2006/11/15
ルンビニ 聖園地区
お釈迦様の生まれた所と育った城、カピラバストゥ城跡

2007/1/28

「ルンビニ、聖薗地区」
11月15日 ルンビニ

昨夜は余眠れなかった。原因はだ。ここはもうインドと国境を接する地、亜熱帯と言うより熱帯にはいるのかもしれない。温熱蚊取りマットをつけるが効果はうすい。支配人は、マラリアの心配は要らないとは言っていた。
この支配人が観光ガイドの免許を待っている。ルンビニについての専門学校に半年行って勉強したそうだ。今日一日聖薗地区とお釈迦様が29才までいたタウリハワのTaulihawaティラウラコットTilaurakotのカピラバストゥ城跡に行き、ブッダになって自国に200人の弟子と帰ったクダンKudanを支配人のガイドで観光した。タクシー代込みで3000Rs、少し高く付いたが亀さんも納得。先ず聖薗地区に行く。東門のゲートを通りマーヤー聖堂に向かうが、聖堂まで5〜600m、途中橋が架かっている。その下を流れる川がテラハー川Telha。アブラの川と言う意味だが、日本人から見ると綺麗な川ではない。ブッダの母、マーヤー・デビィーが体を洗ったと言われる川で、今も信仰が深い。時期は忘れたが年一回この川に沐浴する日があるそうだ。

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さらに行くと未完成の外堀がある。何時完成するか分からない外堀は、完成後はマーヤ聖堂を囲み、船でマーヤ聖堂に渡る事になると言う。この聖地のマスタープランの範囲は3平方マイルと巨大だ。この聖地を廻るためにはリクシャーが適当だが、付近にリクシャーが沢山ある。私たちはマーヤー聖堂のみの観光、廻りを取り囲む各国のお寺には興味がない。観光みやげ店の中を通り、昨日入った門から再び入り説明を受ける。
直ぐに仏塔の跡、3〜7世紀の仏塔の跡らしい。これもイスラム勢力によって壊されたらしい。井戸跡や炊事場跡など説明を受ける。

土産物店

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各遺跡

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次にショウタンが瞑想した菩提樹の木の下で説明を受ける。
この菩提樹の木は酸素を沢山吐く木らしい。菩提樹の木の下で釈迦は修行した。
仏教には4つの大切な木がある。
@アソカの木の下で生まれた。アソカの木
A修行の木(大量の酸素を吐く) 菩提樹
B説法した木 ベルの木
C死んだ木 サルの木
などの説明。廻りは修学旅行生や一般の人で黒山、ガイドは私たちの事など忘れたかのように説明をし、マンシン通訳の時間をあまり取ってくれない。

菩提樹の木の下のヒンズーの神に祈りを捧げるネパール人とインド人達

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ここで、タルチョの意味や釈迦誕生の話しを聞き覚えで書いてみたい。
釈迦はコーサラ国の少藩国の王の一人息子で、父はサッケ族Shakke Muluiの王シュッドーダナ、母はコーリア族Korir Muluiの王の娘マーヤー・デビィー。2人の間には10年間子供が無くかった。身ごもったマーヤー・デビィーは白い像が腹の中にいる夢を見る。この話を聞いた王の側近グル(預言者)は、子供は世界を回る人になると王に言った。産み月に入り、このころ実家で子供を産む習慣だった母は、実家の有るデバダハDevdahaに向かう。このころルンビニは森が鬱そうとしげり涼しく、旅人の休息所であった。マーヤー・デビィーは休息中に産気づき、泉で体を洗い、24歩あるいたアソカの木の枝に右手をかけ釈迦を産んだ。釈迦は生まれるなり、人とは思えない大声を出し7歩あるき、天と地を指し「天の上にも天の下にも我こそもっとも尊い物なり」と言い倒れるが、倒れる瞬間母の妹マハー・パジャパティーがこれをだきとめると普通の赤ん坊になった。
母は7日後に無くなり、父は妹マハー・パジャパティーと再婚。マハー・パジャパティーにより、釈迦(シッダールタ・ゴータマ)は育てられる。と言う話しだ。
タルチョにはチベット語でお経が書かれた物が多い。この旗は空気を浄化して風を綺麗にすると言う意味があるそうだ。

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続いてプスカリニ池の説明。
現在の形は3世紀頃のインドの王アショーカによって作られた物らしい。その後修覆を受けている。水は泉ではなく、汚れた水がたたえられている。釈迦が産まれた頃は泉だったのだろう。
その横のアショーカ王の石柱に付いての説明を受ける。観光客達は付いてくる。

アショーカ王の石柱

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アショーカ王はインドマウリアの王で、紀元前249年にこの地を訪れ、石柱を建てた。石柱には、古代プラフミー文字で「住民の租税を免除する」と書かれているそうだ。ヒンズー教徒だったアショーカ王は仏教徒に変わり、この後仏教のために各聖地を整備した人物だそうだ。アショーカ王が残した遺跡も沢山ある。この功績が大きく、今インドのお札の左隅にアショーカ王の紋が書かれている。又この横に石柱と一緒に出土したアショーカ王の紋の像も飾られている。

アショーカ王の紋の像の台石、右下。

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アショーカ王は四つの動物を愛した
@馬 一本気、決められたところに行く
Aライオン 強い
B象 大きい自分も大きかった
C牛 牛のケンカは死ぬまで止めない、何でも徹底的にやる

インドのお札

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家紋の部分、インドのお札には全部付いている

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この後、マーヤー聖堂に入る。靴を脱ぎ中に入ると、インド、タイ、韓国の団体さんがお経を上げていた。言葉は違うがリズムはほとんど変らない。

釈迦の足跡

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巡礼者達

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ここでお昼になる。昨日マンシンと行ったタカリ族の店で昼食、ロキシーと言いたいがビールで少し咽をうるおした。
午後からは、釈迦様が29才までいたタウリハワのTaulihawaティラウラコットTilaurakotのカピラバストゥ城跡に行き説明を受ける。
続く