金剛山
小和道と天ヶ滝新道
2018/03/26
4人

距離約8km
総時間、9時20分〜3時20分
(ユックリ探索登山)
炉端山友会 のオフ会計画で下見登山に付き合った
このコースは前会長のJJさんが、逆コースですが大阪岳連の集中登山に計画し登った経験路ですが、記憶も薄く又新昭文社地図と根来春樹氏の旧マップに街道名の違いが有りその真意を確かめる下見でも有る。
結論から言えば、新マップの小和道と書かれ今回下山につかった新天ヶ滝新道は小和道ではなく、小和道は今回登りに使った道である事が史跡からもわかる
噂の新マップにはルート誤りも多いと聞くがこのコースはルート誤りは無かった。
今回下見のための同行者が五条市のNPO法人のパンフレットも、今回登りに使った道が小和道と記されている事から確信を持った
和歌山からだと京奈和道で五条インター経由で登山口のP地点に1時間で着く
鳳凰寺分岐の交差点には金剛山登山口の案内が有る
ここから駐車地点の桜の広場までは道が細く、今回私と対向した車が落輪して大変な事になった
桜の広場は花見の頃は花見客には迷惑をかけない駐車が必要だ。
  
少し遅くなって登山開始だ。
里の畦や道横には野草が多く咲き花好き達には付近のハイキングも楽しいだろう
  
駐車地点から車道を下る。
JJさんコースは下りに小和道を下り右端写真の水路沿いの道を戻ったが、今回は小和道探索でもあり極力史跡の残るコースから入る
下れば字の消えた道標が有る。
地形図からその方向を確認して登山口方面に向かう
  
次に左金剛山の石標と道標が出る。
右私有地に付き立ち入り禁止の案内が有り土手下の小道に入り登れば、二つ目の石標がある
  
石標上には立派な地蔵様が祀られ、石標や地蔵様からここが、参道の小和道で有ろう事が容易に想像できる
少し笹の生えた近畿自然歩道を登ってゆくと、少し嫌な匂いがする
牛小屋かなと思うが、豚小屋ではとワイワイ。
帰って根来春樹氏の登山マップを見れば、豚舎の記載が有る。
根来氏が全コースを歩きマップに記載したとの噂は本当だろう
  
このコースはまぎれも無く近畿自然歩道だがその整備が無く、JJ氏との山行時は通れず笹をかき分け下山した記憶が新しい
今はボランティアだろう簡易に整備されていた。
途中に簡易のゲートや立ち入り禁止道がある。マナーは守ろう
又、今日の女性リーダーはこの付近の笹の事を知り、剪定はさみを背負い登るがその必要はこの先も無かった。
廃屋が出て、その横からも登れるがコンクリ道を村中へと登る
簡易案内が多い、ルートはわかりよい
  
廃屋は古い昔のお茶屋さんとか???、廃屋に書かれたコースは不向きとコンクリ舗装道へ
向こうの一本杉?を目指す
一本杉下には祠が有りその先にも道標が有ったが字は完全に消えている
  
写真の家下を通る
家の外れに古い看板道標が有る
ここで御所(ごせ)を御所(ごしょ)と読み大笑いされるショウタンだ
どこかに南朝時代の御所でも有ったのかなと思うショウタンだ。汗汗
その先にマタマタ簡易ゲートがある。通行は許されるが後はキチンと元に戻そう
ここまで来れば後は解りよい
植林内の舗装路を登る。
案内はバッチリだ。
途中で大きな石に右かうや、左よしのと書かれた石標が出る。
道より1mほど高い位置に有り、左よしのの道は見えず林道を整備したときに動かしたのではとワイワイ
所が、帰ってその位置を地形図から探れば、そこで道が分岐している事がわかった
少し方向は動かされているが、位置の移動は無いようだ。
小和道は石寺や高宮廃寺への参道でもあったのだろうが、高野山参詣道や吉野道、大峰山道の役割も大きかったようだ
  
付近に鋳物の装飾された欠片が有った。
付近に高宮や石寺の関係者の住まいか民家が有ったのだろうと想像するショウタンだ
登ってゆけば、道は石寺方面と分岐するが、真っ直ぐに高宮廃寺跡に向かう
  
分岐から100mほど先、右手奥に高宮廃寺跡がある。
小さな道標から入ったが、そこに高宮廃寺のことが書かれた看板が倒れていた。
今にも朽ちそうだ。小さなショウタンの山歩録HPにその歴史を書きとめておこう

