大阪府泉南郡岬町
飯盛山
(般若ヶ岳)
2018/10/19
20号21号24号台風後の紀泉アルプスコースは沢山の倒木でコースが傷んだ
ボランティアの皆様が各コースを整備して下さり、随分と歩きよくなった
早朝勤務を終えて、気に成っていた泉南飯盛山の上孝子から林道コースを点検がてら歩いてみた
リュックにチェンソーを入れて倒木を切りながら登る予定だ
上孝子のこの看板から奥に入る
  

上孝子まではグーグルマップで
高仙寺の車用参詣道下から、林道に入る
昔は綺麗な林道だったが、今は登山者も少なく台風後は荒れたようだ
ただ、簡易に整備され倒木は切り取られていた
切残していた巨木を切り取りコースを開いた

少し歩きにくい、緩やかな傾斜を登って行く、道は荒れている
林道終点が登山口だが、登山口道標は朽ちていた
林道終点からは小道に成るが、荒れている
登山者は極端に少ないようだ
 
マークは沢山打たれている。
細々とコースは保たれているようだ

登りきれば、高仙寺からの尾根ルートに出くわす
写真のところだ
 
後は道成りに登ればいい
大きく倒れた木の下を潜れるように整備した
少しは通りよくなった
ドンドン登る
倒木は切り取り、小枝は取り払う
今回で二回目だ
先ず、近畿自然歩道を札立山側に入り、500mばかし整備した
これで、札立山までのコースは整備完了と成った
引き返し飯盛山に向かう。
山頂手前で大倒木、今日は此処の整備をメーンとして登った
時間が係るだろうと思っていたが、案外簡単にコースが開けた
整備前 整備後
後はルンルンだ

直ぐ先で千間寺跡がでる
飯盛山について書かれている

この山の頂近くに千間寺と言う寺が有った
開基は役ノ行者と言われている。
修験道道場葛城二十八宿の第四番行場であった
戦国時代には根来寺の末寺になって、数多くの僧兵が住んでいたが、織田信長の雑賀攻め(1577年)か、豊臣秀吉の根来攻め(1585)の時
に兵火にかかって焼失した。
云々と書かれた看板が朽ちかけている
今日も山頂は綺麗に見晴らせる
 
山頂の石祠は、金剛童子が祀られていたようだ
山頂で茶も無く、景色を楽しんで下山した

総時間4時間程度の山行だった
戻る