沢城址から付近探索と伊那佐山と伊足岳(いだり岳)縦走と
2016/09/30
二人

全コース地図を見ながらリュック11kgで
全歩行時間
8時からから15時35分だった
伊那佐山は低山だが、神武天皇が援軍を求めたと言う歌で有名な所だ
今回二度目の伊那佐山だが、伊那佐山の尾根続きに、キリシタン大名として有名な、中山右近が幼少期を過ごした沢城址があり、又、古墳としては貴重な、文祢麻呂の墓もある
マア、宇陀市付近は史跡の山ばかり、謂れの無い所は無だろうが、地理院地図に載る破線道を忠実に歩き、コースを組んで、文祢麻呂の墓
沢城址(城山)、伊那佐山、伊足岳、上井足の愛宕古墳と周回した
伊那佐山南の文化センターに駐車して先ず高山右近の碑を見ようと文化センター前の道を東に歩く
文化センターに駐車をするに、地元民に駐車は可か聞いたが、文化センターは廃止され使っていない
良いだろうの返事、高山右近の碑や、沢城のルートを聞いたが、案内道標は有り過ぎるほど有り、結果高山右近の碑を見損ねた
先ず、芳野川を渡ると直ぐに伊那佐山の道標、続いて沢城への道標、続いて沢城へはダリヨ&ジュストの道として案内がある
   
私達は何処が沢城址で、ルートは何処なのかは全く分からない
地図破線道で行こうと先ず、文祢麻呂の墓を目指す
のこぎりの歯のような破線道から行こうと、地図を読んだ
途中までは沢城址の道標がある
アラ、右近の碑の案内が別ルートに出た??、下山後車で行こうと先に進んだ
兎に角読図だ
538mの測量点が城跡だろうと見ていたが、ノコギリ刃状の道が近いとそこに向かった
流石に案内は無い
最後の家前横を通るが、犬が吠えるが、可愛いく直ぐに尻尾振り振り
  
                                ↑二枚目写真を右に上がる
家横に道が有り簡単簡単とおもって歩くが、油断大敵、道を外しバリバリとぬかるんだ畑跡を越えてノコギリ状道に出た
地図を良く見ればその道は有ったのだろう
  
このノコギリ状破線道に入るコースは、高山右近の碑直ぐ横の案内から入るのがルートらしいがそれを知らない
右近の碑手前にコース案内があったが、ルートは読めない
ノコギリ刃状の破線道は、歩く人が少なそうだが途中で三ヶ所の案内が出る

最後のほうで文祢麻呂の墓の案内がでた
地図どうり破線道が消え直ぐに林道へと繋がるが、この少し30m程度が踏み跡だけだ
  
小さな橋は目茶滑る。横を巻いた
林道に出て歩いてゆくと文祢麻呂の墓が出た
予想に反し、墓は古墳だった
 

整備された綺麗な古墳でした
途中の道標から沢城址は538m位置であることが分かった
文祢麻呂の墓から直接伊那佐山に行くルートが有る様だったが、沢城址に行くには引き返し道標に沿うが良いと見て引き返し、道標に沿って沢城址に向かう
  
道標はバッチリで道標に沿えば行けるだろう
私達は地図から現在地を探りながら、伊那佐山へのルートを探って歩いた
 
沢城出の丸跡の看板が出た。ここまでがダリヨ&ジュストの道なのだろう
結果道標どおり歩くのが一番良いコースだと知ったが、後の祭りだ
  

「ダリヨ&ジュストの道
高山飛騨守図書がダリヨで高山右近がジュストだ
沢城出の丸までがダリヨ&ジュストの道らしい
数コース有るようだ
私達は読図から道を選んだ」
 
看板から538ピークが本丸で、その先に二の丸があることが分かった
行って見たが、すごい笹で城跡の雰囲気なんて丸でない

文化センターから見た伊那佐山と沢城址(右ピーク、城山とも言う)

伊那佐山と沢城跡の城山を見る
兎に角、案内どおり来ればよい、それがベストなコースだが、沢城址から伊那佐山への道標は無かった
出の丸址を歩きもと来たルートに帰る

文祢麻呂の墓から沢城址に来る途中に、加筆された案内が有った。それに従った
途中に米山城がある事を案内から知り、そこに入ったが、ブッシュをかき分けた割には何も無いところだった
 
