三角点藤根峠(タワの尾)から古道で立里集落周回
2020/04/11
単独

P09:17-タワの尾09:44-立里11:10~11:40-P12:45
距離7.2km 時間約3時間25分

ヤマレコ地図にリンク
コロナウイルスは怖いが、三密を避け単独でここなら誰も来ないだろうと、野迫川村限界集落の立里に行った
立里集落は無人ではないが知る限り道沿いには住まわれていないようだ
ひととまず出会う事が無いルートを選んだ

立里慌神社前を東に下り三等三角点、藤根峠が乗るタワの尾への林道分岐に路駐した
藤根峠までは車が入れるような林道だが、歩いてなんぼのハイキング林道を歩く
行きは下りだ。足にやさしいが坂は舗装がされていた
  
 
山頂への取りつきは直ぐにわかりマークも有った
山頂には三角点が有り、二枚の点名板が有った
国土地理院を調べれば通称、小字はタワの尾です
尾根名はタワの尾と言う事になります

 車に引き返し車はデポして地形図波線から立里を目指す
これが古道だと言う事は誰の目にも明らかだろうが、広い林道に入り込んでしまいアララ
よく見れば車道沿いを下り尾根に沿って下ってゆく
  
アルバイト道は林道だ
  
分岐から車道と平行に下り古道に入れば後はルンルン
 道なりだ
少し馬酔木が生えるが通行には問題はない
左手下の谷にため池が見えた。下の耕作地が田だったのだろう
  
取水パイプが下に見え取水道と出会う所から、耕作地が出る
右手下に取水浄化槽が出るが使用されていないようだ
 

ため池下の谷を超えるが少しワイルド誰もいない所で事故は起こせない
他に上は滝が有るが名は無いようだ
 

左手上に民家が見えた

その下に阿弥陀寺が有り、阿弥陀様は村指定の文化財だが何処かに移動されてないようだ
 
昭和30年代のスズキ250バイクが置かれている廃屋、レストアしてもう一度乗ってみたいと言う衝撃が走ったが、レストアは不可能だろう
懐かしい、この頃は旧道が主だったのかタイヤはダート用だった
下の民家はジムニー360、村では人気の車だったのだろう
私も買って乗ってみたかった。
 

村中はまだまだ生活臭が有る。
倒れ掛かった家も有るが整備の家も有る
誰か住んでいないかと思うがどの家も無人のようだった
 
生活改善センターは手入れが有るようだ
小学校に行ってみた
驚くことに村には雑草が無い。小学校のグランドも綺麗だ
多分だが鹿が雑草を食べてしまうのだろうか

 

小学校を窓からのぞけば、教室は二つ、1、2、3と4、5、6年の複式学級
黒板には思い出が


子供たちの絵が
  
スキーや狩りを目の前で見ていたのだろうか、通常の生活の中にそれが有ったのだろう
教室は今も先生が歩いているようで、子供の声が聞こえる

孫と来た卒業生が教室に入り
恐る恐る入る孫が、ヤスエおばあちゃんの生まれた村と書き残している
下には幼児が書いたものだろうか、ヤスエおばあちゃんの孫だろうか
全ては思い出だろう

 
窓越しに写した
一台のナンバー付きの軽トラック
人影が見えた
ご迷惑が掛かってはと車道をデポ地に引き返す
途中に鉱山跡の坑道が出た
大きなものは蓋をされ小さなものは口を開けていた
中を照らすと奥は深い
他にも多くあった坑道だろう

子供たちが遊んだ鉱山はこの上だろう
アブラハゼの釣った西谷に行ってみたい。
西谷の小さな淵で泳いだのだろうか
それにしても標高差は300m、小さな子供たちの遊び場と言えども今からは考えられない
また、コロナが収まれば、西谷越えの周回でも楽しみたい気持ちだ
  

車道から、中の川の陣の峰や大峰の山々、景色だけでも素晴らしい

目の前の清水峰は山ぬけも収まっているようだ

高野山の奥には素晴らしい景色と、弘法さんが高野山を選んだわけが分かった気がした

帰路に、大峰街道のすずかけの道を歩く男性二人が高野に向かって歩いていた

山にはコロナウイルスは無いが、持ち込む恐れもあるが

今は少しでも街中は避けたいものだ
  

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