葛城の前鬼谷 行者堂と極楽寺、熊野神社 2018/12/07 |
総時間 10:45〜15:40 距離9.6km 地形図にリンク |
早朝勤務で帰宅は早い、 近場の山にと勤務後に、葛城の前鬼谷にある行者堂と極楽寺、熊野神社を歩いた コースは略農道で歩き良い。 熊野神社からアラレの宿に向かう間の荒れた農道のみが未舗装農道だった。 |
一度熊野神社まで歩いたが、其のときと同じ足慣らしの歩きです 痛めた脚の状態を確かめるべき、一歩一歩と確実に足を運ぶ 車は、中津川の凸地に停め北に中津川添いを登る。 下山に出会う分岐を確認してさらに登れば山裾道となり石仏や丁石が出る 現在地は読みにくいが、道の分岐や谷で読み取る マア農道歩きだし、熊野神社への案内がある 壊れかけた小屋の先、10mに急階段が有り、登れば正面に行者堂がでる 紅葉はすでに終わっていて、残念だったが紅葉の綺麗な寺だと村人は言っていた |
歴史のある行者堂と極楽寺は葛城修験の役の行者の弟子、五鬼が守ってきたそうな 大峰前鬼の五鬼とは違う名字を持つ かつらぎの五鬼 往昔役の行者葛城の嶺を開き給う時この地に留錫され随身の子等五鬼を当地に遺さる 以来五家と称し子孫連綿として行者堂の老分を努め、中世聖護院の宮より官名を賜る 役の行者生誕1350年を期し其の名をここに刻す 前坂主殿 亀岡式部 西野主馬 中井左京 中川丹馬 又市指定文化財 一字主尊板碑は1369年 正平24年の阿弥陀如来梵字、キリークが刻まれた板などがある 極楽寺は聖護院の門跡出張所とある |
階段を降りなくても水平に農道に下れる 無住のこの寺は管理が行き届かず、心無い人に荒らされると村人が嘆き、今、市や県に歴史的建造物として史跡指定を願い出ているという 付近の石仏や石碑は充分に其の価値が有り、未来に残すべき物だろう |
農道に下れば道標にしたがって熊野神社に詣でる 分岐道を下るが正面に予定の尾根が見える。 熊野神社は修復が済み綺麗だ 正面の灯篭も文化財で正平24年の灯篭がある 横の谷が前鬼谷だが、大峰前鬼には程遠い谷だ |
分岐まで戻り山裾道を登ってゆく 荒れるにまかせ道は痛み、落石や倒木、竹の倒れやと歩くに注意が要る 斜面は其の面影も無いが、畑が開かれていたのだろう 途中に銀杏の実を取る目的か、銀杏が植えられていた。 道成りに登り、柿畑向こうに竜門山や紀の川市の町が見晴らせ綺麗だ 広い車道に出てアラレの宿を目指す アラレの宿は整備が有り状態良く残る 今、元粉河町の焼却炉撤去作業が始まり、大きな機材を運び込むための林道整備が始まっていた 地図を見ながら、目的の秤木の宿と三等三角点淡路平に向かう 葛城山の林道に出合い山頂側に登る 私は三角点、淡路平に秤木の宿が有ったと思い込み、三角点に向かう 所が 三等三角点山頂は厳しい立ち入り制限があるマッタケ山で何も無い 丁度出くわした山主に訳を言って山頂に登った事の事後承諾を得た 三等三角点 点名 淡路平 標高 590.09 北緯34°19′10″.9038 東経135°24′31″.4539 所在地 和歌山県紀ノ川市中津川字淡路平750番地 |
付近を探索するが、秤木の宿の跡がわからない。 諦めて下山につく 帰路は周回になる尾根を選んだ。 放棄耕作地も多く、柿は鳥の餌だ 熟した渋柿をホウバレバ、これは美味い 昼食を忘れている。 行動食を口にいれ、オール下りのコンクリ舗装農道は少し痛めた足には厳しかったが、足が回復基調にあるようで、嬉しい 今、このページを書くに当たって、秤木の宿、金剛童子行所の位置を調べれば、その下を歩いていた 又、この行所を尋ねてみたい 左手の擁壁の上に有ると言う 小さな山頂にも秤木宿山の名が有ると言う そこにも登ってみたい物だ |
下りも楽しく下った 晩秋の農道に時々薄く白い物が舞っていた。 |
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