2006/11/5
キムロンからタダパニ
「キムロン経由タダパニ」
11月5日 キムロンKimrong経由タダパニTadapani

昨夜降った雨も上がり、アンナプルナサウス、マチャプチュレ、アンナプルナVも美しい。
昨日洗った服がマダ乾いていない。仕方がない、そのままバッグに詰め、朝食。タダパニに向かう。タダパニまでは距離はないが、大きな谷に下り、再度登り返す。メーンルートはガンドルン経由の方だが、こちらも面白いとマンシンが進めてくれた。ガンドルン経由だとウルミラちゃんと会えるのだが、予算のこともある。マンシンに従った。

ムーンライトロッジから見た朝焼け

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チョムロンからタダパニ方面に向かう。チョムロンの町中は道がよいが、直ぐに細い農道のような道になる。谷向こうにはコムロンヒルが見える。途中の分かれ道を山を巻くようにタダパニへと向かう。正面に、タダパニ下のギャングが出た森とタダパニが直ぐそこに見えるが、大きな谷を下り込み又同じだけ登り返す。道は農道のような細い道だ。

チョムロンの道

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直ぐに道は悪くなり、

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マンシンはこんな道も面白いと山道を歩いた。

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正面に、タダパニとギャングの森が見えだした。

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いったん急坂を谷まで下り込み、小さなつり橋を渡り、又登りへと向かう。途中に小さな学校があった。子供達はこの道を通って学校に行く。日本ならとても子供には無理と判断するだろう。
通学の子供の持っているのはペットボトル。途中の湧き水を汲んでいた。

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途中の茶店でビールを飲んだ。ここからは本格的な登りが始まるが、ショウタン暑さのためビールに手が出てしまった。ネパールのビールは、サンミガルと言うビールが日本のビールの味に近い。これはエベレストしか売られていない。このエベレストビールのラベルはテンジンシェルパ(ネパール人初のエベレストガイドでエベレスト初登山者)エドモンド・ヒラリーのガイドとして活躍の写真が印象的なビールだ。

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左テンジンシェルパ。シェルパの名前を有名にした。右ヒラリー卿。

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ビールも呑んだ。ここからタダパニまでの距離は短いが急坂は普通じゃない。
今は農繁期、お手伝いをする子供達、学校は休んでいるとマンシンは言う。

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1時間ほど登ったキムロンで昼食。ここに今まで出合った日本人達が全部いた。ショウタンは朝ユックリ出たのとジャングルを通ったり、ビールを飲んだりとして最終到着だった。キムロンのロッジ前は広い芝生、否応なしにユックリしたくなる。日本人5名はおのおのユックリと休み又食事をした。この地点で5人は仲間意識が生まれ、楽しく会話を交わした。昼食はビスタリー、注文しても最低30分は係る。亀さんお酒が強いのか美味しそうにビールを飲んでいた。他に中国女性1人組もいた。
ここでカリさんや亀さんのポーター達が、乾かなかった洗濯物や登山衣類を芝生の上に並べ乾かしていた。本当に有りがたい。ショウタンはここでもマタマタ缶ビールを飲んでしまった。ここにはサンミガルがあった。

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食事が済み、おのおのタダパニに向かう。あと一登りだが、この上のジャングルでギャングが出たらしい。マンシンはマタマタ大丈夫だと言う。
この地点で出たらしい。考えられない様な地点だ。アメリカ人はガイドと離れて歩いていたという。マダマダネパールは油断禁物です。

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40分ほどでタダパニに着いた。日本人達はおのおののホテルに別れた。前回来たときはネパールダンスパーティがあったが、今回は人手不足でないと言う。そこでマタマタ日本人全部が村の居酒屋でロキシーパーティー、一人を除いて皆酒豪だ。店のママさんはニコニコ、これだけ飲んでくれる客はいないだろう。ここもビール瓶の量り売りだ。
朝聞いた話しだが、皆千鳥足で帰ったことが村の噂になっていたという。
ヒマールは見えないが、夜中に月がでていた。明日の朝が楽しみだ。

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続く