2006/10/16 ムクチナートのゴンバ |
「ムクチナートのゴンバ」
10月16日
昨日は2時頃にムクチナートに着いた。マンシンは高山病と寝不足を解消のためお昼寝休息。トロンパス越えも無事出来たし、マンシンも快復、すると自然と宴会が始まった。未完成のホテル、食堂も出来ていない。半地下の家族の食堂で、麦のロキシー宴会だ。夜になると寒い。ホテルの娘さんが七輪風の物の上でたき火をしてくれた。山羊の肉をつまみに呑んだロキシーは又格別。ホテルの娘一人は尼さんでその尼さんが私にお酒をついでくれる、よくよく聞くとここのご主人は日本で働いているらしい。そんな訳もあって私は特別待遇らしい。呑んだ呑み過ぎたが、純ロキシーは体に残らない。朝はスッキリと目覚めた。 朝食は定番のチャパティとオムレツ(卵の焼いたの)、美味しいミルクティ。ムクチナートのゴンバにお参りと観光に行く。ムクチナートは仏教寺とヒンズー教寺の集合体で、ヒンズー教寺は、火の神様ビスヌをお祭りしている。ビスヌは遠い昔、インドからこの地に来てこの地を栄えさせ、幸せな生活を送ったと言う伝説から、幸せの神として信仰が厚く、巡礼者が後を絶たない。遠くはインドから歩いてくると言う。現在はヘリコブターで来る金持ちも多く、ヘリポートが3カ所ほど見かけられた。仏教寺は2カ所有り、すべて尼寺、ヒンズー教寺SAMBA GONPAを守っている。ヒンズーと仏教の関係は本当に近い。日本のお寺とお宮の関係よりもっと近い。ヒンズーから仏教が生まれたと言う感覚だ。 先ず仏教寺にお参り。ここにはGURU RONBOCH BUDAとモンジュシュリ(文殊菩薩)とシータマ、ゴータマ ブッダ(お釈迦様)。グルロンボチェ ブッダは多くの仏教寺で祀られている。このブッダは、お釈迦様の先生みたいな人で、多くの仏教徒の信仰が厚い。ブッダとは、世界のことを何でも知っている人という意味で、過去五人いたそうだ。日本ではお釈迦様が一番有名だが、チベット仏教では仏教を有名にした人で、仏教の教えはお釈迦様が広める前から有ったそうだ。 外では燃料として使うヤクの糞が天日干しされていた。燃料は貴重です。糞は乾燥すると、乾燥の草と同じで真っ青な火となって良く燃え、臭いは無い。手にとって臭いをかいでみたが、無臭に近い。 続いてヒンズー教寺に。この前の階段は紅葉が綺麗でした。 この裏に108の小さな滝が作られている。ヒマールの雪解け水で、冷たいなんて言う物じゃない。真のヒンズー教徒は108の滝を浴びるらしい。ほとんどは手で水をすくい頭にかけて行くが、ショウタンコレをしない訳には行かない。日本式で良いと言うからやってみた。冷たさはやはり一級の物があったし、108回もやったことがない。 この先、滝を浴びた日本人と紹介されること度々で面白かった。 ヒンズー教寺に記帳するには105Rs必要で、コレが賽銭に当るようだ。マンシンは、ヒンズー教はお金がいくらと言う、仏教徒の違いだと教えてくれた。 又、マンシンがビスヌ神開帳をお願いしたようで、前出の尼さんが鍵を開けて開帳してくれたが、写真撮影は出来ない。ビスヌ神は街角で見るヒンズーの神々とはまるで違う。黄金の冠をかぶり、まるでツタンカーメンの黄金のようで、ヨーロッパの古代神が座っているようで、左右2体の神様は、コレがヒンズーと思う綺麗な像だった。 マンシンは、なにやら願い事を唱えて、儀式に従いお線香やお金やらを供えていた。タンタラさんもなにやらやってはいたが、ショウタンは言われるままに手を合わせ家族の健康を願った。 続いて、別の仏教寺ズワムラヒ寺院に。ここも尼寺で、ここは完全撮影禁止。10人ほどの尼さんが、一斉に読経していた。一人の白人がいたことは珍しかった。又この寺の仏像の下の地下で、青い炎が数カ所燃えていた。このお寺建立時から燃えているらしい。地下から天然ガスが湧いているのであろう。綺麗な炎だった。 マンシンはこの後、チョルテン(仏教の旗)を家族の健康を願って揚げに行った。ここからのダウラギリヒマールの景色は最高でした。 又、Jhong Khola向こうの特別地域(川向こうはローマンタン側で一般者は特別パーミッションがいる)は最高の景色でした。 ホテルに帰ると、笛太鼓ドラの音が。外では山に向かって祈りの姿が。ホテルのお爺さんが一人で笛、太鼓、そしてドラと叩き、仏教のお経を上げていた。 |
ガクベニに向かって |
「KAGBNI カグベニに向かって」
10月16日
ホテルに帰り、茶も飲まずにカグベニに向かう。カグベニはローマンタン王国に入る村。昔は静かな村だったが、最近はトレッカーガ多く、インターネット店まである。ムクチナートからは、道は整備され、空輸されたトラクターや単車が人の足として活躍している。単車のタクシーが有るのには驚きだ。しばらく歩くとジャルコット村を通る。 ジャルコット村のはずれでお昼にしようと、マンシンの知り合いの食堂に行くが、食堂経営をやめていた。更に進んで次の食堂でご飯にした。ネパールの食堂でご飯を食べようとすると、時間は非常にかかる。その間待つのが退屈だ。ついついロキシーを呑んでしまう。ここでは変ったロキシーだった。 この付近は非常に空気が乾燥している。風など吹けばホコリがすごい。だいたい10時頃から、遅くとも昼頃から吹き出すという。 ご飯を食べてカグベニに向かう途中4人の兄弟に出会った。この家族はムクチナートに出稼ぎに来て帰る途中らしい。親は後から来るという。家まで5日かかるという。一番小さな子で6才ぐらい。足下はサンダル、ネパール人の底力はこんな所から生まれるのだろう。 このルートは馬が活躍している。一人の少年が観光客の子供を馬に乗せていた。 なだらかな下りを進んで行くと、カグベニの町が見えだした。 カグベニの町は歴史が感じられる古い町で、中央に数百年たったお寺跡があり、まだ現役で人が住んでいた。この町を見るだけでもムスタンに来る甲斐がある。 少し掲載を迷うような像が町の中にあった。何かのおまじないだろうか。 ローマンタンムスタン王国への道。村はずれに厳しい監視所が設けられていた。 夜はマタマタ台所でポーター達とロキシー宴会。こんな日本人は無いと珍しがられて、もういっぱいもういっぱいと進められた。レストランで食べるのが普通のお客だが、私は地元の方との食事を楽しみたかった。遠くの村から仕事に来ている彼女の手料理は最高だ。 |
続く |