石舞台から多武峰、御破裂山
2015/03/15
炉端山友会にて

炉端山友会で、明日香村の石舞台から多武峰ハイキング道を通り、御破裂山、談山、と登り、下山を多武峰古道を下山しました
明日香村は日本が国の形が出来た地と言われるだけで、石仏やその史跡が多い。
歩けば歴史のロマンが渦巻く地だが、ショウタンはその知識が薄い 汗
近鉄飛鳥駅に集合、車で石舞台に移動して、石舞台上の飛鳥周遊道から万葉展望台に向かう
途中の道はアスファルトだが、田舎の雰囲気がよくルンルンと歩く
  途中に万葉の歌碑が出る。当時は村が見晴らせたのだろう

島の宮 上の池なる放ち鳥 荒びな行そ君今差すとも
 

見晴らしが開けると金剛の山並みが綺麗だ
道標が出る。ここから多武の峰までは案内がバッチリだ

  道標と簡易地図
道標上に、初めての石仏群が出て、ゲートがありその上にハイキング道が分岐するが、歌碑の池に向かう
万葉の歌碑の上の池は、平尾池ではなかろうかと行くが、単なるため池で歴史は感じないが、保存状態は良い

  
平尾池から引き返し左端写真のところからハイキング道に入ってゆくが、ナカナカしんどい急坂で階段が足に応えた
  
道なりに登れば、東山からの分岐に出会う。その上が展望台だが、工事中でユックリトと出来なかった
  
それでも展望台は見晴らしがよく金剛山から二上山までの素晴が良い
展望台下の分岐は古道の証の石表が立つ。右とおのみねの字が読み取れた
少し展望を楽しみ、道なりに歩けば、天蓋寺跡の念誦崛(ねずき)下を通る
  
念誦崛(ねずき)は天蓋寺跡で、大西良慶清水寺譜山の生誕の地との事で、大西家の墓地もあった
念誦崛(ねずき)は、ミニ高野のごとく多くの墓や石仏、多武峰中興の祖、僧賀上人の墓がある
    
車道に下り、多武峰の見晴らしの良いところでお昼を楽しんだ
  
民家の横から御破裂山に向かう。
途中の四等三角点を特定するが、三角点名と山名の違いが判らない代表的な山名板が沢山あがっていた
点名は四等三角点、破裂山で山名は無い。点名を山名と思う方たちが多いのだろう。点名とは三角点石そのものの固有名詞で、ここの場合は破裂山と国土地理院は名づけたのだろう。山名とするなら破裂山がいいのだろうが、御破裂山はここでは無い。
重点整備の四等三角点でICチップが埋まっていた。

点の記を書いておこう
基準点コードTR45135566801 点名 破裂山 緯度34°28′12″.6851 経度135°51′37″.1195 標高607.40 選点昭和46年5月8日 
埋票 昭和46年6月11日 測量 昭和46年6月28日
所在地 奈良県桜井市大字多武峰234番1

平成20年12月2日再測量されている


三角点は一等から四等まであり、国の地形図を作る重要測量点です
明治に始まり現在に至っている
点石の位置や標高、所在地を1cmの単位で知る事ができる
国土地理院は三角点情報を公開している
基準点成果閲覧サービスと検索をかけてみよう
他に水準点などがある
  
奈良の三角点を回るグループが正しい点名を緯度経度標高を書いていた
その他は、皆、御破裂山としていた
道の終点が御破裂山で、読みは ごはれつざん です
 
山頂の西端に見晴らしがあるが、残念天気が曇りだした
道標にしたがって談山に下る
小さな整備された山頂に、大化の改新時に中大兄皇子と藤原鎌足が密議したところとされている
  
談山神社に下り神社内を通らせていただく
道標にしたがって石舞台に下る

  
多武峰の民家は少なくなっているが、歴史を感じる
 
西門跡に出て古道を下るが、標識に従った
 
車道を横切りながら下るが、一回目の車道を横切った正面に地蔵があり、その30m先の右上に石仏群があり、見逃しやすい
 
  
近代に何かの都合でここにまとめられた物だろう。石仏以外に墓や石標がある
ここは一見の価値が有るだろう。大きなものは2mを越す
道標にしたがって下れば、気都和既神社が出る
ここは、大化の改新時、曽我入鹿の首をはねた藤原鎌足が、曽我入鹿の首に追われてここまで逃げた地だとか、面白い話だ。その下に石に直接彫られた石仏がかわいい
 
上、細川と冬野川に沿って下る。小さな冬野川は美しいが流れは急流だ
天気が晴れていれば行く予定だった、尾曽の集落の分岐にある石表は見事だ
 
飛鳥から吉野宮に向かった古人の足跡を感じながら今日のハイキングは楽しかった
少し小雨に遭ったが炉端の皆さんは楽しい

総時間 6時間10分のハイキングだ
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