日光神社と伏拝山

足を傷めてはいるが、案内では1時間半程度も有れば、日光神社、伏拝山を周回できるはずだったが、台風20,21,24号と山に倒木をもたらし山が抜け、2時間15分係ってしまった
笹の茶展望台下に車をデポして、日光神社遊歩道を下る
 
小さな階段を登ると直ぐに巨木が道を塞ぐ
日光山に山名板でも有るのかとチョット登って見たが、測量石が有るのみで何も無い山頂だ
遊歩道を下るが、何故、どうしてと感じる階段が永遠と続く
自転車でも登れるような傾斜でも階段、マタマタ階段、丸太の階段は苔や濡れで滑りが有り注意が要る
相棒さんは、余計に危ないと階段を避けていた
  
マア、道間違いを無くすには良いだろうが、なんて話し合いながら道標を見る
20分だって
一度は倒木を整理したようだが、次の台風でマタマタ倒木が出てそのままのようだ
巨木の倒壊は道を塞ぎ廻り込んだ先に、日光神社が出た

年々痛みが増しているようだが、休憩用東屋は健在だ。東屋の写真は無い
  
日光神社の歴史が書かれていた

日光神社は、小辺路を通過しての熊野詣でが盛んな頃信仰を集めた大きな神社で明治9年、神社統合で清水八幡社に合祀され里に移されたといわれているが、当時は日光三十八社権現と称する由緒ある神社だった。

この神社の氏子だった上湯川地区の保存会が再建し、以後守られている。
中世頃には、山伏や行者たちの修錬と宿坊の拠点として創建されたが、応永26年(1419年)頃の火災により焼失したという。

昭和41・42年に、平惟盛ゆかりの旧家・小松家所蔵の「日光曼荼羅絵図」を参考にし、昭和41年に県立吉備高校、清水分校が発掘調査行ない
曼荼羅絵図にも描かれていた寺社伽藍の礎石や多宝塔などの建物跡、経塚が発見され土器や護摩炉・鏡・銅製鈴なども多数の遺物も出土した。
昭和44年には、『史跡日光神宮寺跡』として、町指定文化財に指定されている。

東屋で小休止して
道標にしたがって巻き道を、伏拝山に向かう

県の案内ページには
笹ノ茶屋峠を出発すると、すぐに日光神社へ向かう分岐がある。ここを右の道に入り、杉林の中の山道を下っていく。しばらく下り続けると、森の中に祠が現れ、日光神社に着く。発掘により、規模の大きな神社であったらしいことが判っているが、現在あるのは二つの祠と社務所である。社務所の裏から等高線に沿うように続く道をたどる。
時折、深い谷を見下ろしながら杉林の中を行く。しばらく行くと、稜線上の林道に出る。
周囲は広葉樹林で、ところどころにブナの大木が見られる。途中、伏拝山(ふしおがみやま)に立ち寄り、笹ノ茶屋峠に戻る。


巻き道は直ぐに荒れ、アレレノレ
  
引き返すのもシャクだと、倒木を乗り越えくぐり歩道を進むが、小枝注意の荒れようだ
  
一度は修復されたようだが、今回は修復があるのだろうか
油断してカメラを谷に落とした
足を痛めているショウタンはオロオロとしていると、準備のある今日の相棒さんはシュリンゲ二つとカンツキカラビナ二個で上手く斜面を下りカメラを拾ってくださった。
準備が物を言う
  
小滝やコウヤボウキが安心感を与えてくれる
読図も疎かに、林道を目指す。距離案内があるが時間は私の足では及ばない時間だ
  
林道に出て、笹の茶屋方面50mに伏拝山登山口が有る
  
登山口から、林道を登れば、林道横に三等三角点、近井と共に山名板が有り、此処が山頂かと思うだろう

県のページには伏拝山について
・伏拝山
山頂近くに今もその跡が残る日光神社遥拝の鳥居があったことから、この名が付けられたといわれる。
 ・笹ノ茶屋峠
小辺路の休憩宿泊所があったところ。現在は高野龍神スカイラインが通り、笹ノ茶屋展望台が整備されている。
と書かれている
点の記
三等三角点、近井
北緯34°04′32″.5213 東経135°31′29″.6533 標高1026.43 
選点 明治36年5月22日
所在地 和歌山県有田郡清水町大字上湯川字近井続136-1
笹の茶屋に引き返すが、尾根道を帰るほうが、少しでも山らしく感じるだろう
  
笹の茶屋跡に引き返したが、林道には巨木が倒れ処理されていたが、今回の台風は和歌山では最大瞬間風速57mだった
その風力の強さは驚くばかりだ
 
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