山付近の昔の様子などが書かれた看板が出ました 和歌山市民なら一度は聞いた事がある神亀元年(724)山部赤人の歌、若の浦に 潮満ち来れば かたおなみ 葦辺を指して 鶴なきわたる と詠んだ葦辺付近だろうと書かれ、その葦辺のあかしだった地形が多く見られ、その付近に、李梅渓が岩に彫り込んだ、亀遊岩や猊口石が有るとか 帰路にバイクで探してみようと、先ず五百羅漢寺に入った |
五百羅漢禅寺は大きなお寺で永平寺の末寺とか、禅宗だそうです 人気が無い寺内を見て回ったが沢山立つ巨石の意味は分からない 高津子山(章魚頭姿山)に向かうがコンビニが無い。 丁度居酒屋か定食屋か分からないが、人気がありそうな古民家の店に入って昼食にした 今一つ口に合わない味でしまったと思った。まッいいかと頂いた それにしても満席で、皆さん高級な料理を食べているのかな、ランチ客は少ないのかな |
すぐ先の 高津子山(章魚頭姿山)に潮騒の小道から取付くが、権現山、天神山山頂を踏むには、尾根中央の踏み跡道を登らなければ行けない 登り始めてすぐに小道に入り登る 少しでも優しい道と、中央を外してアララ失敗、斜面を這い登る 一旦潮騒の小道に出て再び尾根中央に入ると天神山ピークを通る 後日山仲間と長話の中で、この天神山にある炭焼き風の穴や、単なるへこみは戦争時の高射砲跡かななんて話した所は、古墳跡だそうで、山肌にも数カ所あるそうだ 何せ弾薬庫跡もある山で、スッカリそう思った 余談だが、わが裏山の上人山と言う所にある1.5mほどの深さの穴は、蛸壺と呼ばれ人が入って機銃を撃った穴だそうです 戦争遺産です。 |
次のピークも超えれば良いのですが、暑さと少し足に痛みが出て潮騒の道をヨタヨタと登った 園芸種の花の種も巻かれると言う山頂付近は、綺麗な小さな花が咲いていた 高津子山展望台から見た景色は、流石国立公園でもう最高です 何度来ても季節季節に見せる景色はあきがこない 山頂には二等三角点、出島がある。 出島とは新和歌浦の古称だそうです。 山域は雑賀山と呼び、その中の三ピークが、権現山、天神山、高津子山と書かれた市の看板がある 別名は五箇所山とか |
潮騒の小道を引き返し道標から、海岸沿いの遊歩道に下る(ホテル萬波) 途中に日本人で最初に飛行船を作った山田猪三郎氏を称える碑がある |
ホテル下から浜辺の遊歩道に入る 小さな砂浜は遊泳客や蓬莱岩で遊ぶ若者や子供、私の小学時代は遠足や中学時代は釣や貝取、とうとうしたものだ 自転車で一時間以上かけて来たものだろうな 和歌浦漁港から、玉津島神社に歩道を歩くが、32度の真夏日、アスファルト道は地獄だ 玉津島神社に着いた 入り口の看板に玉津島と呼ばれた小島の事が書かれた看板、今は妹背山以外は小山に成っている 一度、玉津島を廻った記憶が薄れていた |
先ず鹽竈神社上の鏡山に階段を登る ふー ヨタヨタ 小さな岩稜のピークからは片男波の干潟や名草山、和歌浦湾の景色はもう最高だ つづいて奠供山を目指すが、玉津島神社の拝殿右側から登る 登山口案内は有る 赤い塀には小野小町、袖掛けの塀の看板がある 玉津島神社は和歌の神様が祀られるで歌人の訪れも多い 私は拝殿右側から案内に従って奠供山の山頂に登る 途中の階段は自然石が積まれ登りよい 途中に隣山の雲蓋山へのコンクリアーチ橋で渡れたことを思い出すが山名はしかと覚えていない 帰って思い出した雲蓋山へはコンクリ製アーチ橋で登った記事を探し出した。 アーチ橋を取り払う前の写真 今は取り壊されてない この何処かに奠供山への昇降機が有ったのだろう 雲蓋山とアーチ橋の写真 さて、奠供山からの見晴らしはまたまた素晴らしく山頂の記念碑横に玉津島の謂れが書かれていた ズームで引けば不老橋が美しい |
下って、天然記念物の根上がり松を見て鹽竈神社に参詣した 前の不老橋を覗いてみたが、車道と重なり私の知る不老橋の景観は無くなった 塩竈神社上の鏡山山肌は、香木の伽羅に似ているとかで、伽羅岩と呼ぶらしい |
すぐ横の妹背山には三断橋を渡る 修復中でしたが工事が完了したので渡れるとの検索から妹背山に渡る 今は車道から渡るが、一昔前は妹背山も人気の場所で橋向には二軒の旅館が有ったとか 和歌山の偉人、南方熊楠がこの地で孫文と友好を温めたと書かれた看板がある 三断橋を渡り妹背山に入る 周囲250m高さ14mの小島は現在唯一の玉津島で小島内には旅館らしい建物と多宝塔が有る 山上からの見晴らしはこれまた良い この小島は紀州初代藩主、徳川頼宣が整備したという看板がある |
三断橋を渡り返し津屋川を渡って塩屋まで歩道を歩くが、32度の真夏日はいささか熱い 自動販売機は有るようでない、生暖かくなったアクエリヤスは美味しくないが、熱中症は怖い トボトボと歩きながらバイクまで帰った 五百羅漢禅寺で見た看板から猊口石と亀遊岩をバイクで探す 歩かないと分かりにくいが、猊口石はR42の歩道横に、李梅渓が彫り込んだという猊口石の字を探すのに一苦労した 最後の亀遊岩はと探せば、五百羅漢禅寺の裏の墓地入り口に有った 丁度五百羅漢禅寺の坊様が地蔵様にお花を供えていた 聞けば、その隣の石とか、少し看板の写真と様子が変わっていたので気づくのが遅れた 李梅渓の文字は探さずに写真に収め、帰路についた 江戸期はマダマダ葦辺の様子や干潟が大きかったのだろう 満潮時には、紀三井寺迄渡し舟が出ていたとか、現在は水上バイクが海から戻ってきた干潟 グーグルアースで空から見ればその玉津島が良く見える 又、地元の山仲間と玉津島、六山をジックリと見てみたい |
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