ルートが整備されているようだが、コース案内が無く、テープが打たれている
現在地を探りながら歩いた。
途中で、踏み跡とテープが尾根に登っている。近道だろうと地図を読んだが、破線道に拘ったが、途中で少し道を間違い、尾根を登った
  
アルバイトした道下
  
アルバイトの道をそのまま進んでも遠回りだろうが、正面の登山コースに出ることが読める
兎に角二段ある上の破線道に30m程度登った
直ぐに伊那佐山登山道に出る。
三丁石少し下だった
 
尾根に突き上げる、右手に天狗岩と有り??、行ってみようと言う事で行くと、そこが猿岩だった
   帰りに見た
猿岩は天狗岩と呼ばれていたと有った
名前などはどちらでも良いが、見晴らしがいい、ここでお昼を楽しんだ
尾根を歩くと直ぐに山頂だ。展望台からの見晴らしは良くなっていた
音羽三山や烏の鳥屋山、竜ヶ岳と見晴らしが有る
  
社右手に神武天皇の歌碑がある

いなさやまにある神武天皇の歌碑
楯並(たたな)めて 伊那佐の山の 木の間よも い行きまもらひ 戦えば われはや餓(え)ぬ 島つ鳥 鵜飼いがとも 今助(す)けに来ね。
三角点の点名は山路岳だ。その意味は分からないが、地元民の古い呼び名かもしれない
点の記から見ると、伊那佐山は俗称と有ることから山名は山路岳だろう
三等三角点、山路岳 標高 
北緯 34°30′17″.5662
東経 135°57′59″.8906
標高(m) 636.91

三角点前の道標にしたがって急坂を下ると林道に出る
  
下ると正面にイダニ岳方面は一般的でないとの案内があるこれは無視
林道を30mばかし左に
右端写真の右尾根に入る
後はマークや踏み跡があるが、倒木が多い所もある
  
  
途中の四等三角点の小字は土山と有るから、付近は土山といわれる所だろう
埴輪の土を取ってたとか、??想像は勝手だ 
兎に角コースは単純です、
地形図に載る破線道は全て状態よく残っている
縦走コースも林道に成ったり細いままだったりとするが、地形図どおりで単純だった
初心者の読図に良いコースだが、マークが多い

井足岳は急峻でふー一息で登った
山頂は賑やかで、その少し先に図根点が出来ていて、そこを山頂とするかのように奈目良さんのフクロウが移動されていた
新しい図根点

井足岳、550m山頂北下に市の図根点が新しく出来ていた
そこに看板を上げたり移動さしたりしていた
最高所はここだ
井足岳の読みはイダリ岳が正しいと地元民の方
井足岳から大字境と書かれた杭の尾根を下る


下井足の愛宕古墳に近いからだが、急峻だ

  

集落に出る手前は獅子囲いがある。少し南側に振って、竹薮内を下った
集落に出て、下調べの愛宕山、愛宕古墳に向かったが、道は無駄に遠回りしてしまった
下調べの愛宕山は直ぐにわかった

 ←愛宕山山容
写真の通りに道が有る
  

愛宕古墳も貴重な古墳と書かれていた
後は車道歩きだが、栗が落ちていたり、ナツメが己生えで実を鳴らしていたり楽しかった
只、地元の方は、動物との戦いで耕作を諦める方も多いとか
ビニールハウスでは、シクラメンの花が作られいた
  
後少しで稚児石とかかれた案内が出たが、ふーもう良いか
  
後は車で、片山右近の碑を尋ねた

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記事はまとまりがなくなりましたが、沢城、文祢麻呂の墓には道標どおり歩けば問題は無い
沢城から伊那佐山には案内は無いがテープや踏み跡が有った
伊那佐山から井足岳にはバッチリなマークと踏み跡が有った
伊足岳から集落への下山は慎重にだ。榛原駅には破線道を歩くのが良いだろうが、案内は無かった
読図のできる方は、私の軌跡を参考にしてください