2003/11/18
ゴーキョ・ピークトレッキング
ルクラからパグディン

「ルクラからパグディンに」
11月18日、カトマンズ〜飛行機〜ルクラ〜パグディン

昨夜は余りにもうるさく、朝までほとんど眠れなかった。今日は5時半ロビーに集合、タクシーで空港に行く予定が、マンシンが来ない。6時前になっても来ない。ホテルの人に部屋に行ってもらうと、お酒の飲み過ぎで寝過ごしたらしい。マンシンはお酒の失敗が多いようだ
飛行機は6時15分、空港に着いたのが6時15分。飛行機は定刻に飛ぶはずはないが、アタフタト手続きやセキュリティーを受け、空港待合所に入る。新しく掲示板が出来ていた。見るとやはり私たちの乗るAGNI airはすでに50分遅れ、ドンドン遅れて移動バスに乗ったのは8時半頃。飛行機はルクラがガスのため着陸出来ないらしい。ルクラ空港は本当の山岳空港。着陸出来るのが不思議な位の空港だ。誘導路横でバスの中で待っていると、一機にエンジンが掛かった。次々とエンジンが掛かる。飛行機に搭乗、18人乗りの軽飛行機に素早く乗り込む。ここで座席指定がない限り左側に乗ろう、ヒマールは左側が見えるのだ。
空港内にて

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軽飛行機は次々と誘導路に出て行く、一機が飛び立つと直ぐに次の飛行機、次々と飛び立つ。管制などしているのかと思う位だ。私たちのAGNI AIRは飛行機が一機しか無い会社だそうだ。最後の方で飛び立った。

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低い雲を抜けるとそこは別世界、真っ青な空にヒマールが綺麗だ。再度言っておくが、ルクラに行くには必ず左側に乗ろう。右の席とは天と地ほど景色が違う。

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雲間からルクラの空港が見えてきた。私は2度目だが、この空港ほど恐い空港は無いだろう。滑走路は傾斜している上に余裕など無い。滑走路の端が右に曲がり、小さな駐機場がある。言葉で言うより写真が早いだろう。飛び立つときは崖に向かって飛び立つ。以前は舗装されてなかったが、今回は舗装されていた。これだけでも安心度が増す。

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次々と着陸する飛行機、まるでスーパーの駐車場に止めているようだ。エンジンも止めず、帰りの客を乗せて飛び立つ。又着陸する。慌ただしい。今は天気でもガスが出れば離陸は出来ない。本当に山間部の空港だ。

ポーターが決まっていないが、一人のポーターが来た。マンシンとなにやら話している。私は若い力持ちを要求したが、小さなお年寄り。マンシンに彼か?と訪ねると、違うがもし若いのが無ければ彼が行く。ピンと来たが仕方がない、彼でガマンしよう。亀さんが何かあったときに少しでも力があると助かる事が多いからだ。
ポーターはシッサルさん(52才)。ここから四人のトレッキングが始まる。

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ルクラで茶を飲んでしばらく気圧順応、1時間半ほど休んだ。今日はパグディンまで。天気も雲があり山の景色は今ひとつ。エベレスト街道を、緩やかなアップダウンを繰り返しながらビスタリービスタリー。ここで決してあわててはいけない。一気に1300mを短時間で登ってきてる事を忘れては行けない。ここで高山病に倒れる人も少なくない。
エベレスト街道はシェルパの町。彼たちの信じるチベット仏教の町並みだ。マニ石やタルチョが多い。以前カラパタールに登ったときより町々は綺麗になった。ルクラは大火災があり、半分ほど焼けて再築したホテルが多いそうだ。

ルクラの町並み

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マニ石とタルチョ

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シェルパ族のポーター達、担ぐ荷物は半端じゃない。各ホテルや店の商品や登山者の荷物。

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パグディンではシャングリラゲストハウスに泊った。が、ここにはアマダブラムAma Dablamで雪崩にやられ6人が死亡したグループの生き残り2人が泊っていた。白人とシェルパ。シェルパは事故が仕方がないが、目の前にある死体を取りに行けない、その費用がないと悲しんでいた。今回私が3ヶ月いた間に、50人が事故や高山病でなくなったとマンシンが言っていた。山は生死が紙一重である事を忘れては行けない。

続く