金山遺跡探索と行者山−3
2012/02/17
ショウタン
和歌山県日高郡みなべ町の高田地区にある金鉱跡探索は、今回で三回目、ヤットその場所を掴んだ
上の地図は、三回の探索軌跡と、行者山に登ったルートを重ねた物です
もう一つの目的だった行者堂をも探す事が出来て一人で微笑む楽しい行者山だった
今回の探索ルートから書いてみよう


今回の探索ルートと、第一回目のルートを重ねた物図です

登り口は第一回の記事を参考にして下さい高田地区の大串に路駐、車道を金鉱遺跡の道標が残る道へと入る
  
                           正面の電柱下に道標がある          登山口道標に入る分岐
  
上水道施設の奥に金山遺跡の道標があり、小道に沿って進と尾根下に、古い炭焼き釜が出る
この右手の谷を入り探索を続けたが、これが大きな間違いで、谷は左手に入り次の谷を登ると有ったのだが、話だけでその場に行く事は難しい。
とにかくそこだと信じた谷に向かうが、今回は、炭焼き釜がある尾根の斜面にある小道から取り付き、第二回目に二段の滝で行く手を阻まれた滝上に下った
尾根斜面にある小道を良く眺めると、小道は尾根にも折れ曲がり続いているようだ
尾根に出た
尾根は細いが、歩きよい、登って行くとウバメガシの木が、二次林か一度伐採され根元から芽を出し育った木ばかりだ
  
右手の谷にあると思いこんでいる
滝上に尾根から下れば小道が出ると聞いていた。
この付近だろうと、尾根が水平になった付近から慎重に谷に下った
第二回目に出た二段小滝上に出た。ナルホド滝上に小道跡らしい物が見え、今日こそはと勢い込んでいた
  
所がさらに上に、又二段の滝が有り谷沿いを登れない
付近を探索するが無い、
最初の滝横を上手く下り、再度探索するが無いようだ
滑る斜面を尾根に這い上がる
  
尾根は自然林で美しく、登るにつれ、和歌山県木のウバメガシが多く生える尾根だが、全て二次木で切り取られた株から芽が出て、
大きくなった木が多い。土質が岩質に変る頃に尾根から左に小道らしい物が左手谷に向かっている
巻登る小道かなと思ったが、尾根を直登した
この小道が、金鉱跡に行く小道だったのだが
 左に向かう道

正面に小さな岩が出た。ここから下ろう
転べば止まらないだろう斜面、ハーネスを付け30mロープと10mロープを持ってきた
斜面を谷まで下る。この傾斜なら肩ガラミが早いと、久々の肩ガラミ下り、30mロープで15mの3ピッチ、約50m程度で滝上に降りた
 
とにかく、谷(沢)を登れるだけ登ろうと浮き石の多い谷を慎重に登る
金鉱跡の穴はソウ見つからないだろうと思っていたが、俳句を掛けた上屋風の建物は壊れても見えるだろうと期待はしたが、見つからない。とうとう境界尾根の下まで登ったが、無い
登山靴では登れない傾斜の斜面、諦めて下る
二回目の時に見た二段滝下まで、トラバースや懸垂下降で下った
もちろん、懸垂中も出来るだけ左右に斜面を動き探したが無い
今日も失敗か、もう諦めようと思い始める
 
尾根まで這い登り、下って観音様から行者山を周回しようか、待てよ、左に向かっていた小道を行ってみよう
又、尾根を登り左手に入った
道は直ぐになくなったが、谷に一枚の板が落ちていた
板など有るはずがない、と、下を見ると、建物の残骸らしい物が谷に止まっていた
 

