奥高野の山 上湯川岳 城ヶ森山 若藪山 2019/03/27 二人 |
総時間 5時間33分 距離約8.5km 標高差 プラス600m マイナス520m |
上湯川岳は和歌山県の有田川町が山の日制定で、山への関心を高める意味から、有田川町の最高地点の山名をネット募集で山名をつけた まだ地形図に反映していないが、近く地理院に登録するという 先ず上湯川岳位置を地形図にリンクしてみよう |
地形図から見てもらえば、上湯川岳山頂の測量点は田辺市龍神村側に有る ??と疑問を持って何時もの相棒と高野龍神ハイウェイから白馬林道を西に7.7km入った竜神道が切り取られた位置にある階段から取り付いた |
階段下の凸地に路駐して階段を登れば尾根上に、紀州初代藩主、徳川頼宣が開いた、和歌山城から竜神温泉への道、竜神道、(竜神街道)の跡が出る 徒歩時代は尾根の付近に有る村々から、高野山や村々を繋いだ道が有った 其の街道跡の石標も今回の目的でも有る この石標の位置を、札の辻と言う 大正六年の近代の物では有るが、大正時代のこの地域はマダマダ徒歩通行が主だ 当時の村名の五村(現在の湯川川沿いの集落)、清水村、コウヤと掘られた石柱が立つ位置が札の辻だ 此処を探索する登山者は少ないだろう。 過去の、龍神街道と札の辻の記事 |
札の辻から、町村境界の尾根を上湯川岳に登る この山は、私有林であり学術的にも貴重な山で有る事を登って知るが、其の注意書きは、有田川町ホームページにあった 最初に書くべきだったが、ここは山名板やテープ等は付けないほうが自然を守る意味から良いように思う 登山前に地理院地図から測量点は龍神村に有るが??、三村境界の地、無理が有るなー なんて考えて現場を見ると 山頂山名杭は、キッチリと境界30cm有田川町側に立っていた 山頂杭の位置(+) 地理院地図にリンク↑ |
尾根を南に下り一等三角点の乗る城ヶ森山に向かう コルに下り、再び尾根に乗り、又出た舗装路に上り返し、雨量レーダー基地裏の一等三角点に向かう |
思ったほど見晴らしは無いが、冬枯れの落葉時はそれなりに景色が見える 何年か前に、新宮山彦ぐるーぷの新春登山で龍神村小森から登った記憶が新しい(其のときの記事) 三角点標高を記した板が二枚有るがお気づきでしょうか 年代と共に山は動いています。新宮山彦ぐるーぷは1268.8mを記し、トライアングルと記したGPは1269.3mを記している 現在の地理院記録の点の記は1269.26m、地形図には1269.3mを記している 山は生きている。地球も生きている証しだろう。 所在地和歌山県田辺市龍神村龍神字亀谷1023番の1 選点 明治18年11月に三原 晶氏によってこの地を選ばれている |
脚を痛めてヨチヨチ歩きだが、旧竜神街道が残っているかと探索に三角点から南に下れば、地形図通りに道は残っていた 尾根越えの地に、この付近がいかに大切な森で有るかと古い看板が有った |
南側は以前の通り旧道は残っているが、北には直ぐに林道に成り旧道跡は無い 龍神街道を探索するも良いが、山肌を荒らす事も有るとそのまま林道を白馬林道まで歩いたが、モウ林道の役目は無い道だ 途中の見晴らし 若藪山を見る |
林道白馬線から若藪山に向かうが、尾根中央に徒歩時代の道が今も残る 村界尾根で火避け地にも成っているが、其の跡も濃いところが有る 尾根取り付き 林道に出て尾根に乗りコルに下り 又尾根に乗る ウッカリすると通り過ごしてしまいそうな尾根上の若藪山、こんな山は山名板はありがたい 山頂で遅い昼食を楽しみ、次の石堂山に行こうと駄々をこねるショウタンだが、足の運びや其の動作から、痛めた脚が痛いと見て取った相棒はきつくダメのサインを出した。 良き山仲間だ 素直に引き返すショウタン |
素晴らしい天気の中足の痛みも忘れ今日も楽しい登山が出来た 読図、山座同定、時間は懸かっても距離や時間よりも山を知ることが第一と、相棒は優しく諭してくれる 又来ようと、会話は楽しい |
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