高野町富貴から大日山 2014/01/15 4人 |
コースタイム 総時間4時間10分 |
見にくいでしょうが、上の地図は大正7年の大日本帝国陸地測量部が測量した1/50000の地図です この古地図に現在地図を重ねて高野町富貴から富貴辻まで歩き、大日山からバリエーションで下山周回した この大日山はいつの頃から大日山と呼ばれるようになったかは不明だが、リーダーに頂いた資料によると、藤白峰、藤代峰、水呑峰、石堂峰、小粒獄と資料に出るが大日岳は出ないと言う ショウタン的な推測からして、三角点名を山頂近くに祀られる大日様の祠からその大日岳の点名を付けたなどと思うが如何に?? マア今は大日山で良いだろう 頂いた資料 |
今回歩いた古道は大正の頃は荷車が通る道として書かれている 現在は黒線道から破線に変わるが途中までは舗装された道で途中からダートな2m程度の道になり尾根を超えた付近から道は痛み出す |
橋本市から富貴に入り村中を通って筒香への分岐にある小さな木のレストラン(休業中)ログハウス横に路駐して古道に取り付く この付近をマピオンにリンクしておきます 奥高野は気温が低く道には凍結箇所がある。 小さな木レストラン(ログハウス休店中)から目的方向に歩くと橋の手前に林道風の小道が川沿いに有る いかにも整備道に見えるが路面が凍ったところも有り地図を眺めながら歩くと、オットット、足元が滑る 最初は古道の雰囲気は無いが、進むとその雰囲気が出る |
この古道中程に御神岩(天照大神が降り立ったという謂れの岩)やフクリトリと言う10間の滝が見えると紀伊続風土記に書かれているとの資料を頂、注意深く見るが今はその姿が見えない。 南側斜面にその姿が有ると想像するがさて?。 古道を現在地を探りながら歩いたが、一人の方がタブレットにナビを取り込み大きな地図でその場所を探った 落石が出だした↑ 舗装が終わる頃倒木が出る↑ 植林小屋が倒壊していた↑ 富貴はマッタケの産地で山への立ち入りは難しい。十分の注意がいる 途中で道が荒れだし通れるの?と思う倒木などが出るが問題なく通れる 途中で谷に下る小道を見つけ下ってみたが、フクリトリ滝は出なかった |
道は尾根を超える。現在地図は破線で尾根西側を巻くが、大正地図は尾根超えで東側を巻く 小道は大正地図が正しかった。現在地図のコースにもそれらしいものが見えたがいつの頃の道だろうか 道の状態は良いがごく一部道抜けが起こってやや危険箇所が有った 古道終点は富貴辻(天辻峠)でした。 此処は二度目のショウタンだ この天辻峠は昔の交通の要所で有ったことと、天誅組の事が書かれている ここ天辻は江戸、幕末の頃より天川、富貴、五条からの物資の集散地として栄、峠付近は旅館、問屋など一時は百戸を越す賑を見せたところであった。天誅組がこの地に本陣を構えたのはそういった交通の便や地形上要塞の地として有利な地にあったためと言われている この富貴辻は、北方の五条、下市方面、西方の富貴、橋本方面、そして南東の天川方面の丁度三叉路にあたり、・・・・・ 伝伝と書かれている |
現在は林道が通る富貴辻(天辻)だ 日当たりもいい、昼食を楽しみ大日山に向かう 小さく打たれたテープ道の尾根中央を登るとNTT電話塔が出て更に登ると朽ちたトイレと小屋が出る この上にやや大きな祠が出る。中には仏像などはないが梵字の御札が何枚か壁に貼られていた その直ぐ上が山頂で、三等三角点、大日岳が鎮座する。デターは山頂の点名版を使おう 宝来の鈴さんのものだが彼女は三角点探訪が大好きなのだ 山名と点名の理解が出来ないと大日岳とはなんぞやと成るだろう |
大日山から北北西のピークに向かう。(地図A地点) 祠下から小道が有ったが山頂から下った ピークは大日山と同じ高さの双耳峰、この二つを総称して、藤代峰や藤白峰と呼んでいたかもと想像するショウタンだが、想像は勝手だ 地図A地点 |
A地点ピークから尾根を西に下り林道に出る 一番緩やかで近い尾根を狙ったが、一部50m程度は傾斜が有り慎重に下った 植林とマッタケ山の境界↑ 広い垰コース取り注意だ↑ 細い尾根に向かう急傾斜↑ マッタケの産地の山だが下った尾根は植林との境界だ 尾根先でネットが張られたところに出た。尾根先は下れず右手谷へと下る 下に林道が見える 直ぐに林道に出た。小さな木ログハウスはすぐだ 尾根先 林道下山地点 小さな木ログハウス |
歴史を本格的に調べる今日の皆様は、玉川峡を守る会のリーダーの皆様だ 特に今日のリーダーは、地理を教える教諭という。読図や地形判断のプロだ 安心仕切るショウタンだが読図は真面目にやった 小さな木ログハウスの屋根から煙が出ていた 知り合いが来ているかもと、小さな木を尋ねた。完全自作のログハウスはプロ顔負けの出来栄えだった 地元木材を活用したという。見事のものだった 付近には童話作家や絵描きさん等芸術家が同じような家で住んでいると言う 中には音楽家を想像する方が居られて中に入れというがご辞退した |
帰路は、中筒香から玉川沿いを宿り温泉、橋本と向かう 途中の玉川峡名石の一つ、明神岩に降りてその巨大さと不思議さに驚き帰路についた (明神岩は高野との分岐、河合橋東380m地点から川に下れば有る。オキウラ谷出合いにその姿を見る) |
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ショウタンの山歩録地図について 「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図200000(地図 画像)、数値地図50000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)、数値地図50mメッシュ (標高)、数値地図10mメッシュ(火山標高)及び数値地図5mメッシュ(標高)を使用した。 (承認番号 平24情使、 第898号)」 |