 ここだ、谷が一つ違ったのだ。とりあえず板が有る所に下る

その上に30cm程度の穴が、これか、土を掻き出してみると、それが金鉱跡だった
 胸が高鳴った

入り口の土を掻き出し、体を奥に入れるとまさに金鉱穴の跡、後少しで穴がふさがる所だった

体を奥に入れ中を覗くと、水が溜まっていたが、四角く掘られた穴は奥にと続く
声を出し共鳴から奥行きを探った、穴は深そうだ
 
後少しで穴が塞がれそうだ
ふさがってもその位置が分かるように、丸太を差し込み、木切れとロープの切れ端でその場を記しておいた
この穴の位置は、金山430mに22度、金山西側の小ピークに320度だった
 
10m程上は5〜6mの岩壁、金鉱の上に掘りかけの穴があると聞いていた
壁に沿って来た尾根方向に登ると直ぐにその穴が見つかった
  

奥行きは10m位か座ってお尻でズリズリはいながら穴にはいると、少し傾斜した奥に水が溜まり、蝙蝠が一匹冬眠していた
 
岩壁に沿って尾根に登ると、そこはロープで谷に下った所だった
苦労したのは何だったのだろう。言葉で山の位置を表す事は難しい
ハンター達が尾根を間違うと村人が言ったが、話でそこに向かうのは難しい

結果金鉱跡は、尾根先に炭焼き釜が有る尾根を登り、尾根に岩稜が出る所の、岩の壁を左手に下った谷上にある


とりあえず、地図で記しておこう
後は、尾根を登り金山430m下に出て、境界尾根を前回と同じルートで行者山422.4mに登った
  
430m金山↑

次の目的は、行者山の祠を探す事だ
三角点から東に馳せる尾根を下ってみた
 
東に下って行くと、古墳らしい物が出て、それが行者堂で、石造りの立派な物、山の東下の集落の方達がお祭りしているという
ここで餅まきなどが有ったと言うが、現在は分からないと聞いた
石像の行者様には、新しく花が添えられていた
どこからか登るルートがあるようだが、それを探索する気力はなかった
そのまま、尾根を下り谷の波線道に下るが、傾斜がきつく戻れば良かったと反省するがもう遅い
  
谷は田の跡で今もソノ跡が残る
326mの測量点から2回目に登った尾根の小道を下り帰路についた
  
最初に見つけた道標地点で、写真を撮っていると、その家の奥様が、今日は見つかったかいと話しかける
村では噂のようだ
見つかりました。それは良かったと言って下さり、金鉱跡を村おこしにしようと、道を整備したが、そのようにならなかった
何時の時代か分からないが、山主は大金持だったそうで、どこからか流れてきた山師達が、金鉱があると言い、ご飯を食べさせてくれる事を条件に、金脈を探したそうな、
金脈は出ず、ある朝、山からその山師の一行が姿を消したと言う伝説が有る、金鉱採掘跡だという
金は出なかったのだろうが、山に金山(かなやま)と言う名前と、見事な洞穴を残した
そのロマンに、ショウタンは三回も挑戦して見つけた。
村人が村おこしに頑張ったコノ金鉱跡洞窟、
そのまま行者山に登るには、余りにもルートが優しい
このページに、出会った皆さん、コノ洞穴と、行者山の行者堂を探索してみれば、面白い事請け合いです

サア、里山の楽しさを思う存分楽しんだ
今日も、満足の 山は楽しいだった
  
このページを読まれた上森様から以下の情報をお教えくださいました
2022/04/12
HPをいつも拝見しております。
標記の件に関して、中味を拝見して現地に行ったところ、1822年に江戸時代の山師が試掘したものだとわかりました。
さらに、周りの岩体は枕状溶岩ということが判明し、新しい発見になりました。
龍神付加体の一部で7000万年前の地質になります。
御記? 大変お世話になりました。ありがとうございました
。
第一回、行者山と金鉱探索

第二回、行者山と金鉱探索
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「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図200000(地図
   画像)、数値地図50000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)、数値地図50mメッシュ
   (標高)、数値地図10mメッシュ(火山標高)及び数値地図5mメッシュ(標高)を使用した。
   (承認番号 平23業使、第2号)」