2006/12/10
カトマンズからジャナプール
「ジャナプールに行く」 
12月10日 カトマンズからジャナプールに

早朝カトマンズのガンガブバスセンターに行くが、ジャナプール行き直行便がない。仕方がないからヘタウラ行きに乗り、ヘタウラ、パトライヤと乗り換え10時間かかって夜6時半ジャナプールに着いた。カトマンズでは寒いが、インドに近いジャナプールは高度が低く暖かい。
社長は急用が出来てジャナプールには行けないと言ってきた。イラムに飛行機で行き、私たちを待つと言う。

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カトマンズとヘタウダ間のバスはオンボロバス、窓は閉らない、背もたれは壊れ、クッションは一昔前のトラックより悪い、オマケにステレオ目一杯慣らす音が割れ、何を言ってるか分らない、車掌は態度は悪いは、日本では考えられないバスだった。
ヘタウダに着いた。乗り換えには時間がない、パトライヤと車掌が大声で呼び込んでいる。走って乗ったのがマイクロバスより小さなバスで、私は椅子には座れない位狭かった。

ヘタウダバスターミナル

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パトライヤ行き小型バス

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パトライヤ行きのバスの最後部でなんとか座っていると、車掌が席を詰めろと手で合図する。詰めてやると車掌が座った。そこまではよい。今度は窓を閉めろと手で合図をする。カチンと来たショウタンはウルサイ、自分で閉めろと大声で怒鳴った。もちろん日本語だ。車掌は私をネパール人と間違ったようだ。カーストの高い車掌だろう。私の顔は自分よりカーストが低く見えたのだろう。車掌は立って前に行った。この付近に来るとネパール人でもインド系の顔の人が多くなり、ヒンズー教徒が多くカーストは高いようだ。

パトライヤに着いた

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パトライヤではトラックの運転手達がストライキ中で、道イッパイにトラックを止め、何かマイクで怒鳴っていた。次のバス乗り場が分らずウロウロとする、マンシンはめざとく乗り場を探した。ここからジャナプールまでは最悪、超満員のバス、真っ直ぐに立っていられない。ネパール人は次に空く席を知っているから次々と上手く座って行くが、ショウタンは鈍くさい。1時間半ほど立ってやっと座れた。隣の席の人は、お前は何人かと聞いてきた。私は日本人と答えると、日本に行くにはいくら位かかると聞く。約7〜8万Rsと言うと目を丸くして、今度は私のカメラをいくらなら売るという。10万Rsと言うとノーと言って笑った。マンシンはカメラは隠せと言ってきた。
去年の大水害で橋は流され道はズタズタ、途中ではとても乗っていられない状態だった。バスは川の中を横切って行く。

パトライヤからジャナプール行きのバスの中

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ジャナプールに着いた。外は暗い。ホテルを探すが良いのがない、一軒目は娘さんが結婚式で、お客さんのためにブランケットを持ち出してないと言う。シーツだけで良いなら泊まれと言う。町中を探すが良いのがない。二軒目は少しマシなのが見つかりOKを出した。2人で2泊450Rs安い。

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泊まったホテル、ほとんど英語で書いていない

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ホテルの部屋、すごい蚊だ。部屋内に20匹や30匹できかなかった。日本のように余りささないが、蚊帳がなければとても眠れない。

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町中の地元食堂でダルバードを食べた。ミネラルウォーターがない、マンシンは駄目だと言うが井戸水をのんでみた。

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続く