2006/12/12〜13
ネパール ジャナプールからイラムへ
「イラムはストライキ中」  
12月12日 イラムはストライキ

ジャナプールに来てから少しお腹が痛む。胃なのか腸なのか分らない。朝3時頃お腹が痛くなり目覚める。昨夜の話しでは、イラム地方は民族問題でゼネスト中との事、今日のイラム行きのバスはすべてストップしている。7時に起き出しマンシンと朝食に行くが、食事は全く口に合わない。少し食べてミルクティをのむ。足らずはバナナを買って食べた。社長は飛行機でイラムに行くと電話があった。ホテルもイラムで用意して下さっている。マンシンと話し、行ける所まで行こうと決めた。マンシンはイラムに行く方法を探しに町中にでた。9時21分現在。

ザルケバルDhalkebarで乗り換え、イラムに近づく方法をとる事にする。ザルケバルまでのローカルバスはもうメチャメチャ状態、ローカルバス会社同士が客の奪い合い。私の乗ったバスの運転手はメチャメチャ、バス停で前のバスの前に回り込み強制的に車掌が客を乗せる。オンボロバスは水害でメチャメチャな道を穴ぼこを避けながら目一杯で走る。
流石のショウタンも目をつむるときがあった。だんだんと混雑してすし詰め状態、屋根に乗った客達が落ちないのが不思議な位だ。写真は撮りたいがマンシンはやめろと言う、カメラ欲しさの出来心が恐いという。

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ザルケバルでの新聞によると、明日は動くが明後日はストライキとのこと。帰りを考えるとイラム行きは無理と判断してポカラに帰る事にする。社長は?と尋ねるとマンシンは大丈夫という。口癖だ。公衆電話から社長に電話した。バス停の前に薬が売られていた。胃薬と痛み止めを買ったがあまり効果がなかった。

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ザルケバルからポカラ行きは無いのだろう。ローカルバスでパタライヤPthalaiyaに出てヘタウダに行き、ヘタウダに泊まる事にする。ザルケバルからパタライヤ行きのバスは超満員、すし詰め状態で4時間立っていたが、バス内はマナーのマの字もない最悪の状態だった。パタライヤで少し食事をしてヘタウダ行きに乗る。

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夕方ヘタウダに着いた。バス停前のホテルに泊まるが、先ず一つ目の部屋はトイレがない、二つ目はテレビが映らない、3つ目はトイレの流れが悪く、洗面所は配水管から水漏れ。とにかく3つ目の部屋が最高級の部屋との事、ここに泊まる事にした。このホテルはブラマン族の経営、ブラマンはケチが多くこのようだという。オマケにブランケットは穴だらけ、窓は閉らずすきま風ビュウービュウー。暗くなり電気がついたがすぐに停電。
(ネパールは毎日2時間何処かの地区が停電する。電力不足です。)このホテルにはディーゼル発電が有ったが、排ガスが廊下に流れ死ぬ思いがした。階下に降りてご飯を食べたが、ネパールにしてはメッチャ量が少なかった。

12月13日 ポカラに向かう

ヘタウダのバスターミナルで軽く食事、私はミルクティーとゆで卵2個ですませた。この付近はどうも食事が口に合わない。8時にバスがでた。このバスは整備がよいのか椅子もエンジンも調子が良い。ポカラに行く途中ムグリンMuglingで休憩食事。ムグリンは5〜6回通る事になった。この付近に来るとダルバードは口に合った。食事が済みバスに乗るが、数百メートル動き止った。車掌はポカラポカラと大声で客がいないか呼びかける。一人の盲目の人が上手とは言えない歌を歌いながら乗り込んできた。マンシンに聞くと流しの歌手?との事、私は少しのお金を用意して聞き入った。歌手は歌いながら後方に行き又歌いながら前の方に来た。歌手の手には小額のお金が握られていた。私はマンシンから手渡してもらった。私の傍にはブラマンと呼ばれるカーストの最上部の人3人と、その前にそんなに豊かそうでない女性が2人子供を連れて座っていた。その親子の横に来た時、お婆ちゃんらしい女性が歌手の手に20Rs握らせた。この国の20Rsは少なくない金額だ。
横に座っている金持ちそうな3人は何を思っているのだろうか、大きな家に住んでいても自分のためにだけお金を使う人、家もお金もなくても心豊かにお金を使える人、私は
後者の方が好きだ。乗り合い長距離バスはガタゴトと音を立てて走っている。盲目の歌手は途中で降りていった。ポカラに着いた。マンシンと焼き肉屋でロキーシーをのみ疲れを癒やした。泊まりはYADだ。

ヘタウダの町

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ヘタウダのバス停

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続く