ネパール エベレスト街道カラパタールの道


1998年10月7日〜10月24
少し古いがネパールトレッキング、カラパタール(Kala patter)への道を思いだしながら書いてみよう.。

そう思う気になったのは、二月に又ネパールに行く事になった。モロモロ忘れた事を思いだすためにアルバムを引き出してきた
見ている内に、HPにと思いだした
又、トレッキングと言えば、ニュージーランドのミルホードトラックを、記憶の限り写真をメーンに書いてみます

1998年10月7日、関西空港からタイ航空TG623便にてタイ乗り換え、カトマンズ、トリヴファン国際空港に8日昼に着き、直ぐにカトマンズのホテル、シャングリラホテルに一泊、

10月9日
カトマンズ、トリヴファン国際空港から国内線にてルクラへ(Lukio)、ルクラは山岳空港、天気の安定するまでトルヴファン空港で2時間ばかし待った
それも待合室ではなく、滑走路の片隅で待つ、乗る飛行機は同じ片隅で待機、どうやら無線でルクラ空港とやりとりしているようだ
突然乗れとの事、管制もクソもない感じだ、飛行機は滑走路に移動飛び立った。
窓からは天気が良くヒマラヤの山々が見えた。

カトマンズトルヴァン空港にて

ルクラ(Lukia)には、40分位のフライトでした。ルクラは山岳空港、想像外の空港だった。
滑走路は短く傾斜がある。最後はL字型に右に曲がっている。傾斜は短い滑走路をカバーするためか?
着陸はまるで航空母艦、逆噴射でもしたかのようだった。最後はすごい勢いで右に曲がった
ついでに、帰りのフライトはこれとは逆、傾斜を利用したかたちで、急発進で下り込み、滑走路の端は垂直の壁、飛行機はいったん沈み飛び上がって行く感じだ。オマケに目の前は山だ、高度を上げながら旋回して飛び立った。

ルクラ2800m

トレッキング許可証→ ←ルクラ飛行場

滑走路→  
  ポーターさん達                              
           街角にて→
ルクラにて気圧順応のため2時間程度、テータイム
今日からは、一日二リットルの水を飲むように、ガイドさんからの指示、とにかく水は飲みまくった。
ルクラからパグディン(Phakding)にトレッキング開始
日本とは違い、ビスタリービスタリー
ゆっくりゆっくりと歩く

パグディン(Phakding)2652m

パグディンへの道
 

ガット(Ghot)2492m手前で昼食、初めてのネパール料理、辛さを控えて頂き思ったより美味しかった

パグディンへ
マニ車を廻すポーター 
 
静かな村だ、
ここでトレッキングの注意点は、マニ車や、タルチョ、人とすれ違うときは必ず右肩をすれ違う方向に、つまり左川通行だ、マニ車や。食事は必ず右手でやろう、左手は不浄の手だ
パグディン2652m
今日のロッジだ女将さん→ 

帰りの事だが私たちのロッジが火事になった。パニ、パニ(水、水、)女将さんが叫んでいた。何事か、三階の台所から火災、ポーターや私たちは消化に活躍した。危ない危ない
もちろん消化器や、ポンプなど無い、バケツも満足にない、あり合わせの物でおのおの水をかけようと階段を駆け上がる
これを制し、私はバケツリレーを教えた。村人総出だった。大火に成らずに済んだ

ナムチェバザールへ(mamche bazzar)

戻る