和泉山脈の三国山の位置は? 2020/08/28 ヤマレコ |
和歌山かつらぎ町から槇尾山施福寺に向かう西国古道に三国山が有る 私は長らく、三等三角点、父鬼が乗る位置が三国山と思い込んでいた ある日、かつらぎ町から槇尾山に向かう西国古道を歩こうと、地形図を眺め地元民に聞き取りコースを決めた 関西で有名なちちんぷいぷい番組でもそのコースを歩いたようだ そんな中、よくよく地形図を眺めれば、レーダー電波塔の有る横に885mの測量点があり、かつらぎ町や和歌山県、環境庁はその地点を三国山と看板を揚げ、かつらぎ町もその近くに看板をあげている もちろん国土地理院地形図には三国山の表記が有る 何故が、三国山885m地点が頭から離れず、私なりに推測してみた 先ず、三角点は明治37年7月3日の設置で有りそれ以前は、和泉の国、河内の国、紀州の国がこの三角点父鬼地点で接していたのか 明治の陸軍測量部が、三角点を設置し現在の地形図を書くにあたり、三角点父鬼を設置して、現在地形図の885m三国山地点を三国の境界としたのかそれは分からないが、少なくとも日本の国土をあらわす地形図を信じなければ三国山は特定できないと思った では、何故三角点父鬼地点を三国山に成ったのだろうか 昭文社地図には三国山は、三角点父鬼地点を現している また、ナカニシヤ出版の葛城の峰と修験道も三角点地点を三国山と書いている。 しかし、葛城の峰と修験道も、和泉、河内、紀州が接する地点が三国山と書いている しかし 三角点地点は、和泉の国と河内の国は接するが、紀州は接しない 学者や大先輩の意見に異論を唱えるわけではない しかし、地形図が間違っているなら、府県境や市町村界等がすべて間違っていると言う事に成るのでは 今人気のヤマレコも、ウィキペディア(Wikipedia)も地形図位置を三国山としている 長らく親しまれている三角点地点も三国山とするなら、行者三国山とか 地形図地点を、地形図三国山と俗称を持ってで呼べばいいのではと思い出している やはり山を歩くなら、地形図を友として現在地をGPSやコンパスで探り歩くことが、山や廃村、そして峠や多和(垰)などが見えルートが古道が見え出すのではないだろうか 良く間違われる山地点に 三角点位置を山頂と思われる方が多い 三角点は決して山の最高所とは限らない 又、点名は明治の時代に点石を持ち上げ集落の人に敬意を払い集落名を取ったことも多いと聞く もちろん、山名そのものを点名にしたり、隣の山の名を点名として付けたり、尾根名や谷の名と峠名などがある。三角点を知ることも楽しい山歩きのひとつとして楽しいものだ 国土地理院は、国土地理院地図と三角点、点の記も閲覧を許している 国土地理院地図閲覧から https://maps.gsi.go.jp/#15/34.357050/135.482880/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f0 三角点閲覧サービス(ID、パスワードの登録が必要) https://sokuseikagis1.gsi.go.jp/top.html 追記 地形図855m地点の実測は855.7mで付近の最高所 |
和歌山県と環境庁は地形図三国山の西登り口に看板が有る かつらぎ町は885m地点を三国山と書いているが、看板の位置は違う 多分だが、私有林内でそうしたのかも 少しややこしい 地形図885m地点にある 三国が接する地点はレーダー設備が有り行けない 最高所に作られている |
三角点父鬼地点の三国山? 三角点父鬼の点の記 等級種別 三等三角点 基準点名 父鬼 北緯34°21′52″.8320 東経135°29′15″.6425 標高885.47m 所在地、大阪府和泉市父鬼町761番地 (私有林内) |
丁石地蔵横から150m程上 |
ナカニシヤ出版の本 紀伊、河内、和泉の接する地点が三国山と書いているが三角点地点は河内の国と和泉の国、二国しか接しない |
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