高宮廃寺(御所市鴨神)
国指定史跡1927年(昭和二年指定)
金剛山の中腹、標高約540メートル付近の高所に位置する寺院跡で、俗に高宮と呼ばれている
金堂と塔の基壇及びそれに従う礎石がよく残っており、其の他に空堀らしい物が土塁状のものも観察できる
金堂跡は五軒 四軒の建物で桁行12.8メートル梁間9.8メートルと考えられる
その礎石はほとんどが当初の姿をとどめており、特に隅柱の礎石は円柱坐と直角方向の地覆坐が掘り出されている
塔跡は金堂跡の南に約二十メートル離れてつくられている
心礎はすでになくなっているが、他の礎石は自然石をすえたもので、三間×三間、一辺役五、五メートルある
採集されている瓦は八葉複弁蓮華文軒丸瓦と扁行唐草文軒平瓦で、藤原宮の流れをひいた、奈良時代中ごろのものである
「行基菩薩伝」には、行基24歳のとき、高宮寺の徳光について戒を受けたと有り、「日本霊異記」にも本寺に関する若干の記事がある
1988年(昭和63年)3月31日
御所経済クラブ(いぶき会)
御所市教育委員会


石寺跡分岐道標まで戻り少し痛んだ道を登る。


途中で石寺官林と書かれた境界石が出る
古いものなのだろうか
小和道の整備がよかったのだろう、途中に石積み跡が僅かに残っていた

正面に石積みが出る。石の積み方の角がキッチリと積まれているのは家跡だと思って登れば、その上の棚が石寺跡だ
石寺跡は葛城経塚20番の宿跡とか、石が仏像の代わりをしていた寺なのだろうか
石になにやらの印が彫られていた
  
途中で掘れ込み、石がごろごろ道に成ると道横を登る踏み跡道、マークが有る
フト道跡を覗けば石標が出る。傷みがあり字は判読できなかったが、下からこの道標は町石を兼ねていた物だろうが、その数は減っているようだ
  
ドンドン上れば、欽名水がでる
斜面から湧き出すが、水は出口は道と水平で飲む気がしないと同行者だが、石灰岩の多い金剛山の水は美味しいだろう
  
ここから斜面に入ったが失敗だ
其の先の写真の写真の看板から余りのも石がゴロゴロだと斜面の踏み跡にから登ったが、これが失敗で急斜面だ

戻るのが嫌いなショウタンは伏見道にトラバースだが、フー心臓パクパクだ
小和道は伏見道と出合いダイトレに出るが、地形図とは若干違う所に小和道が有る
伏見道から見下げる格好で下に道が見えた

二箇所ある出会いの看板と道標
  
西佐味とは一本杉付近の集落だ
笹の道がなくなる頃に行政の道標が出る。右が小和道 左が伏見道
 
登ってみれば、小和道は二つの寺跡や傾斜等を見ても、昔は重要な街道だったのだろう。
道はほぼ地形図通りに残っている
最後の道標から少し登った所に小和道の石表が残っている
 ダイトレ出合い
新しい道標は北宇智駅などが書かれている
ダイトレに突き上げればそこは賑やかな金剛山道だ。
キャンプ場で昼食と思ったが、キャンプ場使用は許可がいるようで、ちはや園地まで一汗をかいた
 
キャンプ場とちはや園地
ユックリと食事や女性達のお菓子に舌鼓を打つショウタンだ。
1Kg痩せるぞと今日も頑張ったが、これじゃ太ってしまいそうだ。 ニコニコ

炉端山友会総会の会場予約をまかされている会員がいる。あまりユックリもしていられない
サア下山だ
下山は、天ヶ滝新道だ。
ダイトレを久留野峠方面に向かう
  
途中に天ヶ滝新道の道標が出る
 
天ヶ滝新道は、整備もよく道も分かりよい。
地形図の破線道もそのまま残り、好き者なら破線道を下るのも良いだろうが、破線道は踏み跡は少ない
  
探索の目的の一つ、新欽名水は道より下10m程度にある
注意しないと行き過ごしそうだ
冷たくて美味しい水だ。
兎に角道なりに下ればいい

天ヶ滝への分岐もわかりよく天ヶ滝に下った。
思ったより大きな滝で水量もソコソコだ
  
天ヶ滝分岐↑
天ヶ滝は15m以上有るだろう
天ヶ滝新道に戻り下れば、桜の広場は直ぐだ
 
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