多武峰と御破裂山
2015/02/03
3人

P09:10-平尾池09:45-神奈備山10:05-展望台11:05〜11:20-細川山11:45-念誦崛(ねずき)12:05〜12:25-多武峰12:35-御破裂山12:59〜
13:05-談山13:09〜13:42-談山神社13:55-小休止-気都和既神社14:32-P15:03
総時間約6時間
長年行きたかった御破裂山、藤原鎌足の墳墓山だ。国に不祥事が起こるときにゴハレツヤマが鳴動すると言う
大化の改新の談合をした談山(かたらいやま)、資料を調べるうちに神奈備山や、藤本山、の名が学者のページに書かれていた
山名はそのまま使用してログを載せてみた。
明日香村の石舞台に車を置き、明日香周遊道に入る。
史跡だらけの明日香村、歩けば史跡や石仏が出るわ出るわ、凄い所だ。
石舞台横から明日香周遊道に入り慎重に現在地を見ながら先ずは平尾池に向かう
  
のぞかな里は美しい。
地図道通りに歩けば写真の位置に出て、ここで地図に載る平尾池の名を知り、近くに石仏群があることを知る
  
田の畦の下に石仏がありこれが石仏群か?などと話すがまさか??
で、道標にしたがって歩くと左手にその石仏群が出た。意味は知らない
 
振り返れば金剛、葛城の山々が美しい
さらに登ると、右手にハイキング道が階段と共に出るが、平尾池から神奈備山に登ろうと池に向かう
読図をすれば、神奈備山からハイキング道に尾根通しで出れると、コースはバリエーションだが、下調べ資料には、神奈備山は倒木と笹ブッシュで通れないし登れないと有ったが、とにかく行こうと話は早い
 平尾池
ハイキング道
現在地をハイキング道分岐として、平尾池に行くと、雑木が下草と共に間伐され、人が入ったなら行けると踏み込んだが
ヤダケが密集しておまけに倒木、一瞬ひるむが、今日始めて同行したhiroeさんはひるむ事は無い。むしろ楽しいとヤダケの藪に突っ込んでゆく
S子ちゃんも行っちゃえと後に続く、ブッシュマン三人だ。
 
山頂に出ると、ヤダケは勢いを失い枯れたものが目立つが、ブッシュはブッシュ。
地形から見て、ここは城跡だろうと感じたがさて??、神奈備山、神様が住む山と言うが、これじゃ神様はどこかに行ったのだろう
地形は見えないから、現在地を信じコンパスを取り、ハイキング道に向かうが、ブッシュを漕いでも漕いでも道が現れない
三人は地形図読みには自身があるが、おかしい?? コースがずれたのか??、
とにかく前10mしか見えない倒木とヤダケ、この付近は、古城が多かったためか、ヤダケがやたらと多い
ヤダケがネザサに変わる頃尾根角度から現在地が読み取れた
ここに破線道が走りハイキング道に出会うはずだが、ハイキング道は出ない
 
よく考えると、地形図違いだろうと今書くに思う。
右手下にソマ道風のものが見えていた。
尾根の笹はネザサと成り歩きよいが、20m間隔でイノシシの寝屋が出る。
少し大声でイノシシを追っ払った。
真新しい獅子の糞や、鹿の糞、動物の糞が出た。
その所から、金剛山地が美しく、疲れも吹き飛んだ
 注⇒ネザサ、ヤダケは笹の種類

S子ちゃんは答えあわせをしようと、GPSで答えを出した。10m程度の標高違いで現在地を言い当てた三人だ
少し歩くと、ハイキング道に出て、
やれやれ、陽だまりで小休憩しようと、歩くと地図三叉路が出て、そこから展望台に出る道標がある
  
道標通り登れば素晴らしい奈良盆地から金剛山地、見晴らしは最高だ。
行動食で休憩をした
道成りに歩こう
小さな掘割状の左上が、藤本山だろう。資料には470mと有ったがこの付近に470mピークは無い
山頂に行ってみたが、同じようなブッシュピークで、ここも平地の城跡を感じる
道標にしたがって歩けば、古道には見事な石仏が出る。ワイワイと現在地を探る
 
次の目標は細川山だ。急傾斜のピークに山肌をよじ登り、ブッシュが出るがhiroeさんは、楽しいとよじ登っていた
山頂に薄い踏み跡が有り、ここは廃点になった二等三角点、小原の有った所だが、点石は亡失しているようで見つからない
降り良い所を下ってハイキング道に出ると、そこに越後屋隊のマークが有った。オッ来たのだ
道成りに歩く
 
次の分岐を見逃さないように注意して歩いたが??念誦崛(ねずき)と書かれた看板が出た??
聞いていた位置とは大きく違い、ウン??何処で道を間違ったと頭をひねる
とにかく、聞いていた念誦崛がでた。見に行こうで登った
 
先ず、目に付いたのは石垣の下の名石、読めば、音羽山清水寺の普山と成られた大西良慶和上の生誕の地と言う事だ
直ぐ上に私より大きな石仏が、正面に階段が、右手奥には石仏群が、聞いていたミニ高野山だ
  
階段下で、御墓参りの方と出合い話を聞くに、紫蓋寺が有った。階段上は見事な墓地で、その上に多武峰中興の祖、増賀上人の墓があるという
長い階段を登ると、古い墓地に石仏、その上の階段を登ると増賀上人の墓が出た
  
なるほどミニ高野だ。新旧の墓や石仏、相当数有ったの。

現在地を探った。聞いていた位置とは違うのは確か、じっくりと地図を眺めここだろうと位置をつかんだが、墓奥の破線道は猛烈ブッシュ
黒線道まで600m強、時間がかかると大回りを決めた
今回のコースについてメールで詳しくお教え下さった方からのメール添付です

多武峰は念誦崛(ねずき)とか紫蓋寺(しがいじ)とか下居城跡や念誦崛城跡など、これまでになかったことが色々と出てきて面白いところでしたね。

自分勝手な憶測(考古学は推測や憶測から始まると思っています)ですが、談山神社は明治の廃仏毀釈までは天台宗の妙楽寺という寺であったが、神仏分離令によって神社となった。談山の名も大化の改新がここの語らい山で中大兄皇子と藤原鎌足が密議したところからとっている。多武峰の名も、かってこの寺が武装した大勢の僧兵がいたことからと思われる。念誦崛は諸説あるようですが、単純に念仏を誦(とな)える崛(たかい)ところと解釈しています。紫蓋寺はしょうたん説の高貴な紫で、蓋(がい)は天蓋(てんがい・仏像などの上にかざす装飾)から来てると思う。妙楽寺の奥の院にピッタリの地名と寺院名ではないかと思います。桜井は日本の国の始まりのようなところですから、まだまだ面白いところが沢山ありますよ

道に出て下れば、三社神社の鳥居が出て

その先の民家、中垣内宅横の舗装路を入ってゆくと、自然と御破裂山に出る。

途中に二上山の見晴らしが綺麗だ
  
御破裂山の手前に談山神社の分岐が有って、その正面が御破裂山だ。御破裂山はゴハレツヤマと読む事が書かれている
 
墓左手奥に展望台があり、ここの見晴らしもいい
下った
道標から談山(かたらいやま)に下った。200mだ
 談山
談山で遅い昼食を取った。
女子二人は語らいながらワイワイ、ショウタンはラーメンをすする。
談山神社上で細い道に入ったが、道には出られず、結果、談山神社内を通ったが、拝観料は取らなかった。
 
帰路は車道横のハイキング道を下る
先ず、西大門に向かうが、

ここに有った寺は妙楽寺で明治の廃仏毀釈で取り壊されたとか
その名残が石仏や門跡、又当時の女人結界門跡がある。
廃仏毀釈は、明治の文化に対する大きな間違いの一駒だろう
  
道表にしたがって石舞台に下る。先ず間違いの無い道だろう
途中で古道跡を感じながら二度三度車道を横切る。
上(かむら)の集落に出るところに気都和既神社があり、大化の改新で曽我入鹿の首をはねた藤原鎌足が、曽我入鹿の首に追われてここまで逃げた地だとか?面白い話だ。その下に石に直接彫られた石仏がかわいい
 
この付近は棚田が綺麗で秋の収穫時や彼岸花が美しいところだ
お喋りが大好きな3人ははワイワイ、あっ、メガネを無くした。初老のショウタンは忘れ物が多い
ワイワイ
 
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