紀泉高原
大同寺霊園登山口から
見返り山、岩神山
2018/01/18
 
所用でウロウロとああ忙しい
少し時間が余ったので、14時20分と遅い時間に大同寺霊園駐車場から紀泉高原縦走路の見返り山に向かった
目的は1月6日に落としたグローブ探しと、六十谷道の一部が地形図に反映されていない。確実に軌跡を取ることだ
見返り山分岐から奥辺峠までは見返り山越えが書かれているが、一番通行量の多い六十谷道が書かれていない
地形図は、こんなことが多く読図の面白さはそんな所にあるのかも
軌跡の載せない地図と並べてみた
 
大同寺は和歌山では数が少ない比叡山の延暦寺と同じ宗派の天台宗ですが檀家は少ないが大きなお寺だ
織田信長の紀州攻めで秀吉に焼き払われた
末寺や他の寺々は宗派変えなどに応じて寺を守ったが大同寺は宗派変えに応じず焼き討ちと成った
焼け残った裏門を正門として、紀州徳川藩初代藩主、徳川慶喜が気の毒と再建したのが今のお寺ですが、昭和の火災で再建している
ショウタンは宗教の教えより、ガンとして天台宗を守ったお寺に感動している
余談を書いた
寺前から六十谷道を登る
駐車は大同寺霊園の駐車場が暗黙に許されている
その前の登山口から登るが、岩神山の岩神観音ルートや、六十谷道ルートと分岐が有るが、どの分岐にも勝手道標が作られ分かりよいハイキング道だ。
私は六十谷道を登ってゆく
 
岩神観音コース分岐↑
登れば葛坂分岐、東ニュータウン登山口分岐や観音山コース分岐と道標がある

東尾根から岩神山分岐に落としたミズノの発熱インナーグローブが置かれていた
ありがたい、拾ってくださった方有難う
今日の第一目的達成した
 グローブが
このコースと紀泉高原の清掃や整備に力を尽くして下さっていた亡森實氏が残した名言の一つが今も残っていた
板に手を合わせて森氏の活動を思い出す
ゴミを捨て良心捨てて一目散、
以前は生活ゴミまでこのルートに捨てる人が後を立たない時があった
今も、清掃を続ける人々がいる。綺麗なハイキング道が守られている
流石にこの時間は歩く人も無い。誰にも合わず六十谷道を歩く
幾つかの分岐の有る六十谷道、見返り山には地理院が破線を書くが、六十谷道には無い
道標から見返り山に登る
公園化が進む見返り山は見晴らしが良く、山座同定が出来る。
泉南飯盛山、大福山、奥辺峠、青少年の森、雲山峰、コンパスで山座同定を勉強するには良い所だ
 
 
山頂は札立山方面と大福山方面に道標が有り大福山方面に下れば奥辺峠に出る
 
奥辺峠も随分とにぎやかな峠分岐で見晴らしも出来一休みに良い
大福山まで行くには時間が足りない。
暗くなる事は恐れないが、ヘッデンがなければ登山基本に外れる
ここから下山だ
 
途中に八王子分岐が有る
八王子跡から奥畑、六十谷と下られる方が少なくなっているようだ
岩神山分岐まで速足で歩く
 
六十谷道分岐から岩神山に向かう
国土地理院にも書かれた破線道コースだが、この尾根道は昭和の大戦で燃料不足の燃料を取るために、松の根から油をとったとか
その松を運んだルートとか、一時は大ブッシュで通れなかったが、岩神観音と共に整備復活した

岩神山は見晴らしが良い
夕日が美しく紀ノ川の河口を照らす
 
少し東から道標にしたがって岩神観音堂に向かう
小さな石仏だが、古くから信仰が厚い

 
ユックリと見晴らしも楽しめない。つるべ落としの夕日の季節だ
 
階段整備と手すりが整備された参道だが素人整備は用心がいる
下れば、暗い
 
足下が安心できるころは夜景が綺麗に見え出した。
暗くなった大同寺霊園からバイクで帰路についたが、ヘッデンを持たなかったことに反省だ
チョット周回の裏山も地図で現在地を確認するだけでも楽しい物に成る
読図の面白さを伝えたい
コースタイム14:25〜17:50
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