水垣内山710.3m、赤土森山871.2m、旧三川村の大篁谷坂と八丁坂 2011/03/28 単独 |
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コースタイム 面川08:42-大熊09:37-地蔵3-10:17-水垣内山10:49-地蔵3-11:16-三角点大熊12:00-尾根取り付き12:41〜13:14- 赤土森山13:41-八丁坂14:43-大熊15:11-面川16:10 総時間7時間28分 |
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赤土森山と水垣内山は同じ稜線上にある山だが登られる方が少ないようだ 付近には、入道山 法師山、百間山 三森山 半作嶺と人気の山が目白押しで、どの山の山頂からも見晴らしがあるが、この赤土森山と水垣内山は見晴らしが無い、 この山は入道山登山口のある小守や五味などから熊野川(ゆやかわ)の谷に越える古道があり面白い道が有るだろうと、熊野川沿いの面川から大熊を目指して登り、大篁谷坂を確認して水垣内山に登り、尾根沿いの林道を赤土森山に向かった 下山は、八丁坂から下山した 登山口は又マピオンの力をお借りしたい |
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取り付き 旧大塔村は田辺市となったが今回取付いた面川の熊野川(ゆや川)向こうには村社として祀られた三豊神社がある ここには旧大塔村指定の天然記念物の大杉がある そんな三豊神社前から写真の家横を山に向かう。ルートはタダ真っ直ぐに登ればいい 地図1地点 すぐに見事な石積みの棚田が出る 道沿いに石の祠に祀られた地蔵さんが見事だ 古い年号が書かれていたが記憶から消えた、江戸期か?? |
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苔生した地蔵地図2地点 民家跡に放置されたガスボンベや流し台跡 見事な古道は今もその名残を残している 古道ファンなら何度も往復したくなるような古道だ 地形から現在地を想像するがあまり分からない とにかく、大篁谷坂側に分岐する三叉路を探すが分からない、どこかに分岐があるだろうが?? で、経験から民家の前を道が通っていたはず、道と言っても1m程度のはずで、家前を通ったはずだ 民家なら石積みは綺麗に積んでいるはず、を思いそれと思う地点から大篁谷坂方面に入った 狙いは当たり、上の苔生した地蔵様が出て、屋敷跡が出た そのまま南に行けば古道と出会うだろうと読んで進とハッキリと道が出た 下山時にも分岐点を探すが??ドウモいまいち分からない 分からなければ道成りに登れば現在の林道に出る そこから大篁谷坂に向かえば良いだろう 民家跡と道だと見た所 民家跡↓ 道が表れた今もハッキリと残る。↓ 林道に出る 突然林道に飛び出すがこの林道はまだ国土地理院に反映されていない 林道脇にこれ又古い地蔵様が祀られていた 地図3地点 地蔵横の林道を少し南に入ると大篁谷坂ピークが広場と共にある コノ地点から水垣内山にはいる。入り口は少しブッシュだがすぐに小道が出て、テープが巻かれていた NO3地蔵 取り付き 道跡 この道は木守や面川、大熊と井ノ谷を結んだ道だという 途中から小道を外れ尾根を山頂に向かうがナカナカ傾斜がある 途中にテレビケーブルが出てその先に三角点水呑峠が山頂にある たぶん大篁谷坂ピークを水呑峠と呼んだのか ???
山頂は広いが見晴らしはない |
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登り尾根 地蔵3↓ 下山時少し井ノ谷側の尾根の様子を見て山肌を巻いた 水垣内山だけなら井ノ谷から登ればルートは優しいだろう |
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林道を歩くのも面白くないと途中の617ピークを越えて四等三角点大熊615.4mを特定した 半作嶺はどこから見ても乙女の寝顔だ 古道は林道になっていた 赤土森山にどこから取付こうか 考えるが一番傾斜の緩そうなのが今回取付いた尾根だ 尾根先でお昼を楽しみながら読図する |
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尾根先に動物の踏み跡があり3mほど上り広尾根を登る 広い丸いピークに出る 尾根は広く慎重にコンパスを取る。小さなコルに下るとここから七夕テープがこれぞと巻かれていた 山頂は広いピークで馬酔木が多く生えていた
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赤土森山に田が有ったと聞いている 地図荒れ地マークが田だろうとその印がある尾根を下ってみたが分からなかった おまけにブッシュ、素直に往路を下れば良かった とにかく林道に出て 林道から大熊に入る古道、八丁坂を特定する 三角点大熊手前だ、林道右端を覗きながら下ると、それらしい物が出て下った すぐに林道を横切る 何度も横切りながら大熊に下って行く 道は明瞭にある。 少しはゴロ石があるが歩きよい 村中跡に出ると、立派な石の祠に弁財天か??祀られその下から水が湧き出ていた 下山後、面川住民に聞くがやはり水は雨水が頼りだったとか 道横に石碑があり年号が刻まれた石があり、道成りに下る 途中で大篁谷坂分岐を探すが分からず、私のコースがそれかも知れない 小さく分かれる分岐もある。少し読図を慎重にすればその点が見つかるかも 昭和30年代の洗濯機が転がっていた ロール棒に挟んで洗濯物を絞った記憶は新しい 下ると谷にワサビ畑跡がありワサビも作られていたのだろう 水は豊富にあるが田に引き込めたのは下部の田だけだったのか 四等点面川を特定して車に向かう途中、往路に村人と話した その方が呼び止めてくださり、村の生い立ちや大熊の話、を聞き、田舎の山村生まれの私だが、この大熊の住人達の苦労は凄い物があったのだろう。 小学生達は階段を二段ずつ駆け上がったとか 又、高等小学校になると五味や小守から山を越えて通ったとか コノ方も面川から小守まで2時間で歩いたとか コノ村は大塔村と成る前は三川村と言い戦後昭和になって初めてアメリカ軍のジープが入ったのが車乗り入れの最初とか 歴史有るこの村は私の大好きな景色を保っていた 三豊神社の大杉を見て帰路についた 話を聞いた村人 神社に向かう橋 大杉 |
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ショウタンの山歩録地図について 「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図200000(地図 画像)、数値地図50000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)、数値地図50mメッシュ (標高)、数値地図10mメッシュ(火山標高)及び数値地図5mメッシュ(標高)を使用した。 (承認番号 平21業使、第652号)